2015年12月30日水曜日

「ヨーガのビーナスと呼ばれたスーパーモデル」

時代が変われば
何事も変わって行く。常に変化する。
と頭では分かっていても、具体的に自分の回りでどのように変化するのかなかなか分からない事の方が多い。
この写真は、90年代にスーパーモデルのアイコンとして活躍したクリスティ・ターリントンだが、
自分は、90年代には天上の人みたいな感じで、ヴォーグやバザーに登場する彼女を観ていた。
その彼女を2001年に撮る事になった。
驚いたことに、彼女はヨーガの世界で有名になり、
その関係で来日していた。
その頃、自分も既に、20年以上のヨーガ歴があったので、
その事を彼女に伝えると喜んでくれて、いろんな話を聞く事ができた。
彼女は、絶頂期に、精神的なスランプに陥って、すがるようにヨーガを始めて、大学で哲学(記憶が正しければ)を学び始めたそうだ。
目の前にいる、聡明で落ち着いた光を讃えた彼女の目は、90年代のスーパーモデルだった頃の彼女とは全く違っていた。
これは彼女の個人的な変化だろうか?
と考えたが、いや、これは時代が変わっていくことに対して、彼女が整合性がとれなくなったのでは?
それに対して、彼女が自分自身に変化を求めたのでは?
と、その後、考えるようになった。
特に時代の最先端にいる彼女だから、敏感に感じたのかもしれない。
彼女がヨーガの世界に入ったころから、アメリカのヨーガシーンは活発になった。
その頃に全米ヨガアライアンス協会もできた。

(c)Hiroyuki Ide,  Christy Turlington for Marie Claire Japon 2001

「本日の昼食です」
ほとんど作り置きです。
高野豆腐、納豆、自家製のカブと大根の糠漬け。
雑穀ごはん+黒ゴマ、具沢山の味噌汁、切り干し大根の炒めもの。
ほぼ、高野山の僧侶の精進料理に近いと思います。

これは、スタミナ食でかなり威力がある食事です。
これで、1時間ランニング、1時間筋トレ、1時間ヨーガのルーティーンでも、次の日には疲れが全く残らず、
体脂肪は減り続け、筋肉は増えています。
身体がとても軽くなります。

午後から今年最後の仕事にとりかかります。

2015年12月29日火曜日

「hathayoga.jp」
自分のヨーガのHPを作ろうと思って、ドメイン名を買うために検索をしたら、
まさかまさかの hathayoga.jp (ハタヨガ.jp)
という、ずばりそのもののドメイン名が未使用だということが分かり、
即買しました。

以前、整体の先生たちにヨーガを教えていたことがあり、現在も習いたいという方もいるので、ゆくゆくは土日だけでも、自宅で教室を開きたいと思っています。
春〜秋は近くの海岸で海ヨーガもできます。

自分のヨーガは、どちらかというと、コンディショニング+筋トレ系なので、
バレエや競技をやっている方が中心になりそうですが、
少人数個別指導形式にしたいので、全くの初心者の方も受け入れられると思っています。
マイソールスタイルのような感じが理想ですね。

自宅で、多分5人はできると思うので、まずは身内で始めたいと思っています。
ブログのタイトルはアシュタンガ・ヨーガですが、
基本的にオーソドックスなハタ・ヨーガやクンダリーニ・ヨーガの経験が長いので、それらを応用したものになりそうです。
まあ、いろいろとメソッドを考えるのも楽しいですが、
基本として、「強い身体」を作っていくということをモットーにしたいと思っています。
これが、来年への抱負かな。
エキサイティングな2016年にしたいと思っています。

2015年12月26日土曜日

「ヴィーラバドラアーサナ(バリエーション)」

久々のヴィーラバドラアーサナ。
バランスをとろうとするよりは、「勇者のポーズ」のように、
手先と足先が前後に引っ張られるような意識でやってみました。

その方が身体が前後に開いて美しいと思います。
バレエの方がヨガをやると、とても美しいです。
常に手先足先に意識がいっているからだと思います。

手先足先は大事なセンサーでもあるので、その形と、向く方向はとても大事だと思います。

2015年12月25日金曜日


 「ロラ・アーサナ(Lorasana)のリフトアップ」
一見何のことはないようなアーサナですが、やってみると、どこにどのように力を入れたらよいのか分からない、捉えどころのないアーサナだと思います。
コア、それも深層腹筋を使っているのだと思います。ただ、しっかりと背筋と上腕三頭筋も使っています。
ジャンプスルーで、使う筋肉ですね。
結構きついです。

