2018年4月13日金曜日

「引っ越しました」

いつも、当ブログを読んでいただきありがとうございます。

本日より、当ブログはリニューアルして以下のURLになりました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

キャリステニクス・ヨガ・リニューアルサイト

2018年4月11日水曜日

「集中力のトレーニングとして」

集中力のトレーニングとして倒立歩行20mを10本やってみました。

骨格に体重が乗るようになったので、それができていると、筋力的、体力的には、無理なくできる距離ですが、やはり、瞑想のときの雑念と同じで、何かの雑念や気の緩み、外的な刺激で、バランスが崩れることがあります。

ヴィンヤサを淀み無く続けるときのような感じと同じかも知れません。

しかし、掌底にうまく体重が乗ってしまうと、筋力はそんなに必要ではありません。
もちろん静止倒立もそうです。
しかし、少しでもそれが崩れると、体重が容赦なく襲って来ます。

まだ若い人だったら、それを筋力で補うことができますが、
もう自分の歳だと、筋力に頼っていたら、限界はすぐにやってくる。
それを技術と集中力で補うというのが、面白いです。
ヨガのアームバランスにも応用が効きます。

定期的に続けたいトレーニングです。

2018年4月8日日曜日

「壁倒立について」

倒立歩行・逆方向 from idehiroyuki on Vimeo.

倒立(アドムカブルクシャサーナ)をマスターするときに、
最もポピュラーな方法は、
まず、壁を背にして足先を壁につけて壁倒立をして逆転の感覚を覚えます。
それから、足先を徐々に離して倒立できるようにしますが、

壁を背にして壁倒立ができるようになったら、
すぐに、お腹を壁に向けた格好で、
同じように足先をつけて壁倒立をやる方法に移行した方が
より、正しい、まっすぐな倒立の姿勢を覚えることができます。

理由は、壁を背にすると、無意識に身体が反るからです。
可能な限り身体を壁につけても、身体の構造上、身体は反ってしまいます。

身体が反った倒立を英語ではバナナ・ハンドスタンドと云いますが、状況に応じては反った倒立も使いますが、
基本は、まっすぐの倒立です。

動画は私の倒立歩行の前進と後退の様子ですが、
前進のときに比べ、後退のときの方が身体がぐっと、まっすぐに伸びています。
この姿勢で後退するのはバランス的にはとてもシビアですが、反面、骨格でまっすぐに体重をささえた状態になるので、楽です。

この感覚が倒立にはとても重要で、
そのためにも、この倒立歩行の後退を練習していますが、

壁倒立で徐々に身体を壁にくっつけて、お腹を壁に触れるくらいまで垂直にしたときの感覚が、まさに、この倒立歩行の後退と同じ状態であり、感覚です。

このときの身体がまっすぐに地面に対して垂直になって、骨格で立っている感覚を身体で覚えておくと、その後の上達が目に見えて違うと思います。

壁倒立はお腹を壁に向けて。

をお勧めします。



2018年4月4日水曜日

「タニタの体組成計を購入しました。」

タニタの体組成計を購入しました。



骨量
体水分量
BMI
体重
体脂肪
内臓脂肪
筋肉量
筋肉点数
基礎代謝

を測ることができます。
なるべく精密に測りたいので、「高性能デュアル周波数測定タイプ」を購入しました。

この体組成計で一番重要視したのが、
測るモードに、一般モードとアスリートモードが選択できる点です。

アスリートモードはほぼ每日トレーニングをやっていて、スポーツのための筋肉ができている人用。測定器から出る弱電流が、一般の人の筋肉とアスリートでは若干差があるということを考えて設定されているようです。
特に差が出るのが、体脂肪率。


エクセルの表は本日の測定結果、各項目スラッシュの
左側はアスリートモード
右側は一般モードで測ったものです。

体脂肪率はアスリートモードで、7.0。
一般モードで12.6となっていますが、
恐らく、今までの自分の測定歴から言うと、両モードの平均より少し下あたり、
9.5くらいではないのかと思っています。

今まで最も体脂肪率が低かった時期が3.0位で、そこから13.0くらいまでを順次経験しているので、大体これくらいだろうと想像しています。

一般モードではこの体脂肪率は「痩せすぎ」
と判定されますが、
BMIがしっかりと21.9なので、これは痩せた結果の体脂肪率の低さではなく、
筋肉量が多く、脂肪量が少ないための低体脂肪率だということが分かります。

