2017年7月31日月曜日

「プラーナ」

Sunset Hand Stand from idephotography on Vimeo.

オゾンのことをヨーガではプラーナと言います。
マイナスイオンが豊富な大気の状態のことです。
このプラーナ、早朝と日没前後に豊富になることが分かっています。

本日、ちょうど日没ジャストを狙ってアドムカブルクシャサーナを撮影してきました。
さっと、息を吐きながら逆転し、バンダを効かした上で、ゆっくりとプラーナを吸い込みました。

本日のような、無風でうねりがあって、打ち付ける波が飛沫を挙げている状態のときは、
特にプラーナが豊富になります。慣れてくると、その匂いがしてきます。

シャワーが朝、身体を覚醒するのに効果的だというのは、シャワーの蒸気が生み出すプラーナの効果だと言われています。

プラナヤーマ、様々なテクニックがあります。
アーサナでも呼吸が重要です。

しかし、最も重要なのは、その周りの空気に含まれるプラーナだと私は考えています。

中村天風師がカリアッパ師の元で瞑想とプラナヤーマの修行をしていたのは、ヒマラヤの大きな滝壺のほとりだったと言います。

たまにはスタジオから外にでましょう。

場所と時間帯と蒸気、キーポイントだと思います。


2017年7月30日日曜日

「認定指導者」

https://www.elephantjournal.com/2015/10/ashtanga-yoga-youre-not-certified/

Instagramで多くの欧米のヨガティーチャーをフォローしたりフォローされたりしていて、時々写真だけでなく、長いコメントも目にすることがあります。
FBでもアメリカのヨガティーチャーから、ヨガのフォーラムにいつの間にか参加させられて、いろんな対話や討論を目にする機会が増えました。

リンクはUKの有名なヨガジャーナルです。

そこでも、よく話題に上るのが、「認定指導者」。
一番有名なのはRYTですが、ここではアシュタンガヨガの認定指導者。

私はアシュタンガヨガは正式に指導は受けていないし、内部の事情も知らないのですが、あまりにも多くの投稿を見ていると、大体の内部事情が分かってきました。

それは、特に欧米のヨギ、ヨギーニたちが、アシュタンガヨガの「認定指導者」システムに多くの疑問を持っているということです。実は、現在のような認定システムが行われるようになったのは、2000年以降とのこと。

それまでは、そのようなシステムはなかったそうです。
おそらくアシュタンギが増えて、レベルの維持を図るために導入したのだと思いますが、問題は認定の基準。

もちろん、アシュタンガヨガはグルを中心とした組織なので、グルの決めることは絶対なので、文句を言う筋合いのものではないのですが、ここまで世界的な組織になり、多くの人が関わっているので、不透明な事は良くない。という意見が多いことです。

興味があるのは、古参の認定指導者たちの多くが、インタビューで、匿名を条件に認定指導者制度は問題がある。必要がないことだと述べていることです。

というのも古株の指導者たちは、認定指導者になるためにアシュタンガヨガをやっていたわけではなく、純粋にステューデントとして学んでいたからです。もちろん、その頃には認定制度はなかったわけです。

そして、パタビ・ジョイス師から、君はよく学んだ、そろそろ生徒に教えても良いだろう。という了解を得て教え始めたのだと思います。

1970年代に、初期のクラスで学んだ現役ティーチャー(女性)は、
アシュタンガヨガは当時と今では全く別物だと指摘しています。

それはヴィンヤサだけではなく、生徒の質についても。
現在マイソールに集まっている多くのヨギたちは、「認定指導者」になるために、その資格をとるために集まっていると指摘しています。

上述のリンクのジャーナルにもそのことについて多くの意見が述べられています。
動機はともあれ、問題は、これだけ生徒が増えたときの認定制度の透明性。

それが、現在のグルの一言で決まるというのが多くのヨギの不満を集めています。
というのも、20代で、スキルも十分でない「美しいヨギーニ」がいきなり認定指導者になったというような例もちらほらあるからです。

世界的な組織になったら、これはまずい。と思います。

カリスマ創始者に率いられた組織は、大きな組織になっても、まだそのカリスマ性で組織は維持できますが、それが2代目3代目になったときに、大体、組織はおかしくなっていきます。これは、私がかつて在籍していたKカラテでも言えること。最高師範だった師は、組織の問題で理不尽な破門を受け、その後創始者が亡くなると組織は分裂しました。

