2016年9月11日日曜日

「ある世界的なヨガ指導者の告白」


Instagramでフォローしているアシュタンガヨガのトップクラスの指導者、ラルーガ・グレイザーさん(アフリカ系アメリカ人女性)が、ご自分のページで珍しく長文でコメントを掲載されていたので、読んでみました。

彼女のプライバシーにも関係することですが、
すでにInstagramで公にされているので、そこにも言及します。

悩みとは、彼女のヨガに対して、同じアシュタンガヨガの方(多分有力者)から批判があったそうです。

その内容というのが、私が推測するに、彼女の並外れた身体能力に対する嫉妬から来ていると思うのですが、実際には、彼女のやっていることが、アシュタンガヨガの精神からは外れている。と言うようなことを指摘されたようです。
私が読んだ限りでは、言いがかりのような内容でした。

こういう事は有名になっていくと必ず出てくることで、
あまり気にせずにほっておけば良いのですが、
彼女は、貧困、家庭内暴力、レイプ、人種差別(彼女が告白しているので敢えて書きます)から這い上がってきた女性。
ヨガが唯一の救いで、苦しみを紛らわすためにも、猛練習をしてきた女性なので、
彼女の全人生、全人格を否定されたような気持ちになったのだと思います。

ヨガは元々、身体と精神を自由にするのが目的のもの。
究極的には、ものにこだわらない、ものを所有しないのが、一番精神が自由になる状態なのでそれを目指すものです。

逆説的に、ヨガをやって注目され、世界中にお弟子さんがいて、尊敬されるようになった。ということで、彼女は多くのものを、ある意味所有することになって、
とても不自由な状態になっているのだと思います。

何の世界でも、こういう方を、私は今まで数多く見てきたので、その矛盾とジレンマを感じました。

ヨガのポーズを極めれば極めるほど、身体は自由になっていきます。

そして、自分の周りから、有形無形の物がなくなれば、なくなるほど精神は自由になっていきます。
その究極の形がインドのサドゥー(ホームレスのような生活をしながら修行しているヒンズー教の修道士のような存在)です。

長い間、ヨガを現在まで伝えてきたのは、サドゥーです。お釈迦様もパタンジャリもサドゥーでした。家族をはじめ、一切のものを捨て去って修行された方々です。

アメリカ人がヨガを流行らせるようになって、ヨガを教えることがブームになり、それには、お金も必要、教える場所の心配も出てくる、ライバルの腕や評判も気になる。という本来、ヨガの精神とは真逆のことを、無意識に指導者たちに強いるようになったと思います。

密教的、牧歌的だった70年代80年代の日本のヨガも、90年代以降、アメリカタイプになっていきました。
ヨガを普及させるようになったのは、良いことだと思いますが、
ヨガ本来の精神からは、どんどん遠ざかっているような気がします。

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