両モードで、体脂肪はこれだけの差がありますが、
筋肉点数は同じです。

この筋肉点数というのは、筋肉の質を表した数値。
もちろん高い数値の方が運動能力に優れた筋肉だと言えるそうです。

一応、67という点数は、20代から40代の男性の平均値の上の方で、今年64歳になる自分としては、ちょっと安心しました。

女性の場合は骨量とか、ヨガやピラティスを日常的に行っている方は、筋肉点数をチェックすると良いと思います。

特にヨガは、筋肉量が多くない強い筋肉が必要ですから、筋肉の質はとても大事だと思います。
難易度の高いアーサナを目指す方は、筋力の強化も考慮した方が良いと思います。

現在練習の記録は全てノートに記録してありますが、
それに合わせて、この体組成データも記録しようと思っています。

数値が全てではありませんが、分かるところまでは、数値を把握すると、それによって状況を把握できたり、モチベーションが上がったりします。

この体組成計、私が購入したものは、12,000円でした。
とても良い買い物をしたと思っています。


2018年4月1日日曜日

「倒立国」

先日、海岸で楽しんでいる倒立の練習風景をInstagramにアップしたら、しばらくして、Handstandnation(倒立国)という倒立専門の投稿サイトのオーナーから連絡がありました。

倒立国をフォローして、倒立の写真をアップしないか?
というお誘いでした。
そして、お誘いと同時に、この倒立の写真を、
「今週のピックアップ」
に掲載したいという連絡。

光栄にも、掲載していただきました(写真)。
嬉しかったのは、それだけでなく、
シルク・ドゥ・ソレイユのスターパフォーマーで、倒立のスペシャリストであるスラヴァ・ポポフ氏から「いいね」の評価を頂いたこと。

めったなことでは「いいね」はないので、これは嬉しかったです。

おまけに、掲載された写真の中でも500を超える「いいね」をいただき、上位グループ。現在は551になっています。

Instagramなので、写真も重要ですが、
やはり、プロ、アマチュア関係なく、技量的にもかなりのレベルに達している人ばかりなので、素直に嬉しいです。

ヨガでも倒立でも、私はひとりで練習しているので、常にこれで良いのか?
という不安があります。

それが、一応、間違っていなかった。これで良いのだ。
と分かっただけでもありがたいし、モチベーションになると思っています。

倒立をやるにあたって、
倒立の前には、ヨガの基本的なポーズ、特に片足立ちのポーズをしっかりと練習しています。その効果も出ていると思うので、ヨガをやっていく上でのモチベーションにも繋がっています。


2018年3月29日木曜日

「睡眠力」



人間、物理的、社会的に生きていくために、いろんな力や術が必要です。
生命力、処世術、人間力、生活力、経済力、などなど。
根本は生命力ですが、その生命力の元になるのは、睡眠力だと思います。

短時間睡眠が成功者に多いと、まことしやかに言われますが、
ナポレオンもエジソンも長時間の昼寝をして、トータルでしっかりと睡眠時間をとっていたことが分かっています。

逆に、短時間睡眠の人のその後を長期追跡すると、
早くは壮年期、老年にさしかかったころに突然死や大病で命を亡くしている方も多いです。

睡眠は、質が大事ですが、生活における肉体的精神的負荷に応じて、ある程度の睡眠時間は必要だと思います。

自分の場合は通常、仕事や移動だけの生活だと6~7時間。
10km走って、負荷の大きいトレーニングやったときには10時間は確保しないと、
割りとすぐに破綻が来ます。

自分はスポーツ心臓になって、その後も、心臓は大きいままなので、医者からは運動は止めないように言われています。
ですから、ヨガにプラスして、ランニングと倒立などの自重トレーニングは日課です。

最近ハードなトレーニングをやっていて6時間ほどしか睡眠時間をキープしていなかったので、本日、昼ころから、横になったら起きれなくなりました。
無理したら起きれますが、起きる気力がなかった。

で、仕事は午前中で終わったので、
午後はずっと寝て、先ほど6時頃目を覚ました。
大体5時間ほど、爆睡した計算になります。

今は、すこぶる元気です。
こういう身体の信号は、ヨガではなく、スポーツを長年やっていたので身についたのだと思います。動物のそれに近い。動物は疲れると、昼であろうと夜であろうと、安全な場所で爆睡します。

いわゆる、伝統的なヨーガの先生たちは短時間睡眠の実践者が多く、長生きの方は意外と少ないです。
そのへんは、ヨーガの経験よりは、動物を見習うべきだと思っています。
まあ、長生きが良いとは一概には、言えませんが、ちょっと短命すぎる方が多いです。

多分、現在の主流であるRYTヨガや、アシュタンガヨガの先生たちは、
20年~40年続けた方でも60歳後半くらい。
最古参の先生でもそのくらいの年令だと思います。
だから、年齢的に、まだまだ、現在やっていることが健康長寿につながるのかどうかは分からないと思いますが、

時間を惜しんで睡眠をとらないと、その後の貴重な人生を過ごす時間が短縮されることになると思います。



2018年3月26日月曜日

座法とムドラの建前



日本人のヨガの先生たちは原則論に厳しく、融通が効かず、

坐法はこうである。

このようなときに、ムドラは、このようにする。

ということを、ティーチャーやグルから教えられたとおり主張する方が多いです。

しかし、実際は坐法もムドラもかなり柔軟性を持って、基本、自分がリラックスする方法でやりなさい。

とほとんどのグルは述べています。

しかし、おそらく、どれが正しいのですか?