こういう多くの意見がジャーナルに投稿されてSNSでも議論されている。ということ自体、組織のあり方に問題がある。ということだと思います。

ただ、認定指導者制度に疑問がある。と言っている多くの生徒たちは、認定指導者になって、ビジネスを有利にしようという意識というか魂胆があるのは明らかで、もし、認定指導者制度に文句があったら、資格を取らないという選択肢をとることもできます。

ジャーナルによると、多くの生徒さんたちは、先生の質を素直に見る。と言っています。
アーサナが全てではありませんが、目に見えるアーサナの技術だけに限って言うと、認定指導者と遜色がないどころか、中には遥かに優れた先生も多く存在します。

結局は、先生の質、技量と人格なんだと思います。そして、相性。

私は、一度教わると、この先生素晴らしい。というのが分かります。
資格をもっていようが持っていまいが、それは関係ないと思っています。







2017年7月29日土曜日

「シンギング・ボール」

シンギング・ボール from idephotography on Vimeo.

チベットのお坊さんたちが使っているシンギング・ボールです。
日本の「おりん」に近いですが、叩くだけでなく、スティックで、
縁をこすりながら音を出します。

不思議な音で、気が落ち着きます。
うちには、結構うるさい文鳥がいるのですが、
横でこれを鳴らすと、急に静かになり、しばらくすると寝てしまいます。

いろんな音が出るシンギング・ボールがあるようで、
これはFの音です。

もうひとつ持っていますが、それはE♭です。

どちらの音も、音楽の曲のキーとして好きなので、
好きな音が出るシンギングボールを選ぶと、より落ち着くと思います。

ヨーガのときにも、しばらくこの不思議な音を聞いて落ち着いてから、瞑想に入るようにしています。

2017年7月28日金曜日

「なんちゃって」の勧め


「なんちゃって」の真逆は原理主義だと思う。

原理主義とは、定義、セオリーから逸脱することを認めない考え方だ。
原理主義に身を委ねると気持ちが良い。

なにより、自分がピュアに感じられるし、それ以外を認めないという意志の強さと、これが最高だという錯覚にも似た万能感に満たされる。

自分が選択した何かを始めたときには、原理主義にハマりやすい。
自分が選択したものだからという確信があるし、それだけに、やっていて最高の境地に達する事が多いからだ。

こういうことを、「自分がやっている、このヨガが最高だ」。
と表現している人の目は逝っている。
こういうことを、本人に言うと、怒る。

しかし、自分の経験からも、自分が最高だと思っているもの以上のモノはこの世に確実に存在する。
それがわかった時、原理主義に陥っているひとたちは、自信を喪失して、ある者は絶望感に陥る。

それが暴走したのがオウム真理教。

オウム真理教を知らない世代が増えてくるにつれ、原理主義的な発言が増えている。
原理主義を中和するのは、「なんちゃって」

突き詰めて、行き詰まったら、「なんちゃって」
とテキトーに考えることが必要だと思う。

そう考えることができる人は幸いだと思う。

そうでない人は、いずれどこかで行き詰まると思う。

そういう人を多く見てきた。


2017年7月24日月曜日

「マユーラーサナとエーカパーダバカーサナ」


マユーラーサナとエーカパーダバカーサナです。

2〜3ヶ月に一度くらいは練習するようにしています。
普段は倒立系ばかり練習しているのですが、倒立のバランス感覚があったら、
バランスをキープすることは、すぐにできるのですが、やはり、自分の身体や足がどの程度の角度なのか?などなど、練習の間が開くと、感覚的に忘れてしまっています。

で、最初にちょっとテスト撮影してみると、
「え〜っ、こんな感じになっている」
とがっかりしたり、驚いたり。

その後、
いろいろと試してみて自分の理想のポーズに近づけています。

上のマユーラーサナは、肘を合わせて胃の当たりを乗っけますが、
本来は、内臓を押さえて、マッサージするポーズです。
ですから、こんな無理っぽいポーズをとらなくても、足は下につけたままでも、肘で内臓を圧迫できて、アーサナの目的はそれで達成できます。

ですから、これは発展型。
バリエーションです。

マユーラーサナを初め、アーサナには多くのバリエーションがあります。

下の、エーカパーダバカーサナは、バカーサナ(カラスのポーズ)から、どちらかの足を浮かして、上げてまっすぐに伸ばします。
これは支点の足(軸足)への重心移動がコツ。
この写真の場合、右膝を右肘の真上あたりに乗っけると上手く体重が乗ります。

あと、倒立から徐々に片足だけを曲げて、この姿勢にもっていく方法もあります。

ヨガの場合はまずバカーサナがしっかり安定できるようになって、
交互に右足左足を少し浮かせるようになって、
重心移動がスムーズになったら、トライすると良いと思います。

