2015年10月31日土曜日

「ストレッチ」
壁を利用してストレッチ。

「言うことを聞かないとサーカスに売り飛ばすぞ」
と親から脅されていた子供時代からくらべると、恐ろしく身体が固くなりました。

60過ぎだから仕方ないかと思うのですが、
最近、このストレッチを始めてから、明らかに後屈は柔軟になっています。
年内には、足と手の間が10cmは縮まりそうな気配です。

来年の暖かくなる頃までには、20cm縮めるのが目標です。
一ヶ月3cm、一日1mm。頑張ります。
目指せシルク・ドゥ・ソレイユ! 笑。

2015年10月30日金曜日


「黙想」
いつも、海岸を走ってヨーガをやったあとは、この岩の上で黙想しています。

この写真のような曇った日は、雲が空に蓋をしたような感じになって、
海岸全体が密閉された部屋のような感じになります。

そして、風も波もないような、こんな日は、あたりは無音状態になります。
聞こえるのは、波打ち際のかすかな波の音だけ。
そのわずかな波の音に神経を集中します。
そこは、
人間の概念の世界を超えた、大きな天体の法則に支配されています。

photo(c)Hiroyuki Ide

2015年10月29日木曜日

Core Strength Yoga: 25 Breaths to Build Power with Kino



「絶対にできないと思ったアーサナ」

初めてアーサナにトライして、これは絶対にできそうにないと思ったアーサナがあります。

マユーラーサナとローラーサナです。

ひとそれぞれ、ヨーガを始めるまでの生活習慣や体験によって、体型、筋肉のつき方や筋肉の強度、柔軟性があるから得意不得意が出てくるのは当然だと言えます。

逆に、かなり難易度の高いアーサナでも、最初のトライでなんとかできたものもあります。

マユーラーサナもローラーサナも今ではできますが、

練習をやっていてふと、今だったら出来る。という直感のようなものがあって、その瞬間にできることがあります。

これが不思議で、ローラーサナでは、ちょっとした深層腹筋の使い方だったと思うのですが、ヒョイと身体が浮きました。

そういうところがヨーガは面白いと思います。

少しの間、練習を休んでいる数日の間に、身体の感覚が整理されるのかもしれません。

動画は、私がよく参考にしているキノ・マクレガーさんのローラーサナのやり方。

彼女はとても明るくて大好きです。教え方も的確だと思います。

2015年10月28日水曜日

「アイアンガー師」



アイアンガーヨーガの創始者BKSアイアンガー師のインタビュー。

とても興味のある内容です。



パタビジョイス師が1915年生まれ、アイアンガー師は1918年生まれ。

同じ師、クリシュナマチャリア師のもとで修行されたようですね。



アイアンガー師は、子どもの頃に病弱で長くは生きられないというと言われていたようで、

師のヨーガはそこが原点だと思います。

アイアンガー師は子どもの頃に貧しく、

ずっとお米と水だけで生活していたという悲惨な話も。



師は王室をはじめ、インド軍の兵士にも

マーシャルアーツ(格闘技)の補助としてヨーガを教えていたようです。



これはとても興味のあることで、実は私も長い間タイ式ボクシングとカラテをやっていて、

ハタヨーガ、クンダリーニヨーガの呼吸法、

アイアンガーヨーガのアライメント調整がとても役に立った経験があります。

特に柔術やタイ式ボクシングにはヨーガを取り入れている方が多いです。

これらのヨーガはスポーツや武道の補助として、とても優れたものだと思います。



アシュタンガヨーガは、ひとつの、動的なスポーツとしても成り立っているので、私の周りに限って言うと、格闘家やスポーツ選手にアシュタンガ・ヨーガに親しんでいる方は見かけたことがありません。



この中で、体幹(コア)について師が指摘されている事がとても興味深いです。

スポーツの二軸理論、歌舞伎や、居合のすり足と同じ、身体の中にはコアが2つ体側にあるというものです。それを、シールシャアーサナを例に指摘されています。



私は今でも、アイアンガーヨーガの柳生直子さんのビデオを見て、基礎を繰り返しています。
偉大な指導者だったと思います。


2015年10月27日火曜日


「おはようございます」

今朝の湘南は、快晴、無風、気温も適度に低く、ランニングに最適でした。
空の青が眩しかったス。
今朝は、
5kmラン+ビーチヨーガ
シールシャアーサナ(頭立)
カパラバディ
ウッディヤーナ・バンダ
ナウリ
というメニュでした。
逆立ちで逆さに見える海と空が美しかったです。

みなさん。よい一日を!


2015年10月26日月曜日


「ハロウィーン」
もうすぐハロウィーン。私は別に何もする予定はありませんが、
ニューヨークのマンハッタンに住んで居た頃のハロウィーンは派手でした。
これは1991年のハロウィーン。

大人が子どものようにはしゃいで遊ぶ姿がとてもうらやましかった記憶があります。

ちょうど、この日は仕事を終えて帰宅途中で、カメラバッグを持っていたら、
「撮ってくれ」
と言われて道路の真ん中で撮ったものです。

この衣装は、ニューオーリンズのマルディ・グラというお祭りの衣装。
彼らは特に凝っていて目立っていました。

この日はパーティーの梯子で、翌日4時まで呑んでいました。

2015年10月25日日曜日

蹴伸び



「蹴伸び」



この映像の競泳の練習法。これを蹴伸び(けのび)といいます。

普通の人は、泳げる人でも、5mも進まないと思います。

まず、まっすぐには進みません。





この姿勢を保って、ほぼ無重力の世界で、上下と左右に傾かないように、しかも前面投影面積を少なくする姿勢をキープするというのは、陸上のバランス感覚とは異質のものです。



