2016年10月31日月曜日

「ストレッチのプロ」



先日、何気なくInstagramを眺めていたら、シルク・ドゥ・ソレイユのスター、ミカライさん(ロシア人)が自分をフォローしてくれました。ミカライさん、シルク・ドゥ・ソレイユ、トーテムに出演していたそうです。

自分には、フォローしたり、フォローされたりのシルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーの方が数名いるので、多分、その関連で私のサイトが目に触れたのだと思います。

彼らのレベルからすると、私の身体能力なんて知れたものですが、
メッセージを見ると、60歳を過ぎて、岩の上でアホなことやっているのが驚きみたいで、
年齢なんてただの数字だ。なんてコメントもらうこともあります。

早速、私も彼をフォローすることにして、彼のページを見たら、結構、舞台裏の光景が出てきたりして興味津々。

その中で感心したのが、「ストレッチ・トレーナー」の存在。

アメリカのサンディエゴに
というスタジオがあります。

ファーファラさんという女性が外部スタッフも交えて、子供から大人までストレッチを指導していて(開脚の写真)、
ミカライさんも仕事の合間に教えているようです(前屈の写真の告知がそう)。

素晴らしいのは、新体操の選手から、大人になってから柔軟になりたいと思っている人まで、様々なクラスがあって、誰でも学ぶことができることです。

Instagramをやっている方でしたら、#farfallafitness のタグで彼女のサイトを閲覧できます。

彼女のキャラのせいか、こどもたちもみな楽しそう。

こういうプロのしっかりとしたストレッチトレーナーの存在は大事だと思います。
日本でも最近180度開脚の本が売れて話題になっていますが、
まだまだストレッチの重要性が欧米ほど認知されていないような気がします。

私見ですが、身体を無理なく柔軟にする。ということにおいては、ヨガのエキスパートより、ファーファラさんやミカライさんのようなプロの方が的確で、トラブルも少ないと思います。

なぜなら、柔軟性には筋力が必要だということを良く知っているからです。
そのために筋力トレーニングも並行して行う必要があり、
ヨガでは、この点が軽視されていると思います。
柔軟性と筋力は両輪。
どちらが欠けても、不完全で、トラブルがあると思います。

2016年10月28日金曜日

「再び放浪癖が〜」

先日は、今年最後の海ヨガ。
5時になると暗いので、4時頃から30分くらい練習しました。

気温のせいだけでなく、冬が近づくと身体の動きもシャープさを欠いて、鈍くなるようです。
ウォーミングアップしても、なんとなく、夏とは違う。
ちょっと寂しい。

そんな感じでした。

しばらくは、家で、ストレッチと基本ポーズをみっちりとやって、
春に備えたいと思っています。

まだ先のことは分かりませんが、冬の間、レギュラー仕事の合間をぬって、
バリ島に一ヶ月くらい、年に何度か滞在したいと計画しています。

月単位で借りれるアパートメントやコンドミニアムがあるので、
そこでヨガと撮影をしながらのんびりと過ごしたいと思っています。

Instagramで、すでに、ウブドゥ・ヨガセンターのヨガ関係者たちとも友達になったし、
フォローしてもらっている方たちに連絡をとれば、現地で全くゼロからスタートという感じにはならないと思います。
欧米のヨギ、ヨギーニたちも、移住したり、一時滞在している方が多いようです。

まだまだ日本からは完全に離れられない状況なんですが、
いずれ、またどこかに移住したいと考えています。

一度はワークビザを取得して移住して仕事をしていたので、感覚的には、そんなに大変なことだとは思えないのですが、やはり、今度移住したら、戻って来ないかもしれないので、慎重に計画しています。

バリは、ヨガが盛ん(リトリートの場所としても)、被写体の宝庫、ベジタリアン天国であると、三拍子揃っているので、魅力的な場所ではあります。
日本からも近いし、運賃も安い。生活費も安い。

なんかお気楽極まりない乗りなんですが、
何事をするにしてもお気楽な方なので、気にはしていません。

何かをスタートするときは、お気楽な人の方が有利だと思います。
大体、スタートしてから考えるという行動様式の人が、私の回りには多く、
みんな、それで何とかなっているし、しっかり食べているから不思議です。

さあ、どうなるか。笑。

こういうことをいろいろと考えている時が一番楽しいのかも。

2016年10月27日木曜日

「開脚残酷物語」

バレエや体操の世界では、この写真のように壁に向かって開脚して、
後ろからお尻を蹴ったり、押してもらって強引に開脚できるようにします。

柔道やカラテなどの格闘技もこうやった「壁ドン」開脚か、
床に伏せた状態で上に乗ってもらって開くようにします。

死ぬほど痛いです。笑。

しかし、これが、180度かそれ以上の開脚への一番の近道。
筋が伸びたら伸びたで良し。
切れたら切れたで、痛みで半年くらい開脚できなくなりますが、
痛みがなくなったら、楽に開くようになります。

こういう画像をsplits(開脚)というタグを付けてInstagramにアップすると、
バレリーナや体操の選手が「いいね」をくれることがあります。

それで、彼女らのページを見てみると、やはり、無理やり開脚させられている写真が載っていたりして、中には泣いている子もいます。
お相撲さんも、苦痛で顔が歪んでいます。

この画像には、FB時代からお友達の、元ボリショイ・バレエのプリマ、スヴェトラーナ・ルンキナさんからも「いいね」をもらいました。
多分、彼女も幼少期にこれやられたと思います。
懐かしかったのかも。笑。

こういう強引な開脚方法が通用するのは、二十歳くらいまでだと思います。
ヨガのポーズで必要な左右開脚には、こういう練習は全く必要ないと思います。






2016年10月25日火曜日

「魂の重さ」

You don’t have a soul.
You are a soul.
You have a body.
(あなたは魂を持っているのではない。
あなた自身が魂なのだ。
あなたは肉体を持っているだけだ)

という仏陀の言葉があります。
今朝、海外のサイトで見かけた有名な言葉です。

人間が死ぬと、その瞬間に体重が約300g軽くなるそうです。
実際に、死が近い人に断って、科学者が実験したそうです。
それは魂が抜けた分、軽くなるという説もあって、
私も興味を持っていました。

写真は以前飼っていた龍之介という文鳥です。
文鳥の寿命は5年前後だと言われるのに、龍之介は13年生きました。
動物は自然死するときは、朝の5時ころに死ぬ個体が多いといいます。

龍之介が老衰で、瀕死の状態になったとき、
朝、もう死んでいるだろうと思って、籠にかけてあった暗幕を開けたら、
まだ生きていました。

外に出たがったので、出したら、転げるようにカゴから出てきて、
お気に入りの私の手のひらの上で息絶えました。

その瞬間、私は悲しさより、龍之介の体が急に軽くなったことに驚きました。
文鳥は50g前後の体重ですが、それが、感覚的に羽のような軽さになりました。
す〜〜っと何かが抜けていくように軽くなりました。

あっ、今、魂が旅立った。
と自分の五感で、そう感じました。

これは、上述の人間の魂の重さの話と同じだと思います。

魂が抜けると、人間も動物もただの朽ちゆく肉体です。
魂が、今生の生活に必要であるために、肉体を持っているだけだと思います。
その借り物の肉体が終わりを迎え、魂が旅立つ。
それが「死」。

魂こそが、実体だと思います。

2016年10月23日日曜日

「なんでもヨガになる」

しんぴ倒立, 伸肘倒立 from 井手宏幸 on Vimeo.