次回は9月頃にまたトライして撮影してみたいと思っています。



2017年7月21日金曜日

「体内時計」

「体内時計」 from idephotography on Vimeo.
本日は5時から7時頃までトレーニング。
5時から、6時半くらいまでは、ほとんど、軽いストレッチとヨガの基本ポーズ。そして瞑想。
そして、最後に、自分の体内時計がどれだけ正確になったか倒立しました。
瞑想の時は心臓の鼓動や呼吸をカウントしています。
自分の、そのサイクルが約2秒なので、それがどれだけ身体に正確に残ったのか調べてみました。
倒立でバランスをとって直立してから、バランスを解くまで、30秒カウントしました。
最も安定した倒立を、あとで、ビデオのカウンターでタイムを見るとジャスト30秒。
他のトライも大体許容範囲内。

人間の身体は面白いです。そして楽しめます。
画面の右下は、熱心にヨガを練習している女性3人。
先生と生徒二人のようです。
私が居る間、ずっといたので、約2時間みっちり練習していました。
本日は人もまばらで、絶好のヨガ日和でした。

2017年7月19日水曜日

「完全呼吸法とウジャイ」

完全呼吸法のやり方については、ウェブで多くの方が詳細な説明をされているので、ここでは説明しませんが、息を吸って、息を止める、クンバカ、これにはいろんな指の使い方があります。それについてちょっと感じたことを。

写真はB.K.Sアイアンガー師のプラナヤーマについて書かれた"Light on Pranayama"の中の写真ですが、二通りの指の使い方を説明してあります(全てで数種類の指の使い方の説明があります)。

私の指の使い方は右の方法です。
顎を強く引いて、人差し指と中指は眉間に当て、親指で鼻孔右、薬指・小指で鼻孔左を抑えます。

これは、ヨーガのアーサナと同じで、よく考えられていて、上手くロックされるような感じでクンバカできます。

最初は、喉をロックして、ここまで徹底する理由が良くわからなかったのですが、
長年、続けていく過程でその理由が実感できました。

完全呼吸法も、吸う息1に対し、クンバカ4,吐く息2の時間比で行うことが推奨されています。

私は、長い間、大体吸う息5秒〜10秒で行ってきたのですが、ある時期から吸う息15秒から30秒のトレーニングを開始しました。

すると、クンバカの時間は、1分〜2分になります。
長時間息を止めた方はお分かりだと思いますが、息を止めると身体から息を外に出そうという無意識の圧力がかかります。
時間が長いほどその圧力は増します。

すると、このように、顎を引いて喉をロック、全ての指を使った徹底した方法でないと、息が徐々に漏れてきます。
意識すると、押さえの甘い鼻孔と指の隙間から徐々に漏れているのが分かります。
息が漏れるということは、すでに息を吐いているということです。

おそらく、クンバカを数分行うようなヨギもいると思います。
そういう経緯から考えられた徹底したクンバカの方法だと思っています。

そして、長時間の完全呼吸法を行う上で必須なのがウジャイ呼吸法です。
私はプラナヤーマにも、無意識にウジャイを使ってきました。
第一の理由は、音を出すので、時間をカウントしやすいからです。リズムも掴めます。

呼吸法の過程が音とリズムでつかめるからです。
呼吸音→静寂→呼吸音という感覚的に分かりやすいサイクルになります。

2分程度の長時間のクンバカを続けた後のエクスヘール(吐く息)は、キツイです。
2分クンバカだったら吐く息は1分です。

一気に吐いてしまって新しい空気を取り入れたいという圧力があります。

そのような時は往々にして吐く息に必要な時間の前半で吐ききってしまうことがあります。
それで、吐く息は2回に分けて、途中で一瞬止めて、一呼吸後、再び吐くやり方をします。
これは師から教わった方法です。

そのときに、コンスタントに、意識的に吐く息をコントロールする。
それにはウジャイが最適だと思います。
ウジャイをやっていると吐く息が一気に出ていくことはありません。

そして、最後に吐ききるときも、ウジャイだと絞りきることができます。

アーサナを行うときも、私は基本的にウジャイです。
ウジャイは呼吸の存在を常に意識させてくれます。

2017年7月18日火曜日

「教えるということと資格」

最近では、ヨガの先生のプロフィールを見ると、RTY200,500という方が増えてきたが、
自分の記憶だと、2005年くらいは、まだ全米アライアンスの先生はいなかったように思う。