オリンピック金メダリストの鈴木大地選手は20m。

私が全国区で入賞していたときには、17mまで進んでいました。



たったこれだけの練習方法ですが、蹴伸びの距離が伸びると、タイムも、それに比例して良くなっていました。



この蹴伸びの感覚を鋭くするためにやっていたのが、

立木のポーズを軸足で爪先立って、中足だけで支えてやる方法や、

目を閉じて行うシールシャアーサナでした。



蹴伸びが進むときは、その蹴伸びのイメージが鮮明なときで、

ヨーガでも自分の姿勢のイメージが鮮明なときは、アーサナは綺麗です。



スポーツへの応用でも、奥が深いヨーガの世界です。

2015年10月24日土曜日

「アド・ムカ・ブリクシャーサナ」



「Adho Mukha Vrkshasana」



アド・ムカ・ブリクシャーサナ、体操の倒立とほぼ同じです。

倒立は小学生以来、笑。



身体が覚えていたので、なんとか30秒はキープできます。

これを5セット。

1分、2分、5分と続けられるようにしたいです。



ただ、筋力の衰えか、バランスの悪さか、一直線にキープできる時間が短く、

フラフラしています。笑。



これはこれで、コアのトレーニングにはなるのですが、

できるだけ長い時間一直線にキープしたいです。



インナー、アウター、筋肉を効果的に鍛えるにはもってこいのアーサナです。



これは、自分にとっては、ピンチャマユーラアーサナよりずっと楽。

ピンチャは床が近く、あの圧迫感が嫌です。



あっ、髪ばっさりカットしました。笑。

2015年10月23日金曜日

「朝ヨーガ」

朝起きて、雨戸を開けたりごみを出したりして、少し身体があたたまると20分ほど朝ヨーガをするのが日課になっています。
そこで、最初にやるのが、これ、

趾組み。

15年ほど前にクンダリーニヨーガのY先生に教わってから日課になっています。
これは趾の隅々まで刺激して、気分が良くなります。

次に

シールシャ・アーサナ(頭立)3分

スカアプルバク

カパラバディ

ナウリ

といったところです。
タイトルに偉そうにアシュタンガヨーガと書いていますが、笑、
実際はハタ・ヨーガ中心のヨーガ生活です。

アシュタンガ・ヨーガのハードなアーサナは、夕方、海岸を5kmほど走って、身体が温まり、柔らかくなったところで行います。

大体、2km走ると、身体の血液は一巡するそうです。
だから、血液を二巡させたあたりでしょうか。

もうこの歳になると、こうでもしないと身体が壊れてしまいます。
とにかく、ウォーミングアップとストレッチ。

これがケガをしない秘訣ですね。






2015年10月20日火曜日

シールシャアーサナ・バリエーション02



「シールシャ・アーサナのバリエーションです。」

回転は速い方が安定しますが、

遅い方が、コアやバランストレーニングになります。

足は開き過ぎると、バランスが崩れたときのタメがなくなり、

修正するのがより難しくなります。

丹田を中心に体側の二本のコアを意識しています。

想定外の転倒をすることがあるので、

しっかりとエスケープ(転倒時の着地)ができる方のみトライしてください。

2015年10月19日月曜日

「趾(あしゆび)」

趾を手の指と同様に器用にすると、足全体が柔軟になり、土踏まずを発達させ、足裏のツボを刺激することにもなります。

これは、ビー玉を足の裏で掴んで移動させるトレーニングです。
手前のビー玉を趾で掴んで、向こう側に持って行きます。
これを左右の足で行います。
いろんな指を使うとより効果的です。

これは私が競泳選手時代にやっていたトレーニングで、バタフライのドルフィンキック等を打つときに、しなやかな足先の動きをするためのものです。
バレリーナも同様に、趾でティッシュを掴んで出したり、いろんな趾の訓練をしています。

ヨーガの時にも、特に、倒立や、アームバランスのアーサナのときに、微妙なバランスを趾でとることがあります。
そういうデリケートな動きができるようになるために、このようなトレーニングは有効です。

もちろん、健康維持にもとても効果的です。
趾は普段、靴の中に押し込められて虐げられています。

一日一回は、指を開いたり、揉んだりして動かしてあげましょう。

2015年10月18日日曜日

「夕べの瞑想」
いつもヨーガをやっている茅ヶ崎の海岸から伊豆大島方面を撮ったもの。
日没の少し前の時間帯ですが、昼間の世界と夜の世界の境界を見るような気分がします。
向かって左側の闇の世界がどんどん右の方に広がって、夜が迫ってくるのが分かります。
この時間帯の瞑想は特別です。
まぶた越しに、眼神経が光の移動する様子を感じます。
そして、完全に闇になった瞬間。ふっと、意識も闇の世界に入ります。
しかし、そこは、とても静かな世界です。
ゆっくりと目を開くと、残光で昼間の余韻が残った世界が静かに横たわっています。
photo(c)Hiroyuki Ide


2015年10月17日土曜日

「真言」
最近、仕事で撮った写真です。
真言宗智山派、勝覚寺にて。
仏教の瞑想も素晴らしいですね。
真言とはマントラのこと。
板に書いてあるのは梵語(サンスクリット語)だと思います。

2015年10月16日金曜日

「ピンチャマユーラアーサナ」
先日の海ヨーガの続きです。
どうも、最近、このアーサナのときに肩が入りません。
倒立した直後は、肩が入り、肩、腰、足先が一直線になるのですが、
筋肉の疲れなのか、次第に、いわゆる、バナナ・ハンドスタンドになってしまいます。
バナナのような倒立ということでこの名前が付いています。