「鉄は熱いうちに打て」と言われます。
10月にPress to handstand(しんぴ倒立)を始めてから約3週間ですが、
割と進歩が速かったので、練習を加速して、一気に完成させようと思っています。

先日はしんぴ倒立から倒立キープを10秒でワンセット。
それを10セット行いましたが、バランスを失ったのは1セットだけ。
インターバルを入れても、10分程度で練習は終わります。

もうほとんど失敗なくスムーズに上がるようになって、
あとは足を真っ直ぐにキレイに揃えるだけ。
それは、時間の問題なので、とにかく一日、5セットで、約5分。
できるだけ每日練習しようと考えています。

実は、このしんぴ倒立は、最もバランスをキープしやすい倒立です。
肩の上に重心がキレイに乗らないと身体が上がらないからです。
上がりさえすれば、肩の上に重心が乗って理想的な倒立の完成です。
ジャンプや反動で行う倒立より安定します。

これは器械体操のテクニックです。
ヨガからバンダや呼吸法を持ってきて応用すると、
器械体操の技術もヨガになります。

そして、肉体的、メンタル的にもいろんな気づきがあります。
水泳も格闘技もヨガになります。

格闘家ヒクソン・グレイシーは、まさにヨガを格闘技に持ち込んで花開かせたと思います。

2016年10月22日土曜日

「マントラ」

マントラで現在も多くの人々に愛唱されているのは、
なんと言ってもチベット仏教のマントラだと思います。

以下

http://www.thebuddhacenter.org/buddhism/mantras/

マントラは、仏典を簡略化した、長くても10秒程度のものです。
マントラは、もともと、誰でも、何処でも、いつでもすぐに唱えられるように考えられたもので、文盲の人にもすぐに覚えられるように配慮したものです。

チベットやネパールには文盲が多く、仏典が読めません。
そのために考え出されたとも言われています。

マントラは、とにかく繰り返し、数多く、唱えることに意味があります。
これは、カトリックの「歌うことは三倍祈ることになる」
という教えにも通じます。
マントラも多く唱えた方が多く祈ることになります。

マントラには、グレゴリオ聖歌と同様、歌の響きの周波数が独特で、
そこに癒やしの謎が隠されていると言われています。

アフリカで暴動が絶えなかった監獄で、神父さんがグレゴリオ聖歌を日課にして、皆に歌わせるようにしたら、ピタリと暴動が止ったという話しが有名です。囚人はグレゴリオ聖歌の意味なんて分かりません。
囚人達は、監獄に響く自分たちの聖歌に、皆神妙になったといいます。

仏教のマントラも同じだと思います。

繰り返し唱えると、
○潜在意識に仏陀の教えのエッセンスが定着する。
○その周波数と、繰り返し腹式呼吸をすることにより、気持ちが落ち着く。
○身体が温まる(特にチベットでは重要)。
などの効果があり、とても考えられたものであるということが分かります。

日本でも有名なマントラは、

Om Mani Padme Hum(オーム・マ・ニ・ペー・メー・フム)。
六字真言です。世界中で最も有名な仏教のマントラ(真言)


Teyata Gate Gate Paragate Parasamgate Bodhi Soha
(テヤター・ガテ・ガテ・パラガテ・パラサンガテ・ボディ・ソハ)
般若心経の最後の「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」のサンスクリット語です。


Tayata Om Bekanze Bekanze Maha BeKanze Radza Samudgate Soha
(テヤター・オーム・ベガンジェ・べガンジェ・ラザァ・スムガテー・ソハ)
は癒やしのマントラとして有名です。


私は、この3つを主に、唱えています。
母方の祖父が仏像の前で毎朝唱えていたマントラです。

私は、週に何日か、海岸を6kmランニングをしていますが、
いつも、ずっとマントラを唱えながら走っています。
相当な回数になると思いますが、
夏は、その後に海岸でヨーガをやりますが、
すごくいい気分で臨むことができます。

仏典を勉強することは知識として有益ですが、マントラを唱えることは、
知識という理性の領域より、感情に訴えるストレートなものです。
歌うことは三倍祈ることになる。
仏教でもカトリックでも、同じだと思います。

2016年10月21日金曜日

「アイアンガー・ヴィンヤサ」



現在のアイアンガーヨガにはヴィンヤサはありません。

これは、アイアンガーヨガのヴィンヤサで1977年に撮影されたものですが、

この頃まではアイアンガー師はヴィンヤサを練習させていたようです。



1970年代に初来日されたときも、ヴィンヤサを披露されたということですから、アシュタンガヨガが入ってくるより、はるかに早い時期に、日本にヴィンヤサを紹介したのは、アイアンガー師です。

それを見たヨギの話しによると、初めてヴィンヤサを見て、こんなものがあるのかと驚いたと言っていました。



この記録映像、若干ハイスピードになっていますが、

結構なテンポとスピードのヴィンヤサです。

ダウンドッグの呼吸もほどんどカウントしていません。



私の推測ですが、クリシュナマチャリア師の元でアイアンガー師は、インド陸軍にヴィンヤサをコーチしていたのですが、それを、そのままやっているのでは?と思います。



この映像の時、アイアンガー師は60歳です。60歳でこの動き!

生徒たちはついていくのに必死です。

アイアンガー師、檄を飛ばしています。

気合入っています。笑



私はこういうヴィンヤサだったらどんどんやりたいと思います。

ヴィンヤサはテンポが速く、スピードもあって、

運動神経を機敏にするようなものが良いと思います。



これを見たアシュタンギたちも驚きのコメントを寄せています。笑。


2016年10月19日水曜日

「伸肘倒立練習」



ちょっと前に練習を開始した伸肘倒立。

スタートとフィニッシュはある程度安定して、形もまあまあになりましたが、

スタート直後の足が、まだ、がに股になっているのがちょっと。笑。



おそらく、スタートのときの足幅をもっと広くするか、

スタートのときの手と足の距離を長くとって、

つま先を引きずるようにしてリフトアップすると伸びると思います。



シルク・ドゥ・ソレイユのGasyaの伸肘倒立を観ましたが、

やはり足幅は広くとっています。

しばらく、Gasyaの倒立を参考に練習してみたいと思っています。



多分、体型とか筋力で微妙にスタイルが違うと思います。

自分のスタイルを模索するのも楽しみ。


「ヨーガは瞑想である」

「私はずっと、ヨーガは瞑想であり、瞑想こそがヨーガであると言ってきた」
BKSアイアンガー師の言葉です(写真)。

ヨーガの本質は瞑想です。

私がヨガの瞑想とプラナヤマにはまってしまったことには肉体的な理由があります。
実は、小学校高学年〜大学にかけて激しい競泳と水球競技の練習のせいで、スポーツ心臓になりました。
心臓の大きさが日本人男性平均の倍以上あります。

そのため、身長が167cmに対して、胸囲は110cmと、ちょっと特異な体型になっています。
心臓が肺を押しのけているような形なので、レントゲン検査では、肺に白い影が映り、いつも再検査になっていました。

病気で肥大したのであれば大変なことですが、医者からは、心配はないと思うが、
生きている間はスポーツを続けて絶えず身体を動かしている方が良いだろう。
とアドバイスを受けました。

これまでずっと私が60歳を越した現在までスポーツを続けてきた大きな理由のひとつがスポーツ心臓です。
私の、安静時の平均脈拍数は30代後半です。通常の成人が50〜90です。

そして、熟睡時の呼吸数は一分間に2回程度まで落ちます。
脳波検査の時に、医者が焦って、半分死んでいる。と言われたことがあります。

一度、フェイスブックでこの事を書いたら、やはり、同じような方が居て反応がありました。
マラソンやトライアスロンなどの過激な持久系スポーツの選手たちです。
エチオピアやケニアのマラソン選手が大体30代です。