写真上の姿勢から、正座の形の足を状態に引きつけてリフトアップしています。
足をクロスさせるやり方もありますが、私はいつも揃えています。
あと10cm高く上がるようになりたいです。

ジャンプスルーも、揃えてやっていますが、まだ、高さが足りないので尻もちになっています。あっ、技術も足りないか。笑。


2015年12月23日水曜日

「アルダ・バッダ・パドモジターナアサナ」
名前からして、舌を噛みそうなパーリ語。
とってもインド的なアーサナだと思います。

左足・片足、右足・蓮華座で立って、右手で、胴体越しに、組んだ右足の指を掴みます。

姿勢も重要。左手はぴったりと床に付いていないと不安定、
足も曲がっていては、ジオメトリー的にも美しくないです。

逆もセットで行います。

いつも無意識にやっていますが、写真にすると知恵の輪状態。笑。

私の経験から来ていますが、実は、このアーサナ、逆転系(逆立ち系)のアーサナの前にやっておくと、とても調子がよいです。お勧めです。


2015年12月20日日曜日

「コルカタとニューヨークは似ている」

と1970年代から1980年代までコルカタに住んでいたアメリカ人が私に語りました。
インドとアメリカ、何が似ているのだろう?
と思ったまま時は過ぎて行き、そのことは忘れてしまっていました。

1980年代の後半、ニューヨークに住んで仕事をしていた私は、早朝、用があって、チャイナタウン方面に歩いていました。前日まで零度くらいだった気温が、寒波の襲来でマイナス16度まで急降下して、厳しい寒さでした。

人気のない3rdアベニューを歩いていると、通りの隅に立っていた白人の青年が私の方を見て、目配せをしました。

彼の目線を追うと、そこには人が倒れていました。
私はすぐに、それは凍死者だと分かりました。
その凍死者は身体が小さく、少年だということは容易に判別できました。

私は、恐る恐る遺体に近づき、背中をこちらに向けていた少年の顔を覗き込みました。
少年はアフリカ系アメリカ人(黒人)でした。
私は、ショックより、なぜか、その少年の黒い顔に刻まれている白い2つの線のような傷に好奇心を奪われました。
しかし、すぐに、それは、目から、頬を伝わって流れた涙が凍って顔に付着した白い線だということが分かりました。

その少年が凍死する瞬間、どういう気持だったのか想像することに、反射的に拒否感を覚え、私は、直ぐにすぐにその場を立ち去りました。

その日、ニューヨークでは、多くのホームレスが凍死しました。
ニューヨーク史上、最も不景気で治安が悪く、多くのホームレスが集中していた時代です。
救急車では対応できずに、ゴミ収集車が遺体回収に出動しました。

こういう光景が、1970年頃のインドのコルカタでも見ることができたそうです。
コルカタでは凍死ではなく、餓死と病死です。
彼が、コルカタとニューヨークは似ていると言った理由がそのときに分かりました。

急に寒くなると、いつもこの事を思い出して、深夜、目が醒めることがあります。
いつの時代も、世の中は、こういう悲劇に溢れています。
きっと、マザーテレサもこのような光景を日常的に目にしていたのでしょう。

仏陀やキリストの教えもこういうところから来ていると思います。
輪廻転生、カルマ、もそうでしょう。
平和なところから宗教や、深い思想は生まれないと思います。

写真は、12月、当時のニューヨークのダウンタウンの様子です。
ちょうどインディアンサマーで穏やかな気候のせいか、人々の表情も平和そのものです。

photo(c)Hiroyuki Ide

2015年12月19日土曜日

「ヨーガのための筋トレ」

今までヨーガをやっていくために筋トレをしたことはありませんでした。
しかし、やはりアシュタンガ・ヨーガで登場するアームバランス、ハンドスタンド系のアーサナを余裕を持って行うには、筋トレが必要だと、最近感じるようになりました。
筋トレと言っても自重トレーニングです。

今のところ、筋トレとしては、倒立したままの腕立て伏せ10回×3セット。
両手の指を組んだままの腕立て伏せ50回
ピラティスのティーザーを30秒×3セット
そして、手首ですが、これだけは軽いダンベル使います。

