2015年9月30日水曜日

「アーサナ・ポーズチェック」

私は時々、知り合いのヨーガ教室に出かけることがありますが、基本的に一人で、主に海岸でヨーガをやっているので、自分のアーサナが正しい姿勢を保っているのかよくわかりません。

ヨーガはアーサナを完成形に近づけようとするだけでも効果はありますが、やはり、完成形はジオメトリックな美しさがあります。

故アイアンガー氏は、その辺は相当厳しかったようです。
で、私は時々カメラチェックをしています。

これは自宅で自動撮影で撮ったものですが、身体が右に傾いています。
意識の上ではまっすぐなんですが。

これはおそらく右と左の腕の筋力の違いが出ていると思います。
私の腕は左右で相当大きさと筋力が違います。
これは結構危険で、アームバランスが基本のアシュタンガ・ヨーガでは、ケガにつながります。
それで、弱い左手を筋トレして、なんとかイーブンにしています。

特に怖いのは左右の手首の強さが違うと、弱い方の手首により大きな力が加わり、傷めたりすることです。これだけは避けたいと思っています。

アイアンガー氏がYoububeのインタビューで語っていましたが、
身体のコアは、実は、身体のセンターにあるのではなく、
側筋にしたがって左右平行に2本あります。
ですから、逆転系は左右のコアで支えるという意識の元に行うと意外と自然にできます。
コアがセンターに一本しかないという意識だと不安定になります。

これはスポーツや武道では2軸理論と言いますが、アイアンガー氏はこの理論に、随分前に気がついていらっしゃった。

凄いと思います。

2015年9月29日火曜日

「般若心経」

ヨーガと宗教は関係ありませんが、仏陀もヨギでした。
この仏像は観自在菩薩。そう、般若心経を弟子に説いている姿を仏像にしたもので、仏教美術では水月観音と言われるものです。

祖父が20世紀初頭に中国にいたころ西域で入手、日本に持って帰ってきました。
石仏です。150kgほどあります。お顔はインド系です。

祖父亡き後、母が引き取り、母は施設に入ったので、今私の家におられます。
祖父が持ち帰らなかったら文革で破壊されただろうと華僑の方がおっしゃっていました。
数奇な運命の仏像です。

いつも、この観自在菩薩の前で瞑想しています。
祖父はサンスクリット語で毎朝般若心経を唱えていました。
私もこの仏壇の代わりでもある菩薩の前で、漢文とサンスクリット語で般若心経を唱えるのが日課になりました。両方とも毎日唱えているせいか自然と暗記してしまいましたが、あと、チベット語で覚えるのが目標です。
サンスクリット語は美しいですね。
「食べ物について」

私が子供の頃、1960年頃ですが、田舎の熊本の実家の周りには、八百屋と米屋しかありませんでした。肉屋はなかったのです。
鶏とヤギを飼って、卵とミルクはそこから。味噌は近所の農家から分けてもらっていました。
ですから、肉はお正月にお雑煮に入れる鶏肉だけの生活が長い間続きました。

私の場合、その食生活が今までの核というか基本になっています。
そこから大きく逸れることはありませんでした。
基本的にベジタリアンな食事ですね。

青年期〜上京してからは、いろいろとお付き合いもあり、肉も口にしていましたが、
ひとりで食事するときは、やはり肉は避けていました。
その傾向に拍車がかかったのが、ヨーガを始めてからでした。

師匠は、招かれた家庭で出された料理はすべてありがたくいただきなさい。
という方針でしたので、今でも私は肉を出されても少量はいただきます。

しかし、そういう状況以外は、ほぼベジタリアンです。
私は原理主義は避けています。
ベジタリアン生活を主義主張で行うのは無理があるという持論です。

基本的に身体が肉食を自然に避けるようにならないと、
ベジタリアン生活は続かないと思います。

パンダは笹だけ食べて生きています。
笹には、生きていくための栄養素はほとんど含まれていません。
しかし、その笹がパンダの腸内にある腸内細菌を育て、そこから栄養を得ています。
笹だけで、あの筋肉です。
青汁だけで生きている人もそうです。青汁が腸内細菌を育てているのです。

腸内細菌は肉食したあとの腸内の腐敗物の毒で死んでしまいます。
肉が消化吸収されたあとには、腐敗物が残ります。

肉食動物は肉が腸内で養分を吸収された後にできる腐敗物を即、体外に排出する仕組みを持っています。しかし、人間は長時間腸内に残っています。
特に、アジア人は腸が長いので、その時間は白人黒人の約倍になります。

私が肉を食べたときには、一週間くらい、腸のあたりに違和感が残り、気分が優れません。
ですから、次第に身体が肉を拒否するようになりました。

そうなると、肉食を断っても全くストレスはなく、身体は大豆や乳製品だけでも、どんどん筋肉を付けてくれるようになります。

ヨーガを長年続けているとそういう身体になっていきます。

2015年9月28日月曜日

「生き延びるためのヨーガ」

私がヨーガを始めた40年前、ヨーガをやっている人はほとんどいませんでした。
ヨーガという言葉さえ知らない人も多かったと思います。

そんな中で、どんな人がヨーガをやっていたかというと、自分の周りでは、
たまたま、知人友人がヨーガをやっているので興味を持った人
もしくは、
ひどい健康状態で、生き延びたいと切羽詰まっている人
のどちらかでした。
ヨーガの先生も、大体、過去に大病で死に損なった人が多く、そこから再生した人が自分が生き延びたヨーガのノウハウを伝えるというスタンスが多かったように思います。
現在のように資格を得て、共通のノウハウを教えるという方法からは、程遠いものでしたが、とても生活感があり、身近に感じるものでした。