この脈拍数と呼吸数だと、リラックスした瞑想時には、脳波をすぐに、意識的にα波とθ波の境界まで落とすことができます。
α波はリラックスした状態の脳波、
θ波は睡眠時の脳波
です。
理想的な瞑想は、α波とθ波の境界上の状態です。

しかし、それをコントロールするにはヨーガの訓練が必要で、
それにはまってしまったわけです。

実は、シールシャーサナ(頭立)をキープしている状態も、ほぼ瞑想状態に近いです。
ヨーガの先生によっては、練習の最初にいきなりシールシャーサナを30分ほどやらせるところもあります。

ヨガの完全呼吸法は、吸う息1に対してクンバカが4、吐く息が2の時間比で行いますが、
私が行っているのは、
吸う息30秒、
クンバカ2分
吐く息1分
という比率で呼吸を2回ほど行い、しばらくリラックスすると自然と瞑想状態に入る方法です。
そのころには、呼吸数は、2回@一分程度まで落ちています。


恐らく、ヨーガの行者たちも、瞑想時には、このくらいの脈拍数と呼吸数だと思います。
クリシュナマチャリア師は、心臓の鼓動を1分くらい止められたそうです。
究極はその境地ですが、なんかそのまま死んでしまいそうで怖い。笑。

アーサナを追求するのも面白いが、プラナヤマと瞑想はもっと深いです。
瞑想は心の平安のためのものですが、
そのトレーニング方法を様々な方法で追求するのもヨーガの醍醐味だと思います。

2016年10月18日火曜日

「食について」

私が出会った国内外の多くのヨガの先生で、菜食を説く方はいませんでした。
しかし、よく聞くと、
「ヨガをやっているとそのうち自然に菜食になっていく」
という考えというか、信念がある方がほとんどでした。

実際に身体がそのようになっていきます。

私が影響を受けた沖正弘師は、
基本菜食でも、例えば、知人友人の家庭に招かれて肉料理が出てきたら、
そのときは、ありがたくいただきなさい。
と言われていました。

私もずっとそのスタンスで、
もともと肉が好きではなかったので、ごちそうになるときとか、呑み会では、
少しいただいていました。

しかし、50を過ぎてからは、呑み会では、もっぱらフライドポテトと豆腐料理ばかり食べています。
フライドポテトさえあれば、大満足の安上がりな身体なので助かっています。

肉食派と菜食原理主義派が極端な欧米でも、ヨガティーチャーは菜食がほとんどです。
というか、もともと自然志向、菜食志向が多いヨギ・ヨギーニ予備軍、先生が肉食べていたら、生徒が集まらないからです。

BKSアイアンガー師は著書で、菜食であるべきだ。
とは述べておられませんが、自身、厳格なベジタリアンでいらっしゃったので、
やはり、ヨガを続けていけば、自然と菜食になっていく。
というようなニュアンスで語っておられます。

アシュタンガヨガの有名な指導者、キノ・マクレガーさんも
「ヨガティーチャーは菜食であるべきでしょう」
とはっきりとInstagramで書いておられました。

もともと、ヒンズー教や仏教の影響を大きく受けてきたヨーガでは、
やはり、肉、特に聖なる牛を食べるということは、ちょっとまずいんじゃないの。ということになると思いますし、
ヨーガスートラを唱えながら、一方で肉を食べるというのも、不自然だと思います。

日本は、江戸時代まで約1000年、仏教国だったので、肉食はご法度で禁じられていました。
しかし、正確には、害獣駆除で殺したウサギ、イノシシやクマを食べるのは、黙認されていたようです。
しかし、それは、そういう地域の一部の人が年に数回食べていただけ。

仏教国になる以前の日本も、ほとんど状況は同じだったので、
日本は、江戸時代まで、ほとんどの国民は肉を食べていなかった。
と言えると思います。

以前、ブログに書きましたが、
ヨガを続けていると、現実の生活との間に不整合がでてきます。

ただ、ヨガは体操として割り切ってやっている。
というスタンスであれば、全く食生活には無頓着で良いと思いますが、

精神性まで追求していくと、どうしても最後には菜食。
ということになると思います。身体も自然にそうなっていくと思います。

2016年10月16日日曜日

「左右開脚」


なぜか人気がある左右開脚。
英語ではセンター・スプリッツといいます。

この左右開脚だけでノウハウの記事や映像が沢山検索できるほどで、
180度近くの開脚ができるとカッコイイということなんだと思います。
Instagramにも投稿画像がわんさか。

Instagramにも同じ画像を投稿しましたが、
センター・スプリッツのタグの人気投稿で只今、第一位独走ちうです。笑。(写真)。

この左右開脚も小学校時代からのおつきあいですが、
必要に迫られてやってきた私のような人間には、何がカッコイイのだろう。
と思いますが、やるからには、やはり徹底してやるのは良いことだと思います。

男性にも大人気の左右開脚ですが、
なぜか、前後開脚が180度できる男性はみかけません。
やるからには、しっかりと前後開脚も練習した方がよいと思います。

この左右開脚、子供の頃に、強引に押してもらって左腿付け根の腱を切ってしまったので、左足だけは、右足より楽に開きます。

その時に右足の腱も切れてしまったら楽だったのですが、なぜか切れませんでした。
未だに右が硬いですが、練習の結果、同じようには開きます。

この開脚は気温が下がってくると、
トレーニングして開いてもすぐに固くなってしまいます。
自分の場合は加齢かもしれませんが、
今日も、インターバルを少し置いたら固くなっていました。
すぐにまた開くのですが、なんか、やな感じです。

この左右開脚と前後開脚は、自分にとっては、
何をやるにしても、身体能力の基本のキホン。

ケガをしない。微妙なバランスがとれる。筋力を正しく正確に伝える。
ヨガをやるにしても、まず、これだけは、事前にストレッチとして練習しています。

練習の前にはストレッチ!
レッツ・ストレッチ!

2016年10月15日土曜日

「前屈」

1から3までは、ヨガでおなじみの前屈ですが、
1は、アイアンガーヨガを学んだことがある方しか知らないかもしれません。

1は、なぜ、肘を上げるのか?というと、
大腿部と腹部・胸郭の間にスペースを作って、呼吸を楽にするためです。
ですから、1分〜3分ほどキープする陰ヨガでは、1の前屈が適していると思います。
大きくゆったりとした呼吸が可能になります。

実際、陰ヨガで2をキープすると、大きな呼吸を長く続けると窮屈で苦しいです。

3は、さらに、ぐっと、かたや背中の筋肉が伸びる、究極の前屈だと思います。

4は、器械体操でポピュラーな前屈です。
つま先をぐっと伸ばします。
つま先が伸びた美しいアーサナを目指す方は、この前屈も効果的だと思います。
そして、このアーサナの良いところは、膝が曲がりにくいことです。
かかとを突き出した1〜3とは違う部位も伸ばしてくれるので、この前屈はおすすめです。

バレリーナも大体、この前屈をやっているようです。

前屈が柔軟であることは、特に倒立やアームバランスに良い影響を与えます。
私は、1と4を、それぞれ3分づつ、每日やっています。

2016年10月13日木曜日

「乳癌リカバリーのためのヨガ」

Instagramに「yogaforbreastcancerrecovery」というサイトがあります。
直訳すると「乳癌手術後のリカバリーヨガ」。

サイトの主はクリスティンというサンフランシスコに住む女性で、
私がInstagramを始めて、一番最初のヨガ友です(写真)。
彼女が私のポーズの写真を見て「いいね」をくれたのがきっかけになり、
お互いフォローすることになりました。