手首は本来、鍛えようがないのですが、少しは強くなるので、
腕を膝の上に固定して、5kgのダンベルを持って手首を内側に軽くカールさせます。
これは柔道の選手がよくやっている練習です。
その人の力によって、例えば、ダンベルのバー(約1kg)だけでも十分効果はあります。

ハンドスタンド、アームバランス系は、腕の裏側の筋肉(上腕三頭筋)、肩の筋肉、背筋を多用します。
手首も、痛めたら、ゼロに戻すだけでも相当な労力と時間が必要です。
筋力があれば、余裕をもってアーサナができるようになりケガも避けることができます。

これには、上記の筋トレが、自分にとっては最適だと思っています。

これらの練習、トータルで15分くらいで終えます。

しかし、結構な負荷なので、毎日やると、年齢のせいか翌日が全くダメ。
で、
一日置きにやるようにしたら、結構調子が良いようです。

夜練習したら、練習直後と寝る前にヨーグルトを摂取。
これが意外と効きます。
筋肉の修復には、一般に30分以内に摂取すべきだと言われています。

プロテインでも良いのですが、
やはり、ヨーグルトの方がお手軽で安い。

翌朝、お腹がもたっていることもありません。
この程度の筋トレでも、結構短期間で効果が出てきています。

自分流のヨーガ上達法です。






2015年12月18日金曜日

「天使の梯子」
今朝の茅ヶ崎は気温5度。
ここまで下がると水行(みずぎょう)が気持ち良いです。
水行とは、冷水を浴びることですが、
浴びたあとに、温水シャワーを浴びて、最後にまた冷水を浴びます。
冷水を浴びると、皮膚が火照ってきます。
その後、炎の呼吸法、カパラバディで、身体を芯から温めます。

この写真ですが、
このような雲間から放射状に照らす光を天使の梯子(はしご)と言います。
大体時間的には午後3時〜4時くらいに出ることが多いようです。
場所は湘南の辻堂海岸付近。うちから歩いて20分ほどのところです。

今まで何度も目にしましたが、この天使の梯子は、印象的でした。
この天使の梯子がでるときに、なぜか、錫杖の錫の音のような音がすることがあり、
自分の空耳だと思っていたのですが、海岸で出会う方や、近所の知人にその話をすると、
ほとんどの人が聞いたことがあると言います。

で、フェイスブックにも書いたら、やはり、聞いたことがある方がいらっしゃいました。
この音がすると、時間が止まったような感覚になり、不思議な気配に包まれます。
ほんの短時間ですが、この世のものとは思えない雰囲気になります。

昔の方が「天使の梯子」と言っただけに、何かがあるのかもしれません。
(c)photo Hiroyuki Ide

2015年12月17日木曜日

「アヴァローキーテシュバラ・ボーディサットヴァ」

このボーディサットヴァ(観自在菩薩・水月観音)を実家からうちに運んでくるのは一苦労でした。
西域で彫られた美術品(石仏)で、清の時代のものです。
中国に住んでいた祖父が1930年頃、日本に持って帰りました。
持って帰らなかったら文革で破壊されていただろうと華僑の方がおっしゃっていました。

推定重量は150kgほど。最初に乗せた重量物用の台車はまっ二つに折れました。
狭い台座に150kgの重量が乗っかっているので前代未聞の重量感だと業者は驚いていました。

専門の業者3人でワンボックスにリフトアップして、私と、東北から出稼ぎにきていたおじさん二人で、毛布でくるんだボーディサットヴァを倒れない様に抱きかかえていました。

車が右左折すると、大きな慣性モーメントで二人で支えるのがやっと。
急な角を曲がった時に、その出稼ぎ叔父さんの方に菩薩が傾き、私はあわててサポート。

叔父さんは、一瞬その重さに苦しそうな表情を見せましたが、菩薩を両手に抱えてとても幸せそうな顔になりました。

なぜかその叔父さんの表情が今でもリアルに記憶に残っています。
そして、菩薩の設置も終わり、業者さんを見送りに表に出ました。

業者さん3人は丁寧にお辞儀して去って行きましたが、
その3人の幸せそうな表情が今も忘れられません。

祖父が毎朝読経していたように、今朝も、パーリ語(サンスクリットの口語体)でPrajnaparamita(般若心経)を読経しました。
一日の始まりです。

みなさまよい一日を。

(c)Hiroyuki Ide


2015年12月16日水曜日

「ルーティーン」

フィジカルトレーニングも、
小学校高学年の頃から50年以上続けているルーティーンです。

武道、マット運動、競泳、自重トレーニング、ストレッチ、ヨーガ。
子供の頃から、飛んだり跳ねたり、ひっくり返ったりが大好きで、
サーカスに売られそうになったこともあります。笑。