という質問があるのだと思います。

どれが正しいのか知らないと不安だという

常に正解を求める偏差値教育の悪影響なのかも知れません。



この動画もそうで、ゾクチェンを行うときの座法について、

インタビュアーが尋ねていますが、

僧は、一応、原則として「蓮華座」。

と答えていますが、



その後、

「あぐらでも構いません」

と付け加えています。



実際は、これが通常の教えであり、方法です。



私は子供の頃から、教会やお寺でキリスト教と仏教の祈りを見てきましたが、祈りのときの両手の置き方(ムドラ)

は様々でした。

原則はありません。



Youtubeでインドやチベット、タイなどのお坊さんやヨギの祈りの時の坐法やムドラを見ると分かります。



みな思い思いです。



坐法やムドラも大事ですが、それに極端に拘るより、私は信仰心の方が大事なことだと思います。



一心に祈るということでしょうか。








2018年3月22日木曜日

「寝る前の瞑想」

いつも、この和室で朝、晩、二回、それぞれ20〜30分瞑想するのが日課になっています。
家には雨戸があるので締め切って、暗幕を垂らすと、部屋を全暗黒にすることもできます。海岸沿いの田舎なので、夜は静寂に包まれ、その点恵まれていると思います。

ゾクチェンの暗闇凝視の瞑想のときには、この部屋を全暗黒にします。

普段は、この写真のような低い光、行灯のようなライティングです。天井からの光は瞑想には不向きだと思います。特に蛍光灯はNG。蛍光灯は振動を発するからです。これは、静かに瞑想に入ったときに結構雑音のような振動として頭に響くからです。

私のように年齢を重ねると、睡眠時間が短い、夜中に目が覚めて眠れない。と言った悩みを耳にしますが、寝る前の瞑想は、身体を良く動かして汗をかくのと同様、安眠にとって、とても効果的だと思います。

私は、まず、その日に自分に生じた悪い感情や、嫌な思いなどを、瞑想の中でどんどん吐き出してしまい。つぎに、そこから、ぱっと離れるようにします。

すると、それら悪い感情が再び襲ってきますが、そこが正念場。
襲って来た瞬間に、さっと、躱(かわ)して、消してしまいます。
この消し方は十人十色。

真言密教の阿字観のように、梵字を想像のイメージとして凝視したり、頭の中でマントラを唱えたり。
そのときによって、自分に合うやり方でやっています。

すると、意識はしっかりとした状態で「空」(くう)になります。
その「空」の状態をいかに持続させるか、それには瞑想を続けるしかないと思います。

よく、寝床に入ってから横になったまま、いろいろと思索にふける方がいますが、人間の脳は横になった状態で物事を考えると、メンタルに悪い影響を与えることが分かっています。

大体、そのようなときには、嫌なことや、不安に感じていることを思い浮かべるので、悪影響は、倍加すると思います。

良いこと、楽しいことを思い浮かべながら寝ると良いと云いますが、

私は、それでも、横になってからは、考え事や思索はしない方が良いと思います。これは自分の経験から来るもので、尾を引いて安眠の障害になることが大きいからです。

「空」になった状態で、身体が沈み込むような感じで意識を失う(寝付く)。

これこそ、瞑想の最も大きなご利益のひとつだと思っています。







2018年3月18日日曜日

「強風下の練習」

強風下の倒立 from idehiroyuki on Vimeo.