彼女はリカバリーのためのヨガプラクティスの写真を掲載していますが、
どちらかと言うと、彼女の不安や希望を綴ったコメントの方に興味が行って、
アップされると、できるだけ読むようにしています。

そこでは、再発への不安とヨガの癒やしと、希望と、それらが、サイクルするように、
書かれていますが、ガンの経験のない、特に、男性の自分にとっては、ただ、その不安と希望を想像しながら読むしかありません。

ロスに住む、ヨガティーチャーのT女史が、ヨガティーチャーのセミナーに行くと、必ず乳癌がきっかけでヨガを始めた方が何名かいる。
とおっしゃっていましたが、クリスティンを知ってから、それが現実的なこととして感じるようになりました。

私の知り合いの男性の水泳コーチが昨年、44歳という若さで悪性黒色腫で亡くなりましたが、彼もブログに約3年、闘病記録を克明に記録していました。

彼の手術直前にいっしょに練習して、その時に、その後の不安を聞いたばかりだったので、ブログを欠かさず見ていました。

もう、死の直前の苦痛は、見ていられなかったのですが、
奥さんが、彼の死の翌日に、「昨日他界しました」
とコメントされたときには、なぜかホっとした記憶があります。

今になって思うと、ブログやSNSって、いろんな人が見てくれてコメントをくれて、生きていく励みにもなるし、一時的な不安の解消にもなるのだと思います。

これも何かの縁だと思います。
ずっとクリスティンの日記は見守っていきたいと思っています。


2016年10月12日水曜日

伸肘倒立 しんぴ倒立 



今年9月に「しんぴ倒立」を50年ぶりにやってみました。



足はすぐに上がったのですが、足が曲がっています。

まっすぐに伸びません。

多分、バランスに慣れたら、まっすぐに伸ばせると思うのですが、

こうやって正面から見るとなんとも不細工。笑。



スタートのときの足の幅は、人によって様々、

大きく開く人もいれば、揃えている人もいる。



で、



やりやすい幅でしばらく、やってみることにしました。

最終的には揃えようと思っています。



初めてトライする人は、恐らく、足を上げるために、重心を前に持っていくことに対してメンタルブロックがあると思います。

前に倒れそうになる恐怖があると思います。



それをどう克服するかではないでしょうか。



足のリフトには、腸腰筋が大きく関わっていると思います。

私も改めて腸腰筋を鍛えたいと思っています。



これが安定してできるようになると、アクロヴィンヤサの難技にトライできます。

楽しみです。












2016年10月11日火曜日

「上達の仕組みとサイクル」

ヨガのポーズは、その人のペースでゆっくりと行い、そのうちできるようになる。
というスタンスで全く構わないと思いますし、それがヨガの良いところだと思います。

しかし、このポーズができるようになりたい。
と真剣に考える場合は、大雑把にでも、練習のプランを考えた方が早くできるようになると思います。

そういう方も多いと思います。

スポーツとヨガは、目的が全く異なりますが、
アーサナを上達させる、できるようにする。という仕組みはスポーツのテクニックと同じです。

自分は、あるヨガのポーズをできるようになりたい。
まだ不完全で、もっと美しくできるようになりたい。
と思った場合、必ず、スタートは9月にしています。

というのも、競技をやっていた時に、翌年の大会に向けてのスタートがいつも9月だったからです。
あと、9月というのは、自然界では、生命の入れ替わりの時期です。
何か新しいことを始めるというのには、最適な時期だと聞いたことがあります。

私の場合、なぜか、スポーツ、武道、ヨガも、上達は3ヶ月単位になります。
最初の3ヶ月で、ぐっと上達し、そこで一旦止まる。
そして、我慢の練習を3ヶ月続けると、6ヶ月目からまた進歩が始まり、
また3ヶ月で止まる。
その繰り返しで1年を終わり、9月を迎えます。

ただ、春を迎える頃までは、基本を徹底して練習します。
冬は身体が休息を迎える時期なので、あまり無理はしません。

すると、夏を迎えたころに花ひらく。ということが多かったように思います。
特に競泳をやっていた頃にはタイムに反映していたので、具体的に分かりました。

そして、1年練習してできなくても、目標タイムに届かなくても、
同じことを9月に再スタートさせます。

ですから、進歩が止っても焦ることは、なく、次の進歩を信じて練習できるので、
単調な練習も苦になりません。

知り合いの中国武術の先生にこの話しをしたら、
大体、ベテランは、皆、自分の上達法則を持っていると語っておられました。

ですから、上達したいという欲がある方は、自分なりの上達プランをたてると良いと思います。
そして試行錯誤していくと、何年か経ったころには、自分の上達法則ができあがると思います。

写真は先日のアームバランスの練習で最も身体を軽く感じたときのポーズ写真。
背中の筋肉が盛り上がっておらず、右手の筋肉も張っていません。
指も岩を掴んでいません。
力を使わずにバランスが取れているということで、稀なことです。

あと約1年で、力に頼らない、軽い、もっと美しいアームバランスを目指したいと思っています。

2016年10月10日月曜日

「首を回すのは危険」

当たり前に行われてきた体操やストレッチで、
身体の構造を無視したものがいくつかあります。

その中でも危険なのが首を回す運動。
まだ行われていることが、信じられません。

ヨガでも、首の回転は、ストレッチとして行っている方がまだいると思います。
成人の首は大体4kg〜5kg。
それだけの重量を真っ直ぐに倒れないように支えているので、
首周りは普段、筋肉で固定されているような形になっています。

気絶した人を見たことがある方でしたらお気づきだと思いますが、
気絶した人を抱え上げると、首はだら~んとしています。
危険なので、必ず手を添えるようにします。
意識がないと、首はそのように真っ直ぐに身体に固定できない状態です。

この固定した状態で、例えば、首を左右、上下方向に動かすだけでも、
首周りの筋肉には不自然な力が加わります。
ですから、例え、左右、上下の軽い運動でも、肩を少し上げて、肩をすくめるような感じにして、首周りの筋肉をゆるませて、首を動かさないと、そのうち不具合がでることがあります。

そして、首の回転ですが、首は、人間の身体の構造上、回すようにはできていません。
私は小鳥を飼っていますが、小鳥の首はかなり柔軟で、簡単にくちばしが背中に届きます。
しかし、首を回すところは見たことがありません。
他の動物でも同じだそうです。
そもそも動物(人間も動物)、哺乳類も鳥類も首を回すようにはできていないのです。

もともと回すようにはできていない構造の部位を動かしているのは人間だけです。


今では信じられない話しですが、私が高校生の頃まで、運動中に水を補給するとよくないと信じられていました。そして水は飲むなと言われていました。
そのうち、練習中に脱水症状などで倒れる選手や生徒がでてきて、
これは「おかしい」ということになり、
ついに、脱水症状や熱中症で死者がでるようになって、
はじめて、医学的な情報や海外の情報を精査した結果、
運動中には、積極的に水分を補給しないと危ないということが分かりました。

私も、内心これはおかしいと思っていて、激しい競泳や水球の練習中には、
分からないようにプールの水を飲んでしのいでいました。
他の選手もそうしていました。

一般的に常識や慣例として行われてきたものの中には、そういうものが多いです。

現在私は、なるべく首の運動はしないようにしています。
首周りの筋肉のコリは、肩や背筋、僧帽筋に関連していることが多いので、
それらの筋肉をまめに動かしてほぐしています。