あと、3日で61歳になりますが、60歳を迎える直前ほどの感慨はありません。
越してしまえば、後は70迎えるまで、同じだと言う気がします。

ボリショイバレエのプリマ、マヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」を見て、感動したとき、プリセツカヤは60歳でした。

60歳でも、こんな踊りが可能だ。
と、芸術性はもちろんのこと、フィジカルにも驚きました。

フィジカルや運動神経が衰えるのを、自分は認めたくありません。
衰えるけど、認めたくない。
精一杯それに抵抗したいと思っています。

抵抗する。と言ったらネガティブですが、
どこまで、神様からレンタルしているこの体が輝いていけるのかを見てみたい気がする。

今日も、トレーニング。
写真は、家から約300mのところにある茅ヶ崎海岸の風景です。

みなさまよい一日を。


2015年12月14日月曜日

「インド古来のヨーガ」
と現在、発展しているハタ・ヨーガをはじめとするヨーガ(アシュタンガ・ヨーガやクンダリーニヨーガなど)は、ほとんど繋がりがないと、私がヨーガを始めてから、何度か先達から聞いたことがあります。

一番良く聞くのは、インドが大英帝国植民地時代に、ヨーロッパのスウェーデン体操などがYMCAや伝道師によってインドに持ち込まれ、それがインドの格闘技と結びついて、近代ヨーガができあがったというものです。

ですから、クリシュナマチャリアやパタビ・ジョイス、アイアンガーのヨーガは、インド古来のものではなく、繋がりも薄いということになります。
アジア欧州折衷の、新しい文化だとも言えます。

私もそう思います。アイアンガー師は、インド陸軍でマーシャルアーツ(軍隊の格闘技)を教えていましたし、アイアンガー師のロング・インタビューを聞いても、古典ヨーガの話は出てきません。

私は、大学で歴史や宗教学を勉強していて、歴史には興味がありますが、どうしてもヒンズー教と近代ヨーガの繋がりが希薄で、不自然なものだと感じてきました。

ですから、本来の意味における本当のヨーガの姿は、「ヨーガ・スートラ」に代表される教えにあると思っています。
そして、その「ヨーガ・スートラ」の古典的ヨーガとアシュタンガヨーガ等を含むハタ・ヨーガとは関係が希薄だと思っています。

近代ヨーガは、良い意味で宗教色が薄く、私は、敢えて、精神的なものをヨーガには求めてきませんでしたし、今も求めていません。

それは宗教の役目だからです。特に自分は洗礼を受けていますし、仏教にも帰依しているので、精神的な拠り所はキリストであり仏陀です。そして、その信仰生活において、ヨーガは役に立っている。という感じでしょうか。

インドのサデュたちが、ヒンズー教の修行で行っている生活の中のヨーガが、本来のヨーガなのだと思っています。宗教の修行の過程において、実践されるのが古典ヨーガだと思っています。サデュたちは、ヒンズー教徒であり、ヨーガ教徒ではありません。そこが大事だと思います。

ヨギだった麻原彰晃がチベット仏教へと移り、最後は自分でオウム真理教を創設したというのは、近代ヨーガが、精神的な拠り所には成り得なかった。手段であった。ということのひとつの証明だと思います。


wikiにこうあります。
現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している[6]。

「後屈」
ハンドスタンドのサソリのポーズ完成を目指して、後屈のストレッチ。
昔から、なぜか、前屈より、後屈の方が柔軟性のある身体なんですが、
なんせ、歳が歳。
さぼるとすぐに固くなります。

しかし、続けていると、次第に柔らかくなっていくのが分かります。
昨日から、定点観測で、柔軟の具合を記録し始めました。
ここでもアクションビデオカメラが大活躍、
最も曲がったところを静止画で切り取っています。