これだと、どんどん顔の位置が下がり、1分もキープしているのがやっとです。
肩が入ると、3分は楽勝なんですけど、
結構デリケートなアーサナです。

しかし、屋内だと、周りに壁や天井があって、視覚を含め、身体の各センサーから出て行く信号のようなものが跳ね返ってきて、距離感がつかみやすいのですが、
オープンだと、最初しばらく、戸惑います。

私の場合は、天と地と、自分の意識のつながりの中に安定を求めるという意識で行っています。自分が丸裸になっている感じですね。そこに一体感ができると最高です。
課題満載。


2015年10月15日木曜日

「カウディーニャ・アーサナ」

本日の海ヨーガ、ウッドデッキ編。
このアーサナは、顎と、足先を引っ張り合うバランス感覚でやっています。
感覚的には、背中は少し反っているような感じ。

最初に顔が板に近づいたときに、水泳のクロールの息継ぎの要領で、顔を横に向けて、鼻がぶつからないようにしてバランスをとってから、少し身体を戻してから、顔の位置を正面に戻しています。

このアーサナは一度やって、バランス感覚を忘れていないと確認できたら、
それで終わり。

週に一回くらいしかやりません。
頻繁に練習していたら、この歳です。身体がもちましぇん。笑。
「天使の梯子」
本日、午前中で仕事が終わったので、午後から海岸で読書とヨーガ三昧でした。
倒立をしていると、雲から天使の梯子が!
神様に祝福していただき、もっと精進するようにと励ましていただきました。
うれしゅうございました。笑。
Handstand at Chigasaki Beach.
Angele’s ladder appeared through the clouds behind me.
Kind of unstable on the rock.
it was not easy to take balance.
(c)Hiroyuki Ide

2015年10月14日水曜日

「バカーサナ」
本日は久々にヨーガ教室に行きました。
いろんなバランス系のアーサナをやっていくと、いかに自分の練習が偏っているか、
基本がいいかげんか分かってきます。

本日もそうでした。

レッスン後、皆でバカーサナをやりましたが、
舐めてかかって顔面から突っ込んでしまいました。
こんなこともあります。

写真は去年、海岸の岩場で撮ったバカーサナですが、
やはり、これは止めた方が良いですね。
今日、顔面を打って反省しました。笑。
明日から、また基本に戻って地道に練習を重ねます。


2015年10月13日火曜日


「足はセンサー」

足先はツボが集中していることからも分かる様に、大事なセンサーの役目をしています。
歩く時のバランスや、バランスを崩した時にそれを感知するのは足先です。

土踏まずがなかったり、浅かったりすると、バランス機能が弱いばかりではなく、健康にも悪影響を与えます。

写真の円の部分は中足(ちゅうそく)と呼ばれる部分です。
ここを写真のようにぐっと反らせると、土踏まずが逆方向に引っ込み、土踏まずが深くなります。

そして、土踏まずの部分を拳でたたくと、土踏まずを育てるだけでなく、足全体の裏側の筋肉が緩みます。開脚の前にこれをやっておくと、無理がありません。

右足を投げ出し、左足を折り曲げて右足の付け根に置き、足首を回す柔軟はよくご存知かと思いますが、そのときに、ついでに、これをやっておくと良いと思います。

この中足の部分だけで、バレエのポワントシューズのように一直線に立って、素足で足の指で床を掴んで部屋の中を歩くと、とてもよいバランスや筋力のトレーニングになります。

そして、反らした後は逆方向に曲げるストレッチを忘れずに。
こうやって、足先を敏感にしておくと、倒立やバランス系のアーサナのときに、バランスの微調整を足先で出来るようになります。

2015年10月12日月曜日


「深入りしない方が良い」

30歳の頃にヨーガの先生から「井手さんはヨーガに深入りしない方が良い」
と言われたことがある。

その先生はお父様もヨーガの先生で、幼少の頃からヨーガに接していらした方だったので、私はちょっと聞き入ってしまった。

私はプロのフォトグラファーになって約30年仕事をしているが、
仕事は、国内外のメジャーな雑誌書籍が多かった。
どちらかというと、作家的なフォトグラファーだと思う。

先生がおっしゃるには、表現することを仕事にしている人がヨーガの精神世界に深入りすると、ものに執着したり、拘ることができなくなって、障害になることがある。
ということだった。
表現する仕事というのは、とにかくエゴと執着の塊になることがほとんどだからだ。

ちょうどその頃NHKの番組で、座禅を始めてから作品が創れなくなった陶芸家のコメントを聞くことができた。

私はピンときたので、それ以来ヨーガは、自分の関わっている競技の補助とフィジカルのためにだけ行うと決めた。
結局それが良かったと思っている。

仕事の一線を退いた50歳ころから、本格的に精神的な意味でもヨーガに関わり始めたが、拘るということや、執着するということが具体的にどういうことか、経験が豊富だったので、それらと上手く付き合い、時には自分を開放することが分かるようになったと思う。

芸術家の中にはヨーガを実践している方も多い。しかし、多くの場合、自分のキャリアの頂点から下山途中の方が多い。
山を下るときというのは、景色が良く見えるものだ。

お釈迦様も聖フランチェスコも裕福な家の出身で、ありとあらゆる贅沢を味わうところから出発した。執着や拘りを経験しないと、それがどういう性格のものか分からないはずだ。経験していないと、それはただの想像の世界になってしまう。

ヨーガをやっていて自分が開放されたと思い込むのは危険だと思う。
分かったつもりは危ない。

聖書や経典に書かれていることは、危機的状況を経験したときに初めて分かることが多い。
そこを乗り越えたときに意味が分かり、認識となる。
乗り越えるのは自分自身だと思う。
photo(c)Hiroyuki Ide