Instagramで、#ハンドスタンド というタグで倒立の写真や動画が大盛況です。

アップしているのは、ほとんどヨガの女性たち。
よく観てみると、ヨガ教室で、最初から積極的に倒立(ハンドスタンド)を教えているところもあるようです。

みなさん悪戦苦闘していますが、徐々に確実にできるようになっているのが凄い。

以前にも書きましたが、ハンドスタンドは、ヨガでも体操でも、基本のキホンで、最初にやった方が良いテクニックです。
後々、アーサナの習得や、体幹の安定に大いに寄与します。

私もハンドスタンドを日課としていますが、
ずっと続けていると、練習がマンネリ化します。

先日、海岸は風速8m、時々突風のあいにくの天気。
立っていても意識していないと、身体が持って行かれそうになる風でした。

以前、台風一過の風速10mで倒立練習したことがありますが、今回はそれ以来。

向かい風だと、足が押し戻されて、なかなか倒立まで持っていけません。

で、追い風でトライしましたが、
こんどは、足が勢い良く押され、静止できないので、
押された分、歩行することになり、
風が急に止むと、バランスを崩したりで、
前進後退の繰り返し。

あまりおすすめできる練習ではありませんが、
バランス感覚を鍛えるというよりは、
反射神経を鋭くする練習。
という性格が強いと思います。

私のように、著しく、運動能力や反射神経が衰えてくる年齢の人間にとっては、
効果的な練習だと思いました。





2018年3月14日水曜日

「片足立ちポーズ」

片足立ちポーズ from idehiroyuki on Vimeo.
ヨガには、片足立ちのポーズがいくつかありますが、
どのポーズも、インナーマッスル、腹筋を効果的に鍛えるには効果的だと思います。

不安定な中でバランスをキープするという感覚が、
普段使っていない部位を効果的に使うことに繋がります。

腕や脚の筋力というのは、それぞれ独立したものではなく、
体幹からつながって動いています。

体幹の延長です。

ですから、体幹を抜きに腕や脚を鍛えても、実際の動きには効果的ではなく、バランス良く、繋がっていて初めて大きな力となります。

本日は朝から暖かかったので、
早い時間から海岸でヨガをやったのですが、
しっかりと片足立ちのポーズをやったあとに、
倒立、倒立歩行を行ったら、
とても気分良くこなすことができました。

普段は目線は、写真とは逆の水平線に向けています。
無限遠に焦点を定めて、片足でバランスをとる。
独特の感覚ですが、
インナーだけでなく、身体全体を活性化させてくれます。

普段は片足それぞれ二回ずつ。
約30秒キープしています。

2018年3月11日日曜日

「このキャラが愛される理由」


その説教の数々も素晴らしいですが、
やはりなんと言っても、このキャラがみなから愛される所以だと思います。

上は、ブッダガヤを訪問したときのダライ・ラマ14世猊下。周りは警護のインド軍の兵士たち。

下は、ヨガのB.K.Sアイアンガー師とハグする猊下。



「私はだたの普通の人間だ」

というのは猊下の言葉ですが、全くそのとおり。

麻原彰晃にころりと騙されるようなその人の良さが、
益々猊下のファンを増やしていきます。

輪廻転生制度に疑問を呈し、やめるべきだとコメントしたり、鳥葬を、批判したり、
結構、パンクな革命家なのかも知れません。

しかし、中国がチベットに侵攻して、併合しなかったら、
チベット仏教はほとんどチベットから外には出なかったと言われています。

ダライ・ラマ猊下も、
中国の併合がなかったら、チベット仏教はポタラ宮の中から外には出ずに、私はこれほど、世界中で名前を知られる存在にはならなかっただろう。

とおっしゃっていました。
猊下はすでに、インドで過ごされている時間の方が長くなり、自らを、インド人に近いとおっしゃっています。

インド仏教がインド国内で滅ぼされて、チベットに移り、それが、またインドに戻ってきたということを考えると、大きな運命と、因果を感じます。




2018年3月7日水曜日

「変わる死生観」

先日、日本で、生命維持装置によって延命されるよりは、自然死を望むひとが急激に増えているという記事を目にしました。
その記事に触発されて、
たまたまチベット仏教の事を調べていたので、チベットにおける死生観の一側面を現していると言われる「鳥葬」についても調べてみました。
鳥葬は、チベットにおいては今なお行われている遺体の処理方法です。
遺体をナタで切り刻んでハゲワシに食べさせる遺体処理方法です。
実はチベット仏教においては遺体はただの抜け殻です。
これはインドにおいても同じ考え方です。
ヒンドゥー教でも仏教でも同じです。
ですから、インドには、イスラム教徒を除いて、お墓がありません。

魂が抜けた物体は、ゴミ同然。
その考え方は諸行無常の仏教の死生観そのものだと思います。
その点、日本の仏教的考え方、遺体を仏様と言って拝むような考え方は異質だと思います。

以前から興味があって、鳥葬の写真を数多く見てきた私は慣れていて平気ですが、所謂文明国の方たちには、ショッキングなビジュアルなので、ここでは省略しますが、実は、死生観の反映であると考えられていた鳥葬が、そうではなかったと知ることができました。
海がないチベットにおいて、遺体の処理方法としては、土葬、火葬がありますが、土葬は、墓地から地下水脈や川に流れる汚水が疫病の原因になっていたそうです。これは、私が仕事で行ったイングランドやオーストリアでも同じした。そういう話を聞くことができました。
多くの人が亡くなり、
19世紀まで問題になっていたそうです。
だから、チベットでも、土葬は生きている人の安全面からも中止された。