進化の具合が分かりやすく、モチベーション上がります。

後屈は、いろんな箇所の柔軟が必要なので、
各体のパーツを意識しながら、呼吸法を伴いながらやっています。
毎回気づきがあって面白いです。

2015年12月13日日曜日

「肉食に頼る身体は脆い」

格闘技の中で、理屈抜きで真の強者を決定する「総合格闘技」。
あらゆる武道、格闘技の中で、
私はムエタイと、この総合格闘技が一番好きです。

そのトップクラスの選手にベジタリアン、それもヴィーガン(最も厳格なベジタリアン)が増えています(写真)。
これは一般の主義主張によるベジタリアンとは少し違い、ベジタリアン生活が、彼らの競技生活にプラスになるからだ。という合理的な理由に基づいていて、
その理由とは、おおまかに、

以下引用
◎動物性たんぱく質重視で作った筋肉質な体はパワーがあるが、野菜や穀類で作ったナチュラルな体の方が良く動けて結果的に強い。
◎高たんぱく質な食事を続けて胃腸に負担をかけると基礎代謝と免疫力が落ち、見た目はマッチョになるが体そのものは弱くなる。
◎動物性たんぱく質に偏った食生活を続けることは引退後の健康面で心配だ。
引用ここまで

彼らはアマとは違います。
大会で一度か二度優勝して、それからコーチやスポーツ教室、道場を経営して生活するわけではなく、ある一定期間定期的に戦い続け、そして、その後の自分の身体のことを考えている真のプロです。

少し前から、自分もうすうすこのことには気がついていました。
アメリカは特に、そういうスポーツ栄養学が盛んで、一説には日本より20年進んでいると言われています。

肉食に頼るアスリートが、癌や心臓疾患になる例を痛いほど見てきたので、この流れはとても自然で、好ましいものだと思っています。


実は、自分は、若いころから「なんちゃってベジタリアン」です。
通常は全くのベジタリアンで、お付き合いの席で、場の雰囲気をまずくしそうなときは、だまって魚とチキンだけはいただくというスタンスですが、最近、ヨーガのトレーニングが加速するにしたがって、魚もダメになってしまいました。

これは身体が求めているもので、今まで好きだった魚を食べなくても全く平気になりました。

このことは、特に欧米のアシュタンガ・ヨーガの達人たちのHPを見てもそうです。
ほぼ全員、ヴィーガンかそれに近いベジタリアン。
主義主張ではなく、練習を続けているとそうなる。
ということなのだと思います。
多分、ベジタリアンでないと、あの過酷な練習には耐えられないでしょう。

総合格闘家たちも、多分、練習の過程でそのことに気が付き始めたのだと思います。

自分は、人には全くベジタリアン生活は勧めません。
ただ、こういう事実があるということを知って欲しかっただけです。


2015年12月8日火曜日

「部屋を模様替えしました」
ラックや本棚を隅っこにまとめて、余分なものは処分、
ストレッチやヨーガができる空間を広げました。
自由な空間が増えるといいですね。

ニューヨークに住んでいる頃、インテリアの極意はものを置かないことだ。
とインテリア関係のスタイリストさんから教わりました。
ものが増えると、いつもその言葉を思い出します。

で、少し広くなった空間で、ちょっとサソリのポーズをやってみました。
倒立からのサソリのポーズは手強いです。
もっと身体は反らせるのですが、思いっきりバック転してしまいました。
かかと痛いス。笑。

ちょっと恥ずかしい写真を見せるのもモチベーションになります。

来年早々にでもリベンジします。

「知識と経験と認識と」

過去にアップした話題ですが切り口を変えて。

約12年前に、有名な整体の先生から相談を受けて、
自分の今までの整体を体系化してまとめたい。と、相談を受けました。
歴代総理の整体を担当されていた方ですが、ほんの少数のお弟子さんしか取らず、
密教的な伝え方で、今まで来られたようでした。

先生から、お弟子さんにヨーガの基本を教えてくれと言われて、
私がヨーガを教えるようになったのがきっかけでした。

それから、約半年、先生の施術を見たり、自分で受けたりしながら、
先生の施術がどういう仕組みで、効果があるのか、
できるだけ言葉と写真で伝えられるように標準化していきました。

その集大成がこの本です。講談社から発刊され、
フジテレビから取材を受けたほど、話題を集めました。

監修は飯沼先生ですが、
内容は、先生のコメントをもとに、私が全て執筆しました。
労力と時間からすると、割に合わなかった仕事かもしれませんが、
私は、この仕事で、人間の体の仕組みと動き、そして不可解さを学びました。
人間の体は、分かっているようで、分からない部分が多いと思います。