2015年10月11日日曜日

「倒立」
最近、約50数年ぶりに倒立の練習を始めたが、子供の頃、やっていた器械体操の倒立を身体がまだ覚えていることに驚いた。
水泳もそうだが、30年のブランクでも、泳ぎは忘れていない。
三つ子の魂恐るべし。笑。

しかし、カメラチェックするといろんなことが分かる。
改めて酷いO脚を確認。
左手と右手の筋力の違いも確認。左に傾いている。

しかし、これは、優雅なアシュタンガ・ヨーガのアーサナではない。
どう見ても器械体操の倒立だ。笑。
器械体操ではこの手幅は普通だったような気がするが、
アシュタンガ・ヨーガは肩幅くらいか。

また練習の課題が増えた。
それも面白い。楽しみながらやっていこう。

「玄米」
主食は大体玄米ですが、調理方法がちょっと普通とは違います。
私の場合は土鍋で「びっくり炊き」。
この、びっくり炊きというのは東北地方に伝わる炊き方で、
最初少なめの水で炊いて、水がなくなってきたら、冷水を足します。
すると、温度差で、玄米の殻が破れて、ポプコーンのように中の白米が顔を出します。
写真のような感じです。これは自分で炊いたもの。

その結果、食感はほとんど白米と変わりません。
もちろん栄養分や繊維質もそのまま。

おまけに、玄米を水に浸す必要もなく、時間の節約にもなります。

玄米独特のエグさがありません。
これはお勧めです。

「びっくり炊き」で検索すると炊き方が出てきます。
是非!

2015年10月10日土曜日

「体温」

自分がヨーガを40年やっていて、何が最も自分の肉体に変化をもたらしたのか?
ということを考えた場合、それは体温だと思う。

現在、自分の体温は朝起きた直後、大体36.3度、正午36.6度、午後36.9~37.2度前後だ。
ガンが一番発生しやすい体温は35度代、ガンが死滅し始める体温は37.0度を超えてからだと言う。

体温が37度を超えると俄然免疫力が活性化するという。
風邪を引いた時に体温が上昇するのは、その理由だ。
身体は、体温を上げて免疫力を上げようとする。自己防衛本能とも言える。

話は飛ぶが、ニューヨークに住んでいた頃、真冬の話だが、
お金をあげたホームレスと、しばらく話をしたことがある。
そのホームレスの黒人が、寒そうにしていた私に、
「一番早く体温を上げて身体を温めることができる方法は何だか知っているかい?」
と得意気に尋ねた。

分からない。と私が言うと、彼は
「それは息をしばらく止めたり吸ったりすることを繰り返すことさ」
と言う。
それで、自分も息を一分ほど止めては大きく吸うということを繰り返したら、零下の気温でも身体が火照ってきた。

どういうことかと言うと、息をとめたり、吸ったりすることによって、血液が速く流れたり、遅くなったりするらしい。そのことによって体温が上がるということを、後になって知った。

実はヨーガのカパラバディやパストリカなどの呼吸法は、上記のことを繰り返し行うような呼吸法なのだ。
それによって、血液が速く流れたり遅くなったりで、体温が上昇しやすい体質になる。

そのおかげだと思うが、私はインフルエンザにかかったこともないし、風邪にかかった記憶もない。

多分菌が体内に入っているという実感はあったが、それが発病しなかったのだろうと思う。

しっかりとした呼吸法を身に着けていれば、あなたの体温は、最低でも36度代後半はキープしているはずだ。

それは正しい呼吸法を身に着けているのかどうかのバロメータだと思う。

参考までに、昭和初期の日本人の体温は大体37度あったそうだ。
欧米人の平均体温は37度から37度代後半。
現在の日本人の体温の低さは異常だ。



「黙想と瞑想」
和室にある掘りごたつを片付けてしまったらすっきりした。
ちょうど動線に掘りごたつがあったので、「気」を遮断してとても気になっていた。
ちょっとした障害物がなくなるだけで、
これだけ気の流れが変わってしまうということに今更ながら驚いた。
この和室の真ん中で、黙想するのが楽しみになった。

黙想と瞑想は違う。
自分が最初に意味も分からずに黙想したのは、小学校時代の柔道の時だ。
先生の「黙想!」という声とともに1分くらいの黙想に入る。
とにく稽古後の黙想は、興奮した自分が嘘のように落ち着いた気分になったのを良く覚えている。

瞑想は一点に意識をフォーカスする集中力のトレーニング的側面があるが、
黙想は、過去の自分や、いろんな事に思いを巡らすという行為も含まれる。

自分は黙想が好きだ。過去という実態のない事に想いを巡らすのもなかなか良いものだ。
もちろん思い出すのは楽しいことだけ。
悪いことを思い出しそうになったら、もぐらたたきのように、叩いてしまう。笑。

アメリカの精神科医が考えだした「心の映画館」というセラピーがある。
1970年代だったと思うが、それからは、様々な精神療法のひとつとしてポピュラーになった。

これは、自分が映画館でひとりで、銀幕を見ているとイメージするというもの。
そこには、自分の過去の様々な楽しいことや自慢できることが映しだされる。
それを目を閉じて、想像の中で楽しむのだ。

これは黙想に似ている。古今東西、癒やしの方法は似通っているということか。

感じる。ということは、言葉での理解を遥かに超えて潜在意識に沈潜する。
般若心経をどれだけ理屈で理解するより、
唱えた方が遥かにその真髄に触れることができる。

古くからの知恵は、理解することではなく、
感じることでその生命を保ってきたのだと思う。



「ヨーガとスポーツ」

プロテニスの錦織選手には、ヨーガトレーナーが専属で付いています。
ヨーガを続けていると、ヨーガがスポーツにとっても、とても合理的なエクササイズだということが分かります。