火葬ですが、チベットは高地にあって、森林がほとんどない。

ということは木材は貴重品。だから火葬に使われる薪はなかなか入手できない。
薪を使って火葬されるのは、高僧に限られていたとか。

だから、残されたのは「鳥葬」なんだそうです。

ただ、イヌイットの社会で、長生きしすぎて、家族の負担になった老人が、進んでシロクマのエサになったのと同様、鳥葬も、生前、動物の命を頂戴して生きていた人が、その骸を動物に捧げるという意味もあるそうです。

そういう意味では、最近まで文明国で行われていた水葬もそれに近いものがあると思います。

水葬では遺体は魚のエサになる。

私は、遺骸は魂の抜け殻、ただの物体だと思います。

その最も有用な活用方法は、鳥葬や水葬で、動物のエサになり、彼らの生命維持に貢献することだと思うようになりました。

2018年3月6日火曜日

「高野豆腐のお導き」?


先日夕方、高野豆腐を煮ていると、玄関のチャイムが鳴り、
「どなたですか?」

という私の問に答えた女性の声がよく聴き取れませんでした。

もう一度聞くのも面倒だったので玄関を開けると、
そこに、いたのは、久々の「エホバの証人」勧誘の女性二人組。
毎度のことで、その雰囲気ですぐに分かりました。

先輩格と思しき女性は、開口一番、
「いい香りですね」。

私も反射的に
「高野豆腐煮ているんですよ。いい香りでしょう?」
と応えると、ちょっと和んだ雰囲気になりました。
と、
先輩格は、気を取り直したように、
布教の決まり文句を並べながら聖書の話を始めました。

私は、きりの良いところで、
「私もカトリックの洗礼を受けているんですよ。うちは父方が隠れキリシタンで、母方は浄土真宗、父方の実家は、仏壇の裏にロザリオが置いてあるような環境でね。仏陀もジーザスも私にとっては、同じ先生。」

と話を始めると、先輩格は布教の話を忘れて、ポカーンとなりました。
キリストも仏陀も預言者。神と呼ばれる自然の摂理、天の運行は、たったひとつ、それらを分かりやすく説明してくれたのがモーゼであり、キリストであり、仏陀なんです。
と、私は高野豆腐の香りが充満する玄関でとくとくと話を続けました。

すると、先輩格も、後輩も、なんとなく納得したようで、
ありがたいお話をありがとうございました。
と、布教のことは忘れて、平和な表情に包まれて去って行きました。

これで何度目になるのだろう?
「エホバの証人」と「ものみの塔」の布教のおばさんに説教をしたのは。いつも同じような話をしているので、覚えていませんが、結構な回数になると思います。

おばさんたちが、自分たちが信じていることで幸せだったら、こちらとしてもとやかく言う筋合いの話ではありませんが、彼女らが単純に信じている聖書の解釈は、意外と脆弱。聖書史的、歴史学的なつっこみ方をすると、驚いたり、不安になるところを何度も見ています。

ですから、少しでも、彼女らの今後のためにと思っていつも説教をしています。

と言っている自分も、なんとなく、自分に説教しているようで、襟を正すことになります。

宗教とは自分の外の世界の事であって、最も大事なのは、自分の内側の平和。

本音は自分の内側、建前は外側。

教義は他の宗派や宗教との差別化のための方便であって、自分の内側とは関係はありません。

ですから、宗教がうまく生活に根付いているところの人達は本音と建前をうまく使い分けます。イタリア人、メキシコ人、インド人を見れば分かります。それが下手な代表が日本人。真面目に原理主義的になってしまいます。

精神的な世界を「勉強しよう」、「理屈で分かろう」とするからです。

どこを調べても、回答がない事だらけです。
世の中のほとんどのことは「分らない」世界。

それらの辻褄をあわせるためにも、本音と建前を使い分けることは大事です。

本日もおばさんたちに説教したことで、いろいろと考察することになりました。人に教えるということは自分に教えること。ヨーガの先生でも、そう言う方は多いです。
そう言えば、高野豆腐。高野山が起源。
仏陀がおばさんたちを導いたのかも。などと妄想に耽っています。

2018年3月3日土曜日

「様々な学び」

倒立歩行:足を揃える from idehiroyuki on Vimeo.
筋トレと、バランス感覚、調整能力を鍛えるための練習を兼ねて倒立系を練習していますが、
その中でも最も調整能力を鍛えてくれる倒立歩行。
理論はほとんどない、身体の反応だけの世界です。