自分は後者で、幼少の頃に、当時世界的に有名になった公害の被害を被って、とんでもない目にあい瀕死の状態をさまよいました。障害者手帳を今でも持っています。

その頃、成人までは生きられないと言われ。
そこまでなんとか生き残ったら、次は50歳が壁だろうと言われました。

ちょうどその成人の時に、ヨーガの師匠と出会ったので、ヨーガに飛びつきました。
なぜか分かりませんが、ヨーガが自分を再生してくれると感じました。

それは結果的に正しかったと思います。50まで生きられて、今60を過ぎたわけですから。
とにかくフィジカルを健康に保つこと。そればかりが、50まで自分の頭の中にありました。
生きるための手段のひとつのような感じでしょうか。

みなそれぞれにヨーガに対するスタンスはあると思います。
100人のヨギがいれば、100通りのヨーガへの接し方があると思います。
それぞれに意味があると思います。
だから、あまり原理主義にならないことだと思います。
とにかく長く続けると見えてくるものがあります。

ヨーガにはストレッチ的な要素もありますが、ヨーガのアーサナを無理なく、ケガを避けながら続けるためには、ヨーガとは別にストレッチが必須だと思っています。

というのも、自分は競技歴が人生の半分ほどあるので、ストレッチの意味が身にしみて分かっています。それを蔑ろにしたために競技を中断した人を数多く見て来てました。

特に大事なのは、足首と手首の柔軟だと思っています。これは、特に逆転系、バランス系のアーサナを行う際の微調整をする部分でもあるからです。
そして、最も痛め易い部分でもあります。
ベーシックな負荷の少ないアーサナで痛めるのは大体この部分です。

写真は開脚ですが、ヨーガではここまでやる必要はありませんが、開脚は大事です。
足が開くためには、背筋、側筋、臀部の筋肉、足裏の筋肉全ての柔軟が必要だからです。ですから、このストレッチをやることによって、多くの筋肉を柔軟にできます。

開脚の際、もっとも大事なのは、骨盤が立ったまま、背中を丸めないこと。
骨盤が床を向くと、自然に倒れます。

自分は若い頃は180度以上開いていましたが、もう、これがやっとです。骨盤が固くなり前傾しにくいので、背中が丸くなっています。
骨盤を無理なく前傾させるのが課題です。

柔軟の一番大きな目的はケガを避けることです。

2015年9月27日日曜日

「逆立ち」系のアーサナ


は、アーサナの王だと言われています。
身体が逆転することによって、内臓の位置が矯正され、
視力の回復にも相当効果があります。

このアーサナだけは、さぼらずにずっと続けています。

ただ、最初、ケガや不具合も多いアーサナなので、しっかりとした指導者のもとで行うことが必要だと思います。

私は、頭を抱え込むタイプのシールシャアーサナと、肘で立つタイプのピンチャ・マユーラ・アーサナと、体操で行う倒立の3種類をやっていますが、ちょっと前に首の筋肉を傷めたので、最近は、もっぱら、写真のピンチャ・マユーラアーサナを行っています。

写真は自宅近くの海岸にあるウッドデッキの上ですが、いつも風があって、バランス感覚を養うのには最適です。この時も、
結構強風で、身体があおられてバランスをとるのが大変でした。

視線の先は海と空。海と空が逆転した光景を見ると、とても不思議な感覚になります。

2015年9月26日土曜日

「ヨーガを始めた経緯」

どなたでも、それぞれに、ヨーガを始めたきっかけというものがありますが、私の場合はたまたま、バイトしていた音楽事務所でヨーガのバックグラウンド・ミュージックを制作することになったのきっかけでした。

そこでヨーガの指導をされていた先生から、ヨーガは素晴らしいです。是非この機会に始めてください。と、三冊の著書をいただきました。

先生は名古屋の方でしたから、直接教えを乞うことはできません。
それから、その本を見ながらヨーガを始めました。

当時はヨーガの教室は数えるほどしかありませんでした。40年前の話です。
その数少ないヨーガ教室も生徒さんはほとんど女性で、男性が一人で入門できる雰囲気ではありませんでした。それで、なんとかいただいた本を見ながら独学でヨーガをマスターしていきました。

自分は、子どもの頃から格闘技をしていましたから、ヨーガは格闘技のストレッチや呼吸法の補助的なものとしてとても効果的だという認識しかありませんでした。
それから、50歳まで、ヨーガとの付き合いはそんなスタンスで続きました。

自分がヨーガを本当の意味で認識したのは50歳を過ぎてからです。
ヨーガを初めて30年経ってからでした。

プライベートや仕事で、大きなトラブルや転換期を迎えたのがそのきっかけでした。