私も、今まで経験したスポーツや武道で体の仕組みや動きを知っているつもりですが、
未だに新しい発見があります。

それをもとに、今度は、自分で今までスポーツ、武道、ヨーガで経験してきたノウハウを体系化してみたいと思うようになりました。

何事も、経験しないと認識にはなりません。いかに4000年の歴史があるメソッドでも、
それを経験して、消化しないと、認識とはならないと思います。

結局、人間は、それまでの知識や蓄積をもとに、自分の経験でものを言わないと、説得力がないのではないか。
と思うようになりました。

最近、ずっと、そのようなことを考えています。

2015年12月7日月曜日

「湘南国際マラソン」
6日、日曜日は湘南国際マラソンでした。
友人が出場していたので応援に行きました。
実は私も以前走っていました。

この場所は自宅から歩いて五分くらいのところです。

ヨーガも全国的な広がりを見せて、多くの方が毎日、練習しておられます。
以前だったら想像できないことです。
そして、このマラソン大会も国際マラソンとは言っても、
参加されているのは市民ランナーがほとんどです。

42.195kmを完走するためには、皆さんほとんど毎日走っていらっしゃると思います。
中にはサブスリー(3時間切り)、サブフォー(4時間切り)を目指して、
ハードな練習をされている方もいます。
相当な意思の力だと思います。

そういう方がこんなにもいるということが、とても感激でした。
身体を動かす、呼吸をする。素晴らしいですね。
感動しました。


2015年12月5日土曜日

「サンマルコの思い出」
ヨーロッパはテロ事件の余波で宗教施設の警備は特に厳しいようです。
その様子を見て、1994年の事を思い出しました。
その頃の日記です。

1994年。ちょうど、ボスニアで紛争があっているころに、戦地の対岸に位置するベネチアに仕事で行ったことがある。街には至る所に警官が配置されていた。 

遅い午後、骨董屋で撮影を終えると、英語の達者な親父と骨董の話になった。
その日、夕方はフリーなので私はサンマルコ寺院のミサにでかけてみたいと思っていたが、大聖堂は工事中で、どこでミサが行われているので知りたかった。

そこで、親父さんに、聞いてみたら、小聖堂で夕べのミサがあると言う。
その小聖堂はサンマルコの裏手近くにあって、詳しく聞かないと分からないようなところだった。おまけに地下にあった。

ミサはとっくにスタートしているようで、人影は見えず
ロウソクの炎だけのエントランス付近は真っ暗だった。
ミサに行くことだけしか考えていなかった私は、
入り口付近の暗がりにいる警官に全く気が付かなかった。

その警官は、私を遮った。
彼は自動小銃を抱えていた。
反射的に、自分の口からは、
「ミサに来ました」(I’m here for Mass.)
という言葉が出た。

すると、彼の緊張した顔が微笑みに変わり、優しく聖堂へと案内してくれた。
中は真っ暗で、ロウソク数本だけの灯りだった。

ミサ曲の音階は、通常のオクターブではなく、
イオニア形式かドーリア形式のモードだった。
おそらく、ギリシア正教か、ビザンチンの様式なのだろう。
ここがベネチアだとは信じられない音空間だった。

暗さに眼が慣れてくると、人々の表情が次第に分かるようになった。
お年寄りが多かった。やはりイタリアでもミサに行く若い人は少なくなっているようだ。
ミサの最後には、Smile Exchangeと言って、周りにいる見ず知らずの人たちと微笑みの交換をすることになっている。ここでも最後に微笑みの交換をした。

私のとなりにいた、シワだらけの小柄なおばあちゃんは不思議そうに私を見た。
おそらく、この場所で東洋人を見たのは初めてだったのだろう。
そのおばあちゃんは、次の瞬間、優しく微笑むと、私をハグした。

その晩、昼間撮影した、名リストランテ、マルティーニでディナーを楽しんだ。
店長が招待してくれたのだ。
料理はいまいちだったが、ワインが美味かった。

2015年12月4日金曜日

「ヨーガは大道芸」

アイアンガー師は、まだ、人々が、インド以外ではほとんどヨーガという言葉さえ知らなかった時代にヨーガを広めるために、大道芸的なアクロバット的なアーサナをやって注目を集めたそうです。