私は、ヨーガはスポーツのコンディショニングという意味でも続けています。
写真は競泳の飛び込みシーンですが、5年前の自分です。
競泳でもヨーガ同様、身体の「軸」のイメージとそれを意識することは大事です。

飛び込みではスタート直後の一瞬の間に、肩甲骨を引き寄せ、腕を交差させ、腕と腕の下に頭を潜りこませます。足も、体幹の2つの軸上に揃えます。このシーンはその直前になりますが、この姿勢のまま、水面のわずかな面積に入水します。

この動きをヨーガのダンダアーサナなどの練習の中でイメージして肩甲骨や体幹の動きをシミュレーションします。
この飛び込みの技術如何でゼロコンマ2秒くらい短縮できるかもしれません。

そういう細かい技術の蓄積で競泳はタイムを縮めて行きますが、その過程もヨーガのアーサナ完成と共通する部分が大きいです。

水泳はイメージのスポーツです。自分のフォームを常に意識しながら泳いでいます。ヨーガも自分のアーサナのイメージを頭に描きながら行います。





2015年10月9日金曜日

「ランニング・ダン!」
いつも夕方走っている海岸沿いのランニングロードです。
これは去年の写真です。本日は台風の影響で荒れていました。

今の時期は、4時半くらいから走り始めます。
距離は5km〜10km。
走り終わると、海岸のウッドデッキで、調息、ストレッチ、ヨーガ(逆立ち系か立技系)。
本日は、6km走って、簡単なストレッチだけで済ませました。

お昼すぎまで、体調があまり優れなかったのですが、
大体そんな時は走って汗かくとウソみたいに体調がよくなります。
本日もそうでした。

水分補給のあとはビールです。
明日からは、三連休ですね。
みなさま、よい休日を!
photo(c)Hiroyuki Ide

「動物とヨーガ」

最近よくYoutubeなどでヨーガをやっているご主人様にまとわりつく犬や猫の動画がアップされています。

実は昔から、なぜ動物はヨーガを始めると寄ってくるのか不思議に思っていました。

写真はうちにいる白文鳥のフクさんです。
フクさんも私がヨーガを始めると、まとわりついて離れません。
しばらく遊ばせておきますが、踏むのが怖くて籠にもどします。

実は以前に飼っていたセキセイインコは、ある時期から、私の合掌した手の上に停まって気持ちよさそうにしていました。不思議に思ったのですが、様子がおかしかったので、獣医に診てもらいました。そうしたら、腫瘍ができていてもう手遅れということでした。

動物は痛みを訴える言葉を持っていません。
インコは、痛みを癒やすために合掌した手の上に停まっていたのだと思います。
合掌した手には、強い「気」が流れています。

きっと動物たちは、磁力のような「気」に引かれて、ヨーガをやっている人間の近くに寄ってくるのだと思います。

きっと気持ちが良いのでしょう。

2015年10月8日木曜日


「老化の定義」

人間の老化は20歳を過ぎた頃から始まると言われています。
私の師匠は、老化は、「身体が前屈みになって固まる」ことだ。
と言ってました。

人間は、何を見て「あの人は老人だ」と判断するのか?という調査がありましたが、
その結果、
多くの人が「前屈みで、身体が固くぎこちない動き」を見て、あの人は老人だ。と判断したそうです。
顔を見て老けているという判断をする人は少なかったそうです。

ということは、前かがみではなく、なめらかな関節の動きをしていれば、老けているとは見られないわけです。
もちろん、見かけには身体の老化が如実にでますから、そのような方は老化も進んでいないわけです。
これは程度の差で、30歳を過ぎた人にも共通すると思います。

ジムでストレッチをしている人、海岸のウッドデッキでランニングの後にストレッチをしている人を観察すると、前屈系のストレッチばかりやっています。
後屈系のストレッチをしている人は、ほとんどいません。

老化の原因である前屈みを防ぐのは、「後屈系」です。
写真は極端な後屈系のアーサナですが、自分は後屈系を特に重視しています。
乱暴な分け方をすると、
前屈系は疲労回復
後屈系は老化防止
と言うことができます。

おそらく、男性のほとんどの方が後屈系のストレッチは苦手だと思いますが、
苦手だということは老化が進んでいるということにもなります。

私は、後屈系のストレッチやヨーガのアーサナは毎日やるようにしています。


2015年10月7日水曜日


「みんなのヨガ」

一度FBにも掲載した話題。
2005年にブルータスがヨーガの特集をしてまるまる一冊ヨーガの本を出しました。
そのタイトルが「みんなのヨガ」。
とても、ほっこりするタイトルで書店で目にして即買いしました。

自分がヨーガの世界に入ったのが1970年代。
多くの指導者の方を目にしてきましたが、多分、ここに紹介されている方たちは、
私と同じ頃にヨーガの世界に入られた方が多いのではないかと思います。

1990年代に、全米ヨガアライアンス協会という団体が、ヨーガティーチャーの習熟度を数値化して、それがスタンダードになりました。
私がアメリカにいた1980年代は、まだアメリカはヨーガを知らない人の方が圧倒的に多かったので驚いた記憶があります。

アメリカ人は何でも標準化、数値化することに長けています。
そうすると、分かり易くなり、普及しやすくなるメリットはあるわけです。

実は、ヨーガのような古い歴史があるものに対する認知や理解が、歴史の浅いアメリカ人は苦手なのです。
苦手というより、誤解していると言った方が良いのかもしれません。
それは文化全般に言えます。