すると、大体、首のコリはなくなっています。

首を回すことによって出て来るトラブルも、おそらくすぐには出てこないと思いますが、
静かに深く進行するような気がします。

ヴィンヤサのような動きで、手首の骨に、普段かからない方向から絶えず力がかかり、10年〜20年経って重大なトラブルに発展するのと似ていると思います。

おそらく首を回すことによって出て来るトラブルはもっと深刻だと思います。

2016年10月9日日曜日

「水行」と「温冷浴」

「みずぎょう」と読みます。仏教の修行のひとつで、
「滝に打たれ経を唱え続ける厳しい修行」ですが、主に真冬に行います。

滝に打たれる。というのは一般的ではないので、
例えば、家でも、真冬、朝から洗面器2〜3杯の冷水を浴びる。
ということを日課にしている方が、ヨーガの世界でもいました。

私も師匠の著書を見てから始めましたが、
冬だでけでなく、30年以上、朝晩の習慣になっています。

一番、気持ちがよいのが、2月頃。
この頃は水道水が5度以下になります。
5度以下の水は、浴びても、冷たいという感じはなく、少し刺すような感覚もありますが、
身体が瞬時に反応して、火のように、一気に皮膚温度が上がります。
これは身体の防衛本能のようなものだと思いますが、これがたまらなく気持ちがよく、はまってしまいます。

この後、熱いシャワーを浴びて、再び冷水を浴びて、温冷浴をすることもあります。
こちらは、血管を収縮、膨張させることによって、血流の速度がアップして、その結果、身体が活性化して体温も上昇します。

ただ、瞬間的に身体にショックがありますので、
心臓が悪い方は、心臓麻痺を起こすこともありますし、
身体に何かしら疾患がある方もNGです。


恐らく、私の平熱が37度を超えているのも、この水行のおかげかもしれません。

慣れない方は、冷水を浴びたら、すぐに湯船につかって、温まったら冷水を浴びてと
交互に4〜5回冷と温を繰り返すと無理がないと思います。

血管の収縮で血流が一気にアップして、平熱が高い、免疫力のある身体になっていくと思います。

一般に体温が低い方は、筋肉量が少ない、または、筋肉量に比べ脂肪の割合が多い方です。
体温は主に筋肉が発熱します。筋肉量が少ないと発熱量も少なく、
脂肪は発熱しないで、逆に熱を吸収して体温を下げます。

ですから、この水行は、ある程度、筋肉を付けてから行う方が良いと思います。

2016年10月8日土曜日

「インド人の同化能力」

ジャーディン・マセソンというイギリスの会社に
世界的なワイン評論家(イギリス人)を撮影しに行ったことがあります。

この会社は、元大英帝国東インド会社。
17世紀にインドを支配した会社です。
この会社がインドを征服して以降、イギリスのインド支配が始まりました。

今朝、ニュースソースに、インドのカースト制度的な差別が原因の悲劇がレポートしてありました。

それで、一時間ほど、カースト制について調べてみましたが、
そもそもカーストという名は、ラテン語が語源です。
元来、インドには階級的な社会構造や、賤民と呼ばれる人はいましたが、
現在、日本人が知るようなカースト制度はありませんでした。

実は、カースト制度は、大英帝国がインド支配のために、
押し付けた階級制度だそうです。
経済的に支配するために都合の良いもので、
アメリカの奴隷制度や人種差別構造と同じです。

しかし、

これは、大英帝国が押し付けたものだとは信じられないくらいに、インドに定着して、
あたかも、大昔からある階級構造のように思われてきました。
インド人は、良いものであれ、悪いものであれ、自分たち以外の文化をとても自然に同化してしまうところがあると思います。

アシュタンガ・ヨガの有名な標語「1%のセオリーと99%の訓練」。
これはインドの大英帝国陸軍の標語と似ています。

大英帝国陸軍の標語で有名なのは、「訓練、訓練」、「訓練と規律」。
訓練(Practice)と規律(Discipline)という言葉はかなりの頻度で登場します。
映画「ガンジー」の中でも、出てきました。

規律のもとに訓練する。という考え方とシステムを世界に普及させたのは大英帝国です。
もともと世界中にはこのような考え方はありませんでした。

近代ヨガの父、クリシュナ・マチャリア師は、王族と軍隊にヨガを教えていました。
軍隊担当は、当時、弟子のBKSアイアンガー師でした。

そのインドの軍隊とは、大英帝国陸軍管轄下のインド軍です。
ですから、クリシュナ・マチャリア師は、大英帝国陸軍の訓練方法や思想を、どんどん、ヨガに取り入れたのだと思います。
それが、ヨガにとっても良いことだと判断されたのだと思います。
そして、インドの格闘技カラリパヤットの技術も取り入れたことも有名です。

BKSアイアンガー師も、「軍人に精神的な世界が必要あるか?当時はヨガの精神的なことは全く考えなかった。
それを考えるようになったのは、60年代以降だ」。
と、インタビューで述べています(以下)。

https://www.youtube.com/watch?v=UCjEyjXO_Xw

ですから、クリシュナ・マチャリア師のヨガは、
最近評判になった「聖なる呼吸」のイメージとは違った、軍隊的なスパルタンなヨガだったのだと思います。
あの映画は、欧米人が東洋の神秘的なイメージで作った、欧米人のヨガのイメージです。
ですから、欧米の、それも、軍隊の影響については、言及しないと思います。
インドのイメージが壊れるからです。

このスパルタンなクリシュナ・マチャリアの訓練思想を
受け継いだのがパタビ・ジョイス師。
訣別したのがBKSアイアンガー師です。

ただ、BKSアイアンガー師が弟子の中で最も身体能力があって優秀だった(関係者の話や記録映像から推察)というのは興味があります。
BKSアイアンガー師は、その頃のクリシュナ・マチャリア師との確執についてもインタビューで語っています。

古来のヨーガの精神とポーズに、大英帝国陸軍の規律訓練の思想と、
大英帝国がインドに持ち込んだ、訓練用の、ジムナスティック(体操技術)をうまくブレンドさせたのが
クリシュナ・マチャリア師だったのです。

これは、モダンヨガが爆発的に世界に普及した大きな理由だと思います。
特に、欧米人の考え方に馴染むし、インド古来のミステリアスな雰囲気も兼ね備えているからです。

それまでは、インド、ネパール、チベットの、古来の伝統的なヨーガは、静かに、一部の人に浸透しているだけでした。
近代ヨガが普及する前にヨーガを始めた自分には、その変化がよく分かります。

あっという間に、世界中に普及したという感じでした。
元来、ヨーガはそのような普及をするような性格のものではないから、驚きでした。

近代ヨガは、あたかも、全てが古来のヨガのように誤解している人が世界中にいますが、
かなりの部分、技術的にも格闘技(カラリパヤット)、体操技術が取り入れられている事に気がつく人は、それらの経験者、関係者くらいだけだと思います。
それだけ、インド人が外来の文化を同化するのに長けているからだと思います。

ヒンズー文化が発明した数字の「ゼロ」という概念。
その概念を元に発展した欧米の数学。
それを再び取り入れたインド人には優秀なプログラマーが多いことは有名です。

この同化する能力というのは、インド人個人との付き合いでも目にすることができるインド人の大きな特徴だと思っています。


2016年10月7日金曜日

「眺めるという瞑想状態」


先日は、午後5時頃から、海岸に出かけました。
アームバランス(写真)とプラナヤマを行ったあとに、
さっさと帰ろうと思って回りを見渡すと、
はっとするような日没の光景。