実は、現在ポピュラーな太陽礼拝はインド古来のものではなく、ヨーロッパでヨギが広めていた古来の太陽礼拝とスウェーデン体操がミックスしたものだということを最近知りました。
だからこそ、世界中に広まったわけですね。

ヨーガは体操やサーカスとは違う。
と少し軽蔑的な発言をされる方もおられますが、大道芸的な要素はとても大事だと思います。
そして、何より、体操やサーカスをやっている人に対して失礼だと思います。

私も体操経験がありますが、その練習は過酷で、ヨーガ以上の集中力も必要とします。
そして、なにより、肉体の鍛錬はヨーガとは比較になりません。
サーカスの芸人達は子どもの頃から学校にも行かず一日中過酷な練習をしています。

大道芸的要素によって、多くの人が注目して、それによって多くの人がヨーガに注目する。
それは素晴らしいことで、理屈であれこれ言うよりは、多くの人をヨーガの世界に導くことができると思っています。

私も写真のように、海岸のウッドデッキで、よくブリクシャーサナをやっています。
サンスクリット語にすると格好良いですが、早い話、倒立です。

すると、子どもたちを中心に、いろんな人が集まってきます。

体操?ヒップホップ?

練習を中断して、
「これはねヨーガ。続けるとナイスバディになるよ」
と女子高生たちに説明すると。

「ええ。ほんと〜。やってみた〜い」
という反応が返ってきたりします。

これもヨーガの伝道だと私は考えています。
多分、多くの人はそこから深いところに入っていくのだと思います。




「神に祈る?」

ダライ・ラマ猊下が、パリのテロ事件を受けて、
「神に祈っても平和は来ない、平和をもたらすのは人間だ」
という発言をされて話題になりました。

私はそのとき、全然意外な感じは受けず、
ああ、やはり、仏教は、とても科学的、現実的な宗教なのだと思いました。

神は外にはいない。
カトリック教徒として人生のほとんどを過ごしてきて、
キリスト教と仏教の信仰の中で生きてきた自分なりの結論です。

神は自分の中にしかいないと思います。
あるときは悪魔の方が支配的なこともある。
ルシファーもマーラも自分の心の中にいる。

お釈迦様がマーラの誘惑を受けられたのは、
自分の心との葛藤。

新約聖書、天使と、地獄の天使の争いの寓話もそうです。
自分の心の中の葛藤。

キリスト教の最終的な目的は?
と、修道院でボランティアをやっていた頃に
修道士や司祭に聞くと、返ってきた答えはひとつ、それは、
「心の平安」。
でした。

仏教もそうです。

そのために何をするのか、それが「祈り」だと思います。

ですから、仏教も、キリスト教も、本来、祈りは内に向かっています。
祈りで自分が平和になる。
そういう人が増えれば世の中は平和になる。

祈りが外に向かうと、返ってくるのは、不満と絶望だけだと思います。
宗教やヒーラーを転々としているひとたちは、意識が外にしか向かっていません。

ヨーガ行者から似非チベット仏教徒へと転身し、最後にはテロリストに成り果てた麻原彰晃を見るとそう思います。
信じられないことですが、麻原彰晃はオウム真理教を作るまでは、相当優秀なヨギだと評価されていました。
日本を代表するヨギの一人だったのです。

それは、祈りが欲望へと変容して、外に向かった結果だと思っています。

余談ですが、1990年代、オウム真理教事件の頃、私はヨーガをやっているとは言えませんでした。
イコール、オウム真理教だと思われたからです。
マントラも、こっそりと小さな声で唱えていました。

その頃からヨーガの先生をやってらした方と出会うと、
いつも、その苦労話に花が咲きます。


2015年12月2日水曜日

「図書館」
ちょっと調べることがあって先ほど、近所の図書館に行った。
久々だったので、自然科学のコーナーを見ていたら、
この一角だけでもタイトルが面白過ぎ。笑。

「タコの教科書」
「ナメクジの言い分」
「日本のタコ学」
「新鮮イカ学」
「イカの心を探る」

イカの心を知りたくて、
ちらっと立ち読みしたが、結構真面目な学術書だった。
今度、ナメクジの言い分も聞いてみたい。

しかし、このような、面白い研究をされている学者さんが多いのは、心強い限りだ。
イグノーベル賞を日本が独占しているのもなるほど。と思った。

ヨーガと関係ない話題ですみません。