歩いている時は自分はどんなポーズで、どんなバランスのとり方をしているのか想像がつかないのですが、動画にすると良くわかります。

足で歩いているときには、手を振っています。
手を振ることで、バランスをキープしています。
もし、手を振らなかったら、結構ギクシャクしたバランスの悪い歩き方になると思います。

倒立歩行も、大体、足は前後左右に開いて、片足か両足を曲げて振るようにして歩くのが普通です。しかし、サーカスや体操などで、様々な次の技につなげたりするには、
できるだけ足を広げず、動きも大きくならないようにします。

3月に入って、足を閉じて、振らないようにする練習を始めましたが、これが、ちょっと形容し難いやっかいさ。

ただ、足を広げないようにすると、左右へのバランスの崩れがなくなるので、ターンがとても自然になる。
なるほどな。閉じて歩く練習をやらされる訳だと、納得しました。

まずは、綺麗な静止倒立のまま、しっかりと歩行できるようにすることを目標にしました。こういう練習は、スタートの目線の位置。身体の重心の位置を常に感じること、意識の置き所など様々な学びがあります。





2018年3月1日木曜日

「ヨーガ修行中の仏陀」


昨晩、我が家の石仏とその由来についてInstagramにアップしたら、世界中からいろんなコメントを頂き、その中に、中国人女性のコメントがありました。

彼女は弁護士をやめて、世界中を旅して写真を撮っているようで、必ず私のアップした写真を見てくれてコメントも時々くれます。

その彼女が、多分繁体字、簡体字が混在したものだと思いますが、中国文化圏で一般的な般若心経を送ってくれました(写真)。


私は日本仏教の漢語とパーリ語・サンスクリット語の般若心経は全て暗記しているので、繁体字のものでも、象形と発声ですぐに分かります。

しかし、これを見ていると、自分は漢字文化の人間だなと感慨深くなります。
どこか、遺伝子に訴えるような文字の趣。
ちょっと感動してしまいました。



我が家の石仏は観自在菩薩という、山上でヨーガの修行をしている仏陀が弟子に般若心経を説いているところのイメージです。約200年前に中国の西域で掘られた石仏です。100年前に中国に住んでいた祖父の遺品です。

ヨーガは仏教においてもヒンドゥ教同様、修行のひとつとして重要な地位を占めています。特にチベット仏教においてはそうです。
ですから、ヨーガは紛れもなく宗教です(ヨーガを欧米の体操文化と結びつけ宗教からうまく切り離したのがクリシュナマチャリア師とその弟子です。ですからその後のヨーガはヨガと呼ばれ、古来のヨーガとは繋がりはなく、区別されています)。

仏陀は、ヒンドゥー教ではビシュヌ神の化身のひとつだとも言われています。
般若心経はサンスクリット語のオリジナルを玄奘が漢訳したとなっていますが、実は、オリジナルは漢語で、それをサンスクリット語に翻訳したものだという説もあります。
というのも、般若心経のサンスクリット原典は未だに発見されていないからです。
その玄奘が漢訳した、般若心経に最も近いのがこの写真にある般若心経かも知れません。
シンガポールに住む中国人女性や欧米の仏教徒からも反応がありました。
SNSは、こういうところが面白いし、凄い。
バーチャルなSNSの世界ですが、その向こう側には、リアルな人間の生活と信仰があります。

2018年2月26日月曜日

「転生」


先日、FBフレンドが、面白い記事をシェアしていまいた。

二歳になる娘さんが、ある日、自分は、生まれる前、ご両親がずっと前に飼っていたフェレットだったと喋り始めたという内容でした。その娘さんが生まれた頃にはもうそのフェレットは死んでいて、娘さんはそのことを知らない。ですからご両親はとても驚いたそうです。

同じような話を本でも読んだことがあります。

作家のポール・オースターがアメリカの新聞に掲載された不思議な話を集めた本がありますが、その中のひとつです。

ニューヨークで、夫を亡くした老婦人が、ある日の夕刻、夫とよく行っていた劇場に徒歩で向かう途中で、家の前からずっとあとをつけて来る犬に気がついたそうです。

そして劇場に着いたときにふと振り返ると、ちょうど犬がいるところに亡くなった旦那さんを幻影を見たそうです。

その本は、このような話を約数十年に渡ってアメリカとヨーロッパから集めたものですが、ポール・オースターファンの村上春樹が後に、同じように、日本の不思議な話を集めたのが、「東京奇譚集」です。

以前、ある、旧盆に入った日の朝、雨戸を開けると、目の前に美しいアゲハチョウが止まっていて、逃げもせず、ゆっくりと羽を広げたり閉じたりしていたことがあります。

その時に、なぜか、「ああ、祖母が蝶の姿を借りて会いにきてくれた」と、胸が熱くなったことがあります。

魂は存在すると思います。そして、上述のフェレットや犬の話を聴く度に、魂の存在を確信します。



2018年2月23日金曜日

「様々な条件下でのアーサナ」

倒立歩行 from idehiroyuki on Vimeo.