凪、無風、温かい、適度な雲がある。というまたとない好条件でしたが、
日没には、毎回違った「表情」があります。
先日は、時間が止ったような独特の静けさがありました。

岩場に胡座を組んで、ずっと海や空を眺めていましたが、
釣り人以外にも、何人かやってきて、
何をするわけでもなく、日没の風景に見入っていました。

こういう、自然の空間に、何も考えずに身を置く。
これはヨーガの瞑想の状態に近いと思います。
そして、瞑想とは違い、無意識に、入れる。

先日は、アーサナやプラナヤマより、ただ、この場所に居て
遠くを眺めている。ということが、
自分にとって、一番の行になりました。


2016年10月6日木曜日

「今、生きているという喜び」


自分にとっては、ヨガのイメージ、ヨガが生活の一部として存在する場所のイメージはヒマラヤです。具体的に言うと、ネパール北部とチベット。

というのも、日本にモダンヨガが入ってくる1990年代までは、
日本のヨガはヨーガと呼ばれ、ネパール、チベット系が主流だったように思います。
その影響でそう感じるのかもしれません。

もともとヨガ本来の呼び方はヨーガです。
私の回りは、ほとんどネパール、チベット系でした。
瞑想とプラナヤマが中心で、
健康維持のために、昔から伝わっている基本的なアーサナを行うスタイルでした。

余談ですが、「太陽礼拝」は、最も新しいアーサナのひとつです。
太古から伝わっているという誤解がありますが、
恐らく、長くて数十年の歴史しかないと思います。
いろんな説がありますが、ヨガの基本ポーズとスウェーデン体操をアレンジしたものだという説が有力です。
インド人は、良い意味で、あらゆる良いものを取り込んでアレンジする能力があると思います。「太陽礼拝」もそうです。

ヨーガの話しに戻りますが

ここ150年くらいの日本のヨーガの歴史を見ると、
本格的にヨーガの教えを紹介したのは、中村天風師です。
天風師は、ネパール北部、バラモン出身の聖人、カリアッパ師の元で修行しています。
カリアッパ師はチベット仏教の僧侶だったという説もあり、
それが事実とすると、仏教系のヨーガだったと言えます。

仏教は、インドでイスラム教徒によって滅ぼされ、
ヒンズー教徒からも迫害を受けたので、
それ以降、仏教の中心はチベットに移っています。
そもそも仏陀もネパールのルンピニー出身ですから、ネパール、チベットは、
最も仏教の影響が濃いところです。

中村天風師の自叙伝は講談社版があると思いますので、
一度読まれたら面白いと思います。

私は、思想的に、中村天風師の影響を一番強く受けています。
ということは、カリアッパ師の教えの影響を受けているということです。

その教えはたった一言。

「今、ここに生きているという瞬間が全てで、それは素晴らしいことであり喜びだと言うこと」

私は60年以上生きてきましたが、これ以上の真理は目にしたことがありません。

数年前に、自殺防止のためのコンサルタントを始めて、多くの企業と契約して有名になった方が始めた会社があります。

もともと「命の電話」をボランティアでやっていた方です。

その会社の社長のポートレートを撮影しましたが、
その時のインタビューで聞いた話しです。

「これまで、自殺を失敗したり、未遂したりして、幸運にも生還した人たちの聞き取り調査を行ってきましたが、全員に共通していることがあります」。

それは、

「自殺を遂行した瞬間に、しまった!と思ったこと。そして、生還したと分かったときに生きているということが、こんなにも素晴らしいことであるのかと分かったこと」。

直前まで死のうと思っていた人間も、実は、生きたかった。
そして、生きているということが分かった瞬間、生きている喜びを噛み締めた。

生と死を行き来した人間は、ある意味「生」の意味を実地体験した人たちだと思います。
その方たちが共通して言うこと。

説得力があります。

過去も未来も概念としては自分の中に存在するが、それは実体ではない。
実体があるのは、今、その瞬間だけ。

そういう真理においては、カルマも輪廻も、仮に存在はしても、
それは過去のことであり、現在生きている自分に影響はあるのかもしれないが、
瞬間を生きているということにおいては、実体のない過去のことである。

と言うことができると思います。






2016年10月5日水曜日

「続・開脚道」

写真のポーズは、サンスクリット名ウールドワプラサリータエーカパーダーサナ、
通常スタンディング・スプリッツ(Standing Splits)、つまり立位開脚と呼ばれているポーズです。

男性は一般的にストレッチを嫌いますが、なぜか、左右開脚は人気があります。
ウェブやYouTubeで検索しても結構、男性の画像が登場します。

私が最初に左右と前後の開脚を経験したのが、小4のとき、そのときは柔道のストレッチでした。これは怪我しないように、あと足技が自由にかけられるようにと徹底的にやらされました。

その後、体操、打撃系格闘技と、足の柔軟を必要とするスポーツを続けてきたので、開脚については、今でも柔軟性はなくなっていませんが、子供の頃は、前後開脚は190度くらい開いていました。

バレリーナは開脚ジャンプしたときに足が190度くらい開いています。
床上の練習でそれ以上開くことができないと空中で190度開かないために、
210度くらいは開くようにトレーニングします。

ヨガのこのポーズの場合は、別に自分で可能な角度でも効果があるわけで、全く構わないわけですが、やはり、そこで安定してそれで終わりだとつまらない。180度以上を目指したいという欲があります。

それで、今年になって特に開脚ストレッチを強化したのですが、
やっと最近になって、床上で、プロップで前足を上げた状態で、前後開脚が180度以上開くようになりました。190度弱というところでしょうか。それで、実際、立位だと写真の開脚が限界です。180度にはなっていません。

アーサナは、より美しく、よりシャープに際限なく進化させていく。
来年には、垂直か、それ以上を目指したいと思っています。






2016年10月4日火曜日

「人間は自分が感じる世界に生きている」

オーストラリアの物理学者グループが、
「人が、自分の回りの世界を観測(認識)するまでは、その世界は存在しない」
ということを物理的に証明したそうです。
例えば、皆が海や空、人間だと思っている実体は、実は雲のような状態にあり、それを感じて、観測認識して初めて海や空として存在するそうです。

以下

http://shinhomeo.com/blog/quantumexperimentconfirmsrealitydoesntexistuntilmeasured/2508.html

言い方を変えると、
「人は、自分が感じるところの世界に生きている」
「同じものを見ても、人によって感じ方が違うので、別のものに見えている」
ということだと思います。

このことは、仏陀の教えを科学的に証明したことにもなるので、
仏教は科学的だとも言えます。

昔から私は、例えば、同じ花でも、見る人によって全く違った花に見えている。
その人がそれを花だと認識しないと、それは花として存在しない。
と考えていました。
それは、いろんな画家の作品を見ても分かりますし、
花を見たこともない寒冷地に育った人が、初めて花を見たら、わたしたちが想像もできないものに見えていると思います。

例えば、「幸せ」というような、形の見えない概念的なものは、もっと顕著だと思います。自分が、今、自分のことを「幸せ」だと感じないと、幸せというものは存在しないし、幸せの数はその人の数だけあるからです。

そして、いかにお金があっても、回りに自分のことを思ってくれる人がいても
それを幸せなことだと思う人は幸せで、
自分のことを幸せだと思わないと、その人は不幸です。

ですから、いつも自分は幸せだと思っている人は、
自分のことを幸せだと認識する、心的態度、習慣があるから幸せなのだと思います。
実は幸せというものは、雲のような存在で、人がそれを幸だと感じる認識があれば、
それは「幸せ」として存在する。