ヨーガがそのスタンダードによって爆発的に普及した功績も大きいのですが、
欠落した部分もそれに劣らず大きいと思います。

このブルータスに紹介されている先生方はみなユニークです。
全米基準ができる前の方は、それこそ、自分たちの手で、体験の中から、工夫して学んできた方が多く、説得力があったように思います。
本来ヨーガは密教的なものです。グルから弟子へ直に伝えていくものです。

ヨーガティーチャーの肩書に全米ヨーガアライアンス協会というものを見ると、
ちょっと、これで良いのかと危惧する昨今です。


「サンスクリット語源の日本語」

言語学に昔から興味があって、ヨーガをやっているということもあって、
サンスクリット語をかじっています。
サンスクリット語は喋り言葉ではなく典礼語です。

普段何気なく使っている日本語会話の中に、
意外にもサンスクリット語が語源のものが多く、
ちょっと調べただけでもこれだけあります。

禅:Dhyana(ディアナ)
涅槃:nirvanam (ニルヴァーナ)
菩薩:bodhisattva(ボーディサットバ) 
おっかあ:akkaa (アッカー)
とうさん:taata (たあた)

1)禅については言葉そのものと、座禅がサンスクリット語ととても関係があります。
座禅はヨーガのサマディから派生したもの。般若心経でボーディサットヴァはヨーガのサマディを行っていたとサンスクリット語には記してあります。

ヨーガは仏陀生誕の1500年前には存在して、仏陀自身もヨーガ行者でした。
ヨーガスートラを仏陀も学んだと言われています。
その禅は、サンスクリット語のDhyana(ディアナ)が訛って伝わったものです。

2)涅槃(ねはん)も菩薩(ぼさつ)も結構訛って伝わったのが分かります。

3)おっかあ、と、とうさんは、もうお笑い。
これは結構日本人でも普通に発音できるので正確に伝わったようですね。


サンスクリット語の発音は、インド人の発音を聞く限りやっかいそうです。

サンスクリット語は、子音を素早く鋭く発音して母音を響かせるタイプですから、
日本人にはとても聞き取り難く、子音をしっかりと発音して母音が伸びない日本語文化圏の人には発音しにくいと思います。

インド人のサンスクリット語を聴きとっていると、Rは英語と同じで舌は巻いていて、Vは唇を噛んでいます。インド人も英語を喋りますので、英語式の発音でサンスクリット語を発音しているのかもしれません。



英語との関連で興味深いものもあります。


4)これはラテン語、英語との関連ですが、特に興味あるのは、try。
サンスクリット語のtry(トゥリ)は3の意味。
これは、般若心経の原典の最後の方にTry-adhva(三世)として登場します。

英語のthreeと意味も発音も同じです。
ラテン語・古典ギリシャ語におけるthreeに関する接頭辞 tri~とも同じ。
そのtriからは、英語のtrinity(三位一体)、triangle(三角形)が来ています。

ギリシア文化全盛の頃、確かアレクサンダー大王はインドに遠征していますが、どちらがどちらに影響を与えたのか?それを考えると面白いですね。

ちょっとかじっただけで、結構楽しいサンスクリット語の世界です。笑。

2015年10月6日火曜日


「自然の中でのヨーガ」

雨が降らない日、仕事がない日はここでヨーガをやっています。
今の時期は、午後5時スタートで6時半くらいまででしょうか。
まず6km走って、うっすら汗が滲んだ状態でヨーガに入ります。
部屋でヨーガをやることもありますが、
やはり、屋外は直接海と空に繋がっています。
それに加えて岩の上では地に繋がり。という感じです。
ヨーガマットなしなので、逆立ち系か、立技系のアーサナになります。
そして、日没前後は瞑想。
逆立ち系は、子どもたちや女子高生に結構人気があって、見世物状態になることがあります。笑。
そして、アーサナが終わると質問も。
そこで、しっかりとヨーガの素晴らしさを宣伝しています。
子どもの頃にインプットしておくと、結構大人になって思い出して始めたりするものです。

写真は、ヨーガをやっているウッドデッキ。
午後4時から5時はこんな感じで神秘的な光景になることがあります。
こういう光景の下での瞑想は、いつもと感じが違います。

(c)Hiroyuki Ide

2015年10月4日日曜日

「ウッディヤーナバンダ」

「ウッディヤーナバンダ」
本日午前中はストレッチと、久々にウッディヤーナバンダを行いました。
やり方や効果については書き出すとすごい量になるので、信頼のできるサイトをご覧になってください。

格闘家のヒクソン・グレイシーがよくやっています。
彼のトレーニングも、海ヨガをやるときに取り入れています。
呼吸法だとパストリカとカパラバディ。

バンダとは「締め付け」のこと。
腹部を締め付けると同時に横隔膜が上がり、その結果内蔵を引き上げます。
そのことによって内蔵が活性化するだけではなく、集中力も養うことができます。

腹部がしっかりと引きつけられると腹直筋が見えますので、それを引きつけの目安にすると良いと思います。
私は、胸郭を意識的に広げ、その開く力と負圧で、さらに横隔膜を引き上げるようにしています。
このバンダを繰り返しやっていると、お腹を元に戻した時に腹筋の段が見えるようになってきます。ということは腹直筋も鍛えてくれるのだと思います。
いろいろと効能のありそうなウッディヤーナバンダです。


2015年10月3日土曜日


「海ヨーガ」

私の家は茅ヶ崎海岸から約300mのところにあります。
海岸には広いウッドデッキと、岩場があります。
そこが私が主にヨーガをやっている場所です。

春から秋にかけては、約6kmをランニングして汗をかいた後に調息してからヨーガに入ります。走るので、ヨーガマットは持って行けません。

板か岩の上で直接アーサナをすることになります。
最初は転倒したりで、私の腕や肘、腰は傷だらけでしたが、やっていくうちに皮膚が厚くなってきて今では傷は無くなってしまいました。