最高気温が10度前後の日が続きますが、
春は確実に近づいていると感じます。

家でアイアンガーヨガのハタヨガ基本ポーズをざっとこなし、
5km海岸を走って、トータル200mの倒立歩行を練習しました。
倒立歩行でもやらないと、身体が冷え切るからです。

まだまだ北風東風が冷たく、こめかみが、そして、その奥にある三半規管も冷えます。
三半規管は身体の平衡を司る器官。そこが冷えると、目眩に繋がるだけあって、
バランス感覚も微妙に狂い、頭と身体のテンポがずれてきます。
それをごまかし、なんとかする。

こういう悪条件はケガにも繋がりますが、
運動もアーサナも、様々な外的条件で行った方が、
身体に染み付き、いろんな発見があります。

チベットやネパールのヨギたちが岩山を駆け巡ったり、
昼間なお暗い洞窟で瞑想を行ったりする。
そのような体験は、できませんが、自分を日常とは違う環境に追い込むのは
工夫次第だと思います。

この日の倒立歩行200mで何を得たのかは分かりませんが、
確実に感覚のどこかに残っていると思います。

そういう感覚の蓄積が、ある日、自分の何らかの覚醒に繋がる。
それが密かな楽しみです。

※動画は1.5倍速です。




2018年2月21日水曜日

「人間の寿命について」



上記のリンク先の記事を見てすごく納得しました。


日本人の平均寿命。

1947(昭和22)年 男性 50.06歳、女性 53.96歳。
1970(昭和45)年 男性 69.31歳、女性 74.66歳。

私は、1954年生まれだから、
私が生まれた頃は、大体男性の平均寿命は、この数字から推測するに、
50歳代後半。
父と従兄弟を見渡すと、父のみ80歳。
従兄弟たちは、ほぼ50歳までで亡くなったと、生前父が言っていました。

その頃には、現在のような親の介護で仕事をやめるとか、
介護疲れみたいな「悲劇」は、新聞でも見られなかったし、
もちろん、自分の周りでも聞いたことがありませんでした。

この記事に興味あることが書いてあります。

「人間には親をみるというDNAがないからよ。あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」

私もこれは当たっていると思います。

かつては日本全国には姥捨て山が存在したし、
イヌイットの世界では、平均寿命を大きく超えてコミュニティの負担になった高齢者は、
ある日、悟ったように、氷原に出かけていったそうです。

そして、生きたままか、凍死して、シロクマのエサになる。
シロクマは厳寒の冬は座礁したクジラや、この老人たちの遺体を食べて生き延びる。
大自然の循環の一部に身を捧げるという行為にも通じるのか。
とこの話を聞いたときには感心しました。

そうやって、短い寿命で人生を終えるか、
不幸にして高齢に達した老人たちは、
上記のような方法で、高齢者は、若い世代の負担にならないようにしていたわけです。

それが、ここ数十年で大きく変化。たった数十年で、それまで何千年も変わらなかった変化が訪れたわけです。

それだけの変化に、老後の事を何とかしろ、と国に言っても、それには限界があると思うし、
一番の原因は、長寿になったこと。これにつきると思います。

平均寿命が世界一になったと言って喜んでいる、日本人の感覚があまりにずれていて
日本人の私にさえ理解不可能。

私は母が認知症で大変なことになったから実感していますが、
例えば夫婦で、それぞれの両親を介護することになった場合、
仮に夫婦とも長男長女だったら、どんなことになるのだろう。
まず、肉体的にも精神的にも、経済的にも短期間で破綻破滅だと思います。
一人っ子が多い時代なので、この悲劇は現実的。

食生活や医学、衛生学の変化が我々にもたらしたものは、とても歪だと思います。
それは進化かも知れないが、人間という生物の一生ということから考えると
不自然極まりないおせっかいな事だったと、今になったら感じます。

自分が、この歳で、歳不相応なトレーニングやっているのは理由があります。
ひとつは死の直前まで元気に生きられたら。と思うこと。
即身仏的な生き方です。
そうすると、周りの人にかかる迷惑は少なくて済むし。