ということでしょうか。

幸せ探し。とか、幸せになりたい。というのはナンセンスに近いと思います。
今、自分が自分のことを幸せに感じられないと、いつまでたっても幸せを感じるようにはなれないし、幸せにはなれないからです。

本当に幸せを感じる人はどんな逆境でも、自分は幸せだと感じています。

私が影響を受けたヨーガの大家、沖正弘師は、
ヨーガを続けていくうちに、
道を歩いていて、お天道様が自分を照らしてくれるだけで、ありがたいな〜。
道脇に郵便ポストが立っているのを見ても、ありがたいことだな〜。
という境地になったと語っておられました。
とにかく何を見てもありがたいな。嬉しいな。
という状態になったそうです。

これは天性のものではなく、後天的に経験や訓練で得た、心的態度によってそうなったのだと思います。

哲学者のアランが、
悲観主義というものは感情によるもので、楽観主義は心的態度である。
と言いましたが、

人間はほおっておけば、だれでも悲観主義に傾いていくそうです。
だから、悲観主義者の方が楽観主義より思慮深い、高等だというのはウソで、

悲観主義者には誰でもなれるということです。

逆に楽観主義であるための心的態度は訓練で習慣化されたものだと思います。
だから習慣化するまでの努力が必要。

それは、その人が人生経験で得たものや、信仰が可能にするものだと思いますが、
ヨーガもまさに、それだと思います。

私が今までに出会ったヨーガの先生たち、例外なく明るく、楽観的でした。
それは生来のものではないと思います。ヨーガの訓練で得たものだと思います。


2016年10月3日月曜日

「ヨガの女神」

アメリカでハリウッドセレブや女性を中心に、爆発的にヨガがブレークしたきっかけになったのが彼女、クリスティー・ターリントンの存在です。
当時、アメリカ人女性が最も理想とする顔のナンバーワンに選ばれたパーフェクトな美人さんです。

彼女は1980年代末から1990年代末のスーパーモデルブームのアイコン的な存在でスーパーモデルの中のスーパーモデルと言われていました。

ちょうど、私が、キャリアの中で最もファッション系の仕事が多かった時期と重なったので、同時進行的に彼女を注目していました。

彼女は、現在40代後半だと思いますが、18歳の頃からヨガをやっていたといいますから、アメリカのヨギーニでは、古株の方だと思います。

その彼女をファッション誌のマリ・クレールの仕事で2001年に撮ることになりました。
実は、その時の来日は、彼女がプロディースしたヨガのファッションブランドの宣伝を兼ねてのものでした。

会ってすぐに、自分もヨガをやっていると伝えたら、しばらくヨガ談義になりました。
その後、撮影前に行われたインタビューを聞いていましたが、とても興味ある内容でした。

彼女は14歳からモデルの世界に入って、すぐに頂点に上り詰めたシンデレラですが、やはり、多忙でストレスが多かったのか、1990年後半にはメンタル的に参ってしまい、思い切ってモデル業を休業し、大学に再入学して、ヨガに没頭したそうです。

トップモデルが仕事を休業するというのは、普通、復帰しても忘れ去られている、新しい人気モデルが登場している、ということが多いわけで、絶頂期に休業するというのは勇気が要ったと思います。

しかし、聡明な彼女は、大学での東洋哲学の勉強とヨガの修行を加速させることで、新しい価値観の彼女を作り上げ、まったく、ただのファッションモデルとしては違う価値のある女性として復活したわけです。

彼女は、モデル業をやめるつもりはなかったが、とにかく自由な時間が自分には必要だったと言っていました。

何事も、物事を成す、次のステップに移るには時間が必要です。
世界的な投資家、ジョージ・ソロスも、「有り余る自由な時間が必要だ」
と回顧しています。

おそらく、その頃にはヨガのキャリアも長かった彼女には、そのことが自然に分かったのだと思います。

おそらく彼女がヨガをやっていなかったら、そのまま、ファッションモデルで終わったと思います。

1990年代にヴォーグやバザーで目にした、彼女の「目」と、撮影の時に見た彼女の「目」は全く違っていました。聡明さが漂っている。というか、とても美しい「目」でした。

ヨガ絡みで、今まで最もドラマチックだった出逢いが彼女との出逢いです。

プライベート用にと思い、
「パドマーサナ」やってみて?
と彼女にリクエストすると、にこりとして、ちょこんとソファーの上でポーズしてくれました。

余談ですが、ヨガと仏教や東洋哲学に傾倒している彼女はカトリックだそうです。
それは偶然、自分と同じで、私も、東洋哲学が好きで、仏教にも帰依していますが、カトリックの洗礼を受けています。

ヨガのキャリアの長さや、同時期に、同じ業界で仕事をやっていて、ジャストのタイミングで出会えたことに、とても運命的なものを感じました。

2016年10月2日日曜日

「プロとして食べていくこと」

プロ、専門職として食べていける人は、その分野を目指す人の10人に一人だと言われています。
株の世界でも、短期売買で食べて行ける人は10%だと言われています。

小説家の村上春樹が、原稿用紙とペンさえあれば、誰でも小説家宣言ができる。
とエッセイに書いていましたが、
私の職業、フォトグラファーもそうです。
特に、現在はデジカメが普及したので、デジカメを持っていれば、誰でもフォトグラファー、写真家宣言ができます。

しかし、そういう世界は目指す人、分母が大きいので、生存確率は上記の10%よりぐっと少なくなります。

最近のヨガ教室の世界もそんな感じでしょうか。

ヨガの世界をずっと見てきましたが、
先生になるためにヨガの世界に入る。
という時代になったのは、2000年以降だと思います。

それまでは、どこかしら身体が悪いからとか、メンタルに問題があるから。とか、そういう個人的な問題を抱えた人が、口コミで知ったヨガ道場に通い、ヨガに目覚めたということが多かったです。

そして、5年、10年修行しているうちに、そこに、また、口コミで自然に人が集まり、ヨガを教え始める。という、「教える」ということは、あくまで副産物で、自分を高めるということが主な目的でした。

人に教えるためには、「教える技術」というものが必要です。
それには、全米ヨガアライアンスとRYTという教育システムは、とても有意義で信頼できるものだと思います。

しかし、それはあくまで、スキルと経験が前提の保証的な性格であって、やはり根本は、その方のヨガの修行度だと思います。

ですから、一般的に言っても、最低でも10年ほどは、自分にとってのスキルを磨くべきだと思います。

これは、自分のフォトグラファーの経験からも来ていますが、基本的なスキルは割りとすぐに覚えられます。
これは、短期間集中の訓練で、1年ほどあれば、できるでしょうか。

多分RYT200もそのくらいの時間で可能だと思います。

しかし、

長い時間がないと身につかない事もあります。
そしてそちらの方が「プロとして食べていく」には重要だと考えています。

まず、技術ですが、身についている。と思っている技術は、実は本当は身についていないことが多く、
それは、様々な経験や失敗を重ねて本物になっていきます。

これはヨガでも同じだと思います。特にヨガは経験哲学だと言われますから、経験が最もモノを言う分野です。

ですから、プロとして教え始めても、常に学ぶ者として、修行が必要になってくると思います。

アシュタンガヨガの先生たちが、定期的に仕事を中断して、マイソールに修行に行っていますが、そのような、経験を重ねることが最も大事だと思います。

何の分野でもそうですが、人は、自分が相手に提供するものの対価として、お金を得ます。
その「提供するもの」は、自分の中にいつまでも無限にあるわけではありません。
その「提供するもの」を定期的に蓄積していかないと、枯れてしまいます。