グラウンディングといいますが、岩場での、この写真のピンチャマユーラアーサナの感覚は特別です。
二本の腕が大地に接して、身体は大気にむき出しです。
腕から大地のエネルギーが身体に伝わってきて、足先を通して天空に抜けていきます。

どこでやっても、岩場は傾斜していて、でこぼこです。
そこで逆立ちするときのバランス感覚はスタジオでは味わえない、とても緊張感に満ちたものです。私はまだまだしがみつくので精一杯です。

こけたら大怪我です。やりたい方は自己責任で。

この後、ちょうど日没になる直前から瞑想に入ります。
目を閉じて大気に意識を集中していると、
日没の瞬間に「気」が変わるのが分かるようになります。
ふっと、ロウソクの火が消えるような感覚でしょうか。

それを経験すると、もう海ヨーガの虜になります。





「シールシャアーサナ」

逆転系の基本的なアーサナです。
私はタイマーをセットしてからこのアーサナに入っています。
体調によって3分~6分をワンセットで行います。
大体3セットです。

不思議な事に、その日の体調や精神状態で時間の感覚が違います。
3分がとても長いこともあれば、短く感じることもあります。
今まで、何度か、この3分が、一瞬で終わったことがあります。
途中で意識が飛んだとしか説明がつきませんが。

このアーサナは、30年以上続けているせいか慣れっこになり
気持ちがよくなって眠くなることがあります。
一度だけ寝落ちしてひっくり返ったことがあります。

私は通常瞑想は蓮華座で行いますが、
ときどき、シールシャアーサナで瞑想することがあります。
このまま蓮華座を組むこともあります。

シールシャアーサナでは、
肘と足先を結んだ二等辺三角形とその中心にある丹田をイメージしています。
この二等辺三角形を歪まないように意識するとバランスは崩れません。
足先を揃えない場合は台形を意識します。

これが頭、丹田、足先という一直線をイメージするとバランスは危うくなります。
実は、身体のコアはその直線上にはありません。
二等辺三角形もしくは台形の2つの長辺がコアに相当するのです。
コアは2つあります。
これはアイアンガー師も指摘されています。

基本的にピンチャマユーラアーサナも、同じ感覚です。



2015年10月2日金曜日



「ヨーガ行者」

写真はインドのヨーガ行者です。
これはPBSの「仏陀の生涯」を録画した中からのピックアップですが、仏陀が悟りを開くにあたり、ヨーガ行者として苦行したことはよく知られています。
多分、その頃のヨーガ行者と、この方の風体と行動様式、考え方はほとんど変わっていないと思います。

面白いのは、ヨーガマット。
動物の皮です。
ヨーガでは動物の殺生を禁じてあります。ですから、この皮は自然死かもしくは事故死した動物の皮だそうです。
皮を取るために屠殺した動物の皮は使ってはいけないそうです。使うための証明がいるそうです。

この番組は全て英語で、このヨーガ行者へのインタビューも英語字幕ですが、
彼が言うことは、チベットの仏僧の問答修行にも通じるようなところがあります。
チベットの仏僧たちは、様々な相手と問答修行を通じながら、仏教の理論体系を学んでいきます。

このヨーガ行者の言うことも論理的です。
不思議な事に、それらは、フランスの理性主義に基づいた理論構築と、共通したところがあります。
彼らの考え方はある意味とても論理的です。

ヒンズーの世界はゼロを発明しました。とても数値的な世界です。
やはり、そういう世界観なのだな。と感じます。

このヨーガから仏教に至る理論体系と精神文化は、日本のスピリチュアル系、癒やし系とは全く異質のものです。
安易な癒やしや悟りというものはありません。

修行と思索と問答を積み重ねながら論理的に、人間が分かることろまで突き詰めていくような態度が必要なのだと思います。すると、ある日、それが訪れるのかもしれません。

このヨーガ行者たちは、肉体と精神の両方でそれを求める旅を続けているのだと思います。
私は討論が好きです。それは問答修行の実践にもなりますし、厳しいアーサナも好んでやります。
苦行の末に見えることもあります。



「自分が生きている世界」

オーストラリアの科学者グループが、人間が考えている現実の世界というものは、その人がそれを認識するまで存在しないということを科学的に証明しました。
自分には、その仮説まではわかるのですが、数式はチンプンカンプン。

皆が考えている「この世」という存在は、それぞれの人が、それを認知するまでは存在しません。
これは真理だと思います。皆があると信じている共通の世界というものは存在しません。
ですから私が死ねば、私はその世界を認知できなくなるので、この世の存在は永久に消滅してしまいます。それが「死」なのだと思います。

ですから、皆が考えている世界がその数だけ存在しているということです。
このことは、「皆が自分が考えているところの世界に生きている」ということです。

これに関しては、自分は今までの人生を見ても、間違いないと思っています。
このことは仏教やヨーガでいうところの「悟り」の論理的な説明にもなります。

自分は、60年の人生の重大事件として、余命宣告、離婚、破産、を経験しましたが、
そのときの自分の周りの世界と、現在の金銭的には困らず、生命の危険もない世界とは物理的には全く同じ世界ですが、全く違う見え方であり感じ方も違います。
あるときから、違う世界になってしまったわけです。
それは借金が無くなった時ではありません。ものの見方、考え方、捉え方が変わった瞬間からです。

昔と今の自分の違い、それは自分がその世界をどのように見ているのか?というだけの違いだというのがよく分かります。

これを演繹すると、自分が今、自分のことを幸せだ。と思えばすぐ幸せになれるということです。そして、過去未来という実態のない概念を無視すると、今幸せだと感じることができないと永久に幸せにはなれないということになります。

