2016年9月30日金曜日

ヨガの目的と整合性

ヨガを大きく2分類すると、「現実肯定エリート養成型」と「涅槃解脱型」になると思います。
前者は、クリシュナマチャリアが始めたモダンヨガ、後者はパタンジャリ系譜のオールドヨガ。

クリシュナマチャリア師の弟子、パタビジョイス師は、自らのヨガに、パタンジャリの八支則であるアシュタンガを名前にもしていますが、繋がりはありません。

全く新しいヨガです。ですから欧米のヨガ歴史学者の間ではモダンヨガという名前が付けられています。

クリシュナマチャリア師は階層でいうとカースト制度の頂点、バラモンで、王族や軍隊に、古来のヨガを元にして、訓練を目的にモダンヨガを考え出しました。
弟子のBKSアイアンガー師が、軍隊にビンヤサヨガを教えていたのは有名です。
そして、パタンジャリのヨーガスートラを精神的バックボーンにしました。
借りてきたという表現をする研究者もいます。

ですから、もともと、モダンヨガは、王族や軍属というエリートの健康や、訓練を目的としたもので、その後、BKSアイアンガー師やパタビ・ジョイス師によって、より体系化メソッド化され、欧米で絶大な支持を得ました。

特にアシュタンガヨガは、欧米の企業の役員とか、実業家、映画関係者などのエリート層に人気があります。

それは、彼らの現実の生活に、健康面でも精神面でも、有意義で、彼らの社会生活と共存し、彼らの生活を物質的にも精神的にも、より豊かにするからです。

しかし、

オールドヨガ、こちらが本来のヨガというかヨーガですが、
こちらは、修行で、身体も自由にする、そして、精神も本当の意味で自由にするものです。
精神を自由にするということは、しがらみや自分に不要なものを捨てて、最後には涅槃、解脱を目指すものです。
場合によっては家族も捨てます。
サドゥは、出家する時に、必ず家族に、出家して家族とは縁を切る、ということを告げるように求められるそうです。

つまり、2つのヨガは、根本的に目的が違います。

この大きな目的の違いを認識せずに、ヨガ哲学を是とすると、混乱することがあります。
目的が違うのに、本来のオールドヨガの哲学を実践しようとすることになるからです。

先日、アシュタンガヨガの有名な指導員の悩みをレポートしましたが、
なぜ、悩むのか?
それは、オールドヨガ的に言うと、抱えるものが多すぎるからです。
だから、本来のヨーガからすると、名声も、世界中の多くのお弟子さんも、そういうことはあまり考えなさんな。
ということになります。
離れていく者はほおっておいて、身近のお弟子さんだけに教えて、必要十分なもので満足して、
楚々として生きていけば、それでいいではないか?
これが、本来のヨーガ精神に立った考え方、生き方です。
そうすると、精神はますます自由に、解放され、解脱に近づいて行きます。

現代人の眼から見ると、世捨て人を作るような考え方ですが、本質的に、ヨーガの目的はそれです。

私はヨーガを始めてすぐに、ヨーガの先生から、
「ヨーガには、あまり、深入りしない方が良い」
とアドバイスを受けました。
特に私の仕事はクリエイティブ系で、まだ若かったので、物への執着やこだわりが、生命力になったからです。
ヨーガに深入りすることで、それとは、逆の方向に行ってしまうことを先生は危惧されたと思います。

しかし、30年、40年とヨーガをやっていると、影響が出てきました。
それは50歳を過ぎたころで、3つの大きな試練が一気に自分に押しかかってきたときです。
そこで、離婚を含め、一気に財産や多くの仕事を無くした自分にとって、それは大きなストレスではあったのですが、
この身軽さ、開放感、はいったい何だろう?と晴れ晴れとした気持ちになりました。
それは、ヨーガを続けてきた自分が本当に望んでいたものは、これだと感じたからだと思います。

それは、多分、自分の回りから不要なものや確執が無くなった瞬間だったのだと思います。
多分、離婚や破産、母の認知症発症は、必然で、神様が与えてくれたもので、意味があったと思います。

しかし、自分が仕事で積み上げてきた写真の仕事の作品や一部の人間関係はそのまま残って財産となりました。
それは、食べていく上でも本当に必要なものだったから残ったのだと思います。
そして、そのおかげで、質素な生活だったら不足のない自由な生活を続けていけます。

その時に、ああ、これが、ヨガの精神の解脱への道なんだ。と眼から鱗が落ちたような気分になりました。
ヨーガは経験哲学です。経験して初めてその教えが認識できると思います。読んだだけの知識はほんものの認識としては定着しません。これは何の分野でも同じです。

私は、肉体鍛錬や集中力養成のため、アクロバティックな訓練もやっていますが、
本質は、ヨガではなくヨーガの人間です。
切り離して考えています。

現実肯定、上昇志向、ビジネス志向の方が、生半可にヨーガ哲学を学んで行くと、整合性がとれなくなることがあります。
ですから、モダンヨガを楽しむ方は、現実志向と割り切り、変にヨーガ哲学に深入りしない方が良いと思います。

ちょっと長くなりました。最後まで読んでいただき感謝致します。

2 件のコメント:

  1. おはようございます。

    大変なご苦労をされていたのですね…

    しかし「この身軽さ、開放感、はいったい何だろう?と晴れ晴れとした気持ちになりました。」という思いを持たれたと知り、心から安堵するとともに、真のヨギーでいらっしゃると感じました。

    わたしは「必要なこと(もの)は必要な時に与えられる」と信じています。

    「必要なこと(もの)」は「欲しいこと(もの)」とは違うということが、留意すべきポイントですが(笑)

    いつも学びの多い記事をありがとうございます!

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    1. 充恵様。
      コメントどうもありがとうございます。
      私も経験から、必要なものは神様が必ず与えてくださると信じていますし、今まで実際そのようになりました。ただ、自分にとって余分なもの余計なものを背負い込むと、神様はそれを奪っていくとも感じています。欲しいものが必要なものであれば、残ると思います。笑。
      ただ、それは後になって分かることですね。

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