もうひとつは心臓肥大、かなりの低脈拍、不整脈の身体だから、運良くばポックリと思っているからです。
ですから、身体への負荷ということはほとんど考えていません。
まだまだ死にたくないですが、死んでも、それはそれで良いのかとお気楽に考えています。

もし、ガンになったら、一切の治療はしない。
ガン保険はとっくにやめました。

免疫学の故安保徹先生が、ある程度の年齢になってガンになったら喜びなさい。
老衰死て苦労しながら生き延びるより、その方が人間らしい。とおっしゃっていた意味が最近良くわかります。

太く短く生きると言うのも理解できますが、
過度の不摂生は良くないです。
知り合いの看護師さんが、
そういう人は例外なく、周りの人間に多大な迷惑と
社会保険に大きな負担を残して亡くなっています。
とおっしゃっていました。
太く短くの人には惨めな終わりが待っていると思います。

まあ、死に方はなかなか自分では選べませんが、
自分の身体は神様からのレンタルだと考えている自分には、今の生き方が合っているような気がします。

2018年2月19日月曜日

「心の中のものを吐き出す・ゾクチェン」

「心の中のものを吐き出す・ゾクチェン」

チベット密教のヨーガ修行にゾクチェンというものがあります。瞑想法のひとつですが、その源流はアボリジニやなどの太古の原住民の古い記録にも残っているそうです。

ですから、ヨーガよりはるかに古い起源を持つ最も古く、根源的な瞑想法と言われています。

この瞑想法を行う前にやらないといけない行があります。
それは、裸になって森のなかに一人で入り、そこであるだけの力を振り絞って、思いつく限り汚い言葉を大声で叫びまくること。

仏陀は、何かを自分の中にいれるときには、自分の中にある何か他のものを捨てないといけない。

と述べていますが、全くそのとおり。

ゾクチェンのこの行は、自分の中にある毒、邪心などを吐き出すという意味合いがあります。裸で大声を出して、身体の中の毒を出すわけです。

この、大声の行のことは、最近、中沢新一氏の本で読んだのですが、実は、自分は、そうとは知らずに、ずっと、この行を年に何回かやっていました。

以前のアカウントの時に一度書いたことがあります。

私は夏になると、5kmほど走ってきて、茅ケ崎の広大な砂浜で、周りに人がいないと。もし、いても声が届かない距離だと、着ているものをさっと脱いで、海パン(ランニングの時は下着はいつも競泳のパンツです)ひとつになって、雄叫びを何度も上げながら、全力疾走して海に飛び込んで、全速力で100mほど沖に出て、そこで、再び、雄叫びを何度も上げていました。

これは実に気持ちよく、その後しばらく、瞑想やヨーガは特別な幸福感に包まれていました。そして、この、好戦的で短気な自分にしては、信じられないくらい心穏やかに、ひと夏くらいは過ごせたのです。

自分がお世話になっていたKカラテの練習でも、道場ではみな、ほぼ雄叫びに近いような「気合」を出し続けていました。これは、Kカラテの伝説になっている最高師範の元で、このような雄叫びにも近い気合を出し続けないと体力も気力も続かなかったからです。

竹刀を持って、後ろに立たれると、みな、その気合は、悲鳴に近いものになっていました。気合が少しでも足りないと、容赦なく竹刀が飛んできたからです。

そして練習が終わると、何ものにも代えがたい幸福感にみたされていたのを思い出します。

物理的に大声を出して、周りにだれもいなければ、思いつく限りの汚い言葉でわめく。
これは、とても効果的なデトックスだと思います。
思いつく限りの「思いつく」は、過去に、自分が心の中で思ったりしたことであって、そういう悪感情は意識下で沈潜しているからです。

それを吐き出す。
吐き出した直後、はっとします。
こんな汚い言葉を吐いた。
しかし、今、出ていったゾ
と。

余談ですが、麻原彰晃もゾクチェンの修行をチベット、ネパールでやっていて、その修業は現地で高く評価されていました。

しかし、その修業は全く生かされずにテロリストに成り果ててしまいました。

基本的に、自分がやっていることを過大に評価して、その見返りや他人の評価を期待する人は、修行したことを、その評価や自己顕示の道具にする傾向があります。

麻原彰晃を褒めていた中沢新一氏も、そのことをチベット仏教の師に指摘され、その後、ぴたりと、ワイドショーやテレビのゲストから姿を消しました。

中沢新一氏もオウム真理教当時に言っていたことと、その後は全く変わったと思っています。

この「大声、雄叫び」の行。
ゾクチェンのつまみ食いと言えばそれまでですが、
これだけでも、素晴らし効果があります。

しかし、くれぐれも人がいないところでやってください。笑。