それは仕事をしているだけでは、得られない性格のものです。

私の仕事もそうです。ですから、他国に移民して作品を撮ったり、ワークショップに通ったり、仕事をしたり。
そういうことの繰り返しです。それがいつの間にか財産になっている。という感じでしょうか。

ヨガは一生修行です。その修業で得たものを、教える。それがヨガ・ティーチャーだと思います。

フォトグラファーの世界でも、ただ、目の前の仕事だけしかやっていない人は、いつの間にか姿を消しています。
自分の回りでも、30年〜40年選手は、自分の個人的な作品を撮るために仕事をしている。というスタンスの方が多いです。

ヨガもそうだと思います。

ヨガは一生修行です。その修業で得たものを、教える。それがヨガ・ティーチャーだと思います。
そして、ヨガ・ティーチャーは同時にヨガ・ステューデントです。
欧米の優秀な先生は、Instagramなどに、大体例外なく、肩書にYoga Teacher & Studentと記しています。

まず、意識としては、「教える」ということは副産物であるという考えで良いと思います。

そして、自分だけの、他にはないスキルやノウハウがあって、定期的に蓄積していたら、
食べていくのには不自由しないだけの稼ぎが、神様からご褒美として与えられると思います。

「今ならできる」

倒立するには、足を跳ね上げた反動で倒立の姿勢に持っていく方法が一般的ですが、
体操では、Press to handstand(伸肘倒立)という、前屈して手を床につけた状態から、足を跳ね上げないで、重心の移動とバランスでリフトアップする方法があります。

確かこの技術は19世紀にヨーロッパで考案された体操テクニックだと記憶しています。
その古い写真を見たことがあります。

アシュタンガヨガもこの体操の伸肘倒立をヴィンヤサに取り入れています。
余談ですが、パタビジョイス師のヴィンヤサは、欧米人の弟子が多くなるにつれて、
体操の技術を多く取り入れるようになったと思います。

多分、欧米人の身体能力がそれを可能にさせたのだと思います。

ヴィンヤサが考え出された頃のものは、倒立も伸肘倒立もありませんでした。
世界最初のヴィンヤサを記録した映像(1938年にクリシュナマチャリア師とBKSアイアンガー師が模範演技をしている)にも全く見当たりません。

その伸肘倒立ですが、

小学生の頃、器械体操をやっていたときは、普通にできていたこのテクニックですが、
昨年、再び倒立を始めたときは、全くできませんでした。
別に伸肘倒立ができなくても、倒立はできるので、そのまま練習もせずに忘れていたのですが、

先日、ぼ〜っとしていたら、なぜか、ふと、「今ならできる」
と感じて、すぐにリビングでトライしたら、
トライ4度目で、すっと、倒立まで持っていけました。

まだまだ、足がきれいに伸びていなくて課題満載ですが、
一応、やればできるようになったので、後は、フォームをまとめるだけです。

多分、この1年で、筋力が回復して、
昔の感覚が身体の中に戻り、整理されたのだと思います。

それが整ったので、意識として「今ならできる」
というシグナルになったのだと思います。

「今ならできる」は、これまで、いろんなスポーツをやっていて経験した感覚なので、
これはヨガには限らないと思います。

人間の記憶や感覚って面白いと思います。

できるようになったということより、その事の方に感動した昨日の練習でした。




2016年10月1日土曜日

「筋力と柔軟性」

しなやかな、観ていて美しい柔軟性は、強い筋力に支えられています。
写真の女性は、ガーシャ。
職業は「ハンドバランサー」、ハンドスタンド(倒立)、アームバランスのプロです。
シルク・ドゥ・ソレイユのアーティストとして有名で、彼女もヨガをやっています。
アジア系のロシア人。全く日本人と区別がつかない姿形、顔です。

サソリのポーズを片手でやっていますが、自分でもできそうだ。と思わせるくらいの自然さが凄い。
彼女は極端な例ですが、昨日、彼女のヴィンヤサを観ていて、柔軟性やポーズのスムーズさは、筋力に支えられている。
ということを改めて認識しました。

ヨガでもバレエでも、一見スリムに見える男性や女性でも、動きがスムーズでしっかりと美しくポーズできる人は、みな、筋力があります。
しっかりと筋肉がついています。そして、ケガをしません。
柔道では、ケガをしないことも名選手の条件だと言われていました。

知り合いのパリに住む日本人女性が、パリでヨガ教室に入門しようとしたら、
インストラクターが彼女の動きを観て、
「あなたの筋力と体重だったら、危険なポーズもあります。ケガする可能性が大きいです。まず体重を落として筋力をつけてヨガを始めることをおすすめします」
とアドバイスされたそうです。

その女性は別に肥満体ではありませんが、インストラクターは、体重と筋力との兼ね合いを観てから、指摘したのだと思います。

海外では、ヨガ教室のケガは、やっかいな訴訟に発展することがあるので、そういう反応なのだと思いますが、
そのアドバイスは本人のためだと思い。感心しました。
ですから、ヨガスタジオ側でも、そういう体重があって筋力がない人のための入門コースを特別に作る必要があるのかもしれません。


生まれつき身体が柔軟な方がいますが、いかに柔軟でも必要十分な筋力がなかったら、スポーツやヨガをやるのは危険です。

私は、子供の頃から今まで、何かしら武道かスポーツをやっていましたが、
身体が柔らかくて、筋力がない人のケガは、結構多く、それもひどい骨折が目立ちました。
身体が柔らかくて、可動域の限界値が大きいので、それを超えたとき、いきなり、やってしまいます。

逆に身体が硬い方は、それを自覚しているので、慎重になりますが、
全く予想もしていなかったような転倒をしたりすると、簡単に捻挫や骨折をしてしまいます。
身体が硬い方も、柔軟性をつけていく上で、同時に筋力をつけていかないと、トラブルを抱える可能性が大きいと思います。

まだ、世の中にヨガの先生が少ないころに、インストラクターを頼まれて、短期間、ボランティアで教えたことがありますが、生徒さんを見ていると、ああ、この筋力だったら、あのポーズをやったら、肩を痛めるな。と思い、
ちょっと腕立て伏せをやらせると、一回もできなかったり。
そういう生徒さんが多かったです。

知り合いのバレエの先生もおっしゃっていましたが、日常生活においても、最低限必要な筋力がない方が増えています。
そういう方は、まず、その筋力をつけた上でないと、どんな簡単なポーズでも、危険だと思います。もし、やらせるとしたら、マンツーマンでアシストしないと危険だと思います。

その点、器具を使ったり、生徒に応じて、初歩から対応できるピラティスに私は注目しています。

ヨガの発祥地、インドに住む人たちは、ヨーロッパ系と同根のアーリア系です。
地理的にはアジアですが、基本的に身体や顔は欧米系です。
ですから、スリムに見えても、しっかりと筋肉がついていて、筋力があります。

ヨガのアーサナは、それを前提にして、考えられていますから、必要な筋力がある。
というのは、ヨガの場合も大前提だと思います。

古来のアーサナは、大地に寝泊まりしてワイルドな生活をしていたサドゥたちによって、動物の動きを真似て考え出されたものです。

それを行うには、それ相応の筋力があることが条件だと思います。

そして、年齢を重ねてからもヨガを続けるには、若い頃以上に筋力維持を意識することが必要になります。若い頃、できていたアーサナが年をとってからできなくなるのは、柔軟性より、むしろ筋力の低下が原因のことが多いです。