中村天風師がヨーガの修行中に悟りを開いたときがそうです。
「今生きているという、それだけで幸せだ」
と気がついたときが、悟りを開いた、つまり、自分が生きているだけで幸せだと気がついた瞬間彼は幸せになったのだと思います。
それが、師がそういう世界に生きることになったわけですから。

何十億という資産を持っていて、若くして不幸な人生を終えた人が私の周りにいます。
それは、その人が見る世界が不安と不満に満ちた世界だったので、そうなったのだと思います。周りの人からみればお金があって羨ましい世界に見えますが、
彼はそういう世界に生きていたのです。

しかし、この認識はいきなりはやってこないと思います。
哲学者のアランが、悲観主義は気分によるもので、楽観主義は意志によるものだ。と言いましたが、
自分が生きる世界が幸せに見えてくるには、意志の力による習慣化が必要なのだと思います。
誰でもほおっておけば悲観主義になります。

訓練で、手っ取り早く楽観主義を身につけるためには、やはり「笑い」でしょう。
ウソの笑いでも思いっきり笑えば、その効果は同じです。潜在意識は本当の笑いと区別せずに受け入れます。
多分、ラフターヨガ「笑うヨガ」というのはそこから来たのだと思います。

(c)photo (c)by Hiroyuki Ide

「ピンチャマユーラアーサナ」
から、足を前後に開脚させて、身体の軸を中心に、180度回転させるトレーニングをやっています。アーサナを完成させるだけでも十分トレーニングになるのですが、
欧米のアシュタンガヨーガのビデオを見ていると、連続技で、そういうトレーニングをやっている方が多いようです。
多分、一連の動きの中で展開するアシュタンガ・ヨーガのひとつの「型」なのかもしれません。
55歳を過ぎた頃から筋力が衰えてきました。筋量は落ちなくても力が落ちてくるので、現状維持のためには、今までより多くの練習が必要になってきます。
アイアンガー氏は80歳を過ぎても一日3時間のトレーニングをされていたようです。

アシュタンガ・ヨーガでは1%のセオリーと99%の練習。と言われます。
このアーサナのポイントはコアの自覚と集中力だと思います。身体のコアは身体の左右に2本あります。私の場合、それが固定されて柱になっていると意識すると、軸がぶれないようです。
視線は、どこか一点を見るか、閉じて、丹田を意識しています。
実はこのアーサナはハタ・ヨーガ時代からやっていました。20年ほど続けています。
もう60歳を過ぎましたが、今では「筋トレ」という側面もあるピンチャマユーラアーサナです。汗が凄いです。続けていると二の腕が傾斜して身体の位置が下がってきます。それは年齢だから仕方ないと諦めています。

2015年10月1日木曜日

「マントラ」

私の父方の家系は江戸時代から熊本長崎に点在する隠れキリシタンです。
母方は浄土真宗。
父方は、キリシタンは少なくなり浄土真宗がほとんどになりましたが、私はカトリックの洗礼を受けています。

しかし、母方の祖父が毎朝経をあげるのを聞いていたおかげか、あまり宗教の違いに違和感がありません。
仏陀もジーザスも大好きです。

聖歌隊にいるときはグレゴリオ聖歌を歌い、家ではマントラをあげていました。
そういう家庭が昔の九州には結構多く、宗教におおらかな土地でした。

私はいくつかのチベット語のマントラを暗記していますが、それはリンポチェ師が、
心がネガティブになったときはマントラを唱えなさい。と言われたからです。
今でも折に触れて唱えています。

マントラは短いです。なぜ短いか?
それはインドやチベットには昔から文盲の人が多いからです。
文盲の人は経典が読めません。ですから、たとえば般若心経のエッセンスを誰でも唱えられるように短い言葉にしているのです。

だから、マントラは文字の力ではなく言霊です。
言葉の響き、周波数です。
ですから、チベットのゲルク派の僧侶たちは独特の歌唱法で歌います。
あの響き自体に癒しの力があるのです。

自分は原典であるサンスクリット語の般若心経はすべて暗唱できますが、
その正確な意味は分かりません。
しかし、その響きはグレゴリオ聖歌のラテン語の響きと同じで、癒しを即もたらしてくれます。

言葉は理解しないとだめですが、音は即入ってきます。
写経は文字が読めて書けないとできませんが、
マントラは、誰でも受け取れます。即歌えます。

マントラは偉大な知恵だと思います。

「クリスティ・ターリントン」

私がニューヨークに住んでいた1980年代は、アメリカでもヨーガは一般的ではありませんでした。公園でアーサナをやっていると、それは何だ?と珍しがられたものです。
確か、有名な全米ヨーガアライアンス協会もなかったと思います。
ちょうど、アイアンガー氏がヨーガを広め始めたころですね。
欧米に、組織的にヨーガを広めたのはアイアンガー氏が最初だと思います。

確か90年を過ぎてから急にポピュラーになったと思いますが、ハリウッドセレブなどの有名人を中心にヨーガが大ブレークした火付け役がこのクリスティ・ターリントンです。

これは、当時ファッション誌の撮影をよくやっていた私が撮影したものですが、彼女はスーパーモデルと言われていて、世界的有名人、今でも現役です。
モデル生活に行き詰まってヨーガの世界に入り、この写真を撮った2000年頃には相当なレベルでした。

撮影のときに、やはりヨーガ生活が長い私は、彼女とヨーガの話をしましたが、とても興味深い話ばかりでした。これは、蓮華座で座ってくれ。という私の注文に、ソファーの上にちょこんと座ってくれたときのものです。
目が強くて素晴らしいモデルさんでした。