1990年〜2000年頃に、ヨガを教えてくれと頼まれて、しばらく、不定期に仕事の合間に教えていたことがある。まだ、ヨガの先生が少く、オウム真理教事件の影響もあって、ヨガティーチャーであることを宣伝する人はほとんどいなかった時代だ。

その頃すでにハタヨガ歴は20年くらいだったが、
教えてくれ。
と言われても、自分には、自分が今まで経験で体得したことを教えるしかなかった。

そういう事は、紆余曲折を経て自分の身についている事で長年やっていることだから、
教える。という技術がなくても、自然に教えることができる。

だから、教えることは全く苦にならなかった。

今、教えてくれ。
と言われたらどうだろう。

ちらほらと、本やネットでヨガを教えるノウハウ等を目にしていて、
一般的に「無難」だという教え方しかできないのではないのか、と感じる。
皆が知識だけはネットや本で身につけているから、やっかい極まりないと思うのだ。

元々ヨガには基準というかスタンダードはない。
それでは、普及するのに困るというので、ヨガのスタンダードを多くの先生たちが合議制でまとめたのがRTYのノウハウだと思う。

それは、絶対的なことではなく、一応教える上で無難なことを集めただけだと感じている。

マイソール東京の指導員、タリック先生が、HPに興味あることを書かれていた。
「ここに学びに来た方は、私のやり方、言うことに素直に従ってください」。

そう、ヨガは、その先生だけの「私のやり方」がある。
タリック先生は、それを自身の長年の鍛錬や修行で身につけた方法であって、
タリック先生の存在価値はそこにあるからだ。
それを学びに行くわけだから、いくら自分がそのやり方は、あそことは違うとは感じていても、それは無条件に従うべきだと思う。

そして、長年の経験で身につけた技術は、技術以上の何かがある。
その周りに計り知れないノウハウが詰まっている。
それが、ヨガにとっては一番大事なものだ。

これはヨガだけでなく、あらゆる分野に当てはまると思う。

ただ、ヨガのスタンダードを教えるだけだと、そこそこ技術があり、コミュニケーション能力に長けて、人間的魅力がある。という事で足りると自分は思う。

しかし、教える、習うということの本質はそこにはない。
それで済んでしまうほどヨガは浅くないと自分は思う。

例えば、コア、体幹ということに関して教えるとき、それらを様々なアーサナを習得するために、あらゆる角度から意識してきた人、様々な運動を経験することによって考えてきた人の教え方は、それぞれ微妙に違うが、大体核心をついていて説得力がある。

B.K.Sアイアンガー師が、インタビューの中でトランク(胴)の脇に沿ってコアが2つある。
と指摘されていたが、それは、格闘技でも陸上でも水泳でも、表現は違うが、多くのトレーナーが提唱してきた二軸理論に共通する。

それらは、みな、それぞれの体験を通して体得しているので、説得力があり、学ぶ方としてもスっと入ってくる。

そして、それらのアーサナの動きをリードして安定させるのが呼吸と意識の集中と弛緩。

これらの事を経験によって身につけている優れたヨガの先生が多く存在する。ベテランで、資格は持っていない方がほとんどだ。

何処行っても同じことを同じように教えている。
と一般の人から思われるようになったときに、ヨガから多くの人が離れていくと思う。

2017年7月16日日曜日

「孤児たちの母」


偶然、アメリカ人のFBフレンドがシェアしていたリンクを見かけて、最後まで引き込まれるように見てしまいました。

タイトルは「孤児たちの母」。

現在までに1000名を越す孤児を育て上げて、仕事と家族を持たせて独立させた偉大なインド人女性サンドゥタイさん。70歳。

現在、南インドのプーナで、2つの男子孤児院と2つの女子孤児院、そして、1つの「牛」の孤児院を主に寄付によって経営しているそうです。
ただし、国からの援助は受けていないとか。

しかし、なぜ「牛」なのか。
もちろん、ヒンドゥー教では牛は神聖な生き物です。
そこに引っかかって、いろいろと調べてみたら、理由が分かりました。

彼女は9歳で20歳上の男性と結婚して、妊娠したそうです。
妊娠が分かると夫は彼女を家から追い出して殴るけるの暴力を振るい、
彼女の意識が戻ると、彼女は、受けた暴力のショックで、自分の子供を出産していたそうです。

動けないでいる彼女と生まれたばかりの赤ん坊を、一匹の野良牛が身体を張って、
助けが来るまで守っていたとか。
残酷な話しですが、深く感動しました。

おそらくそのときの牛への恩義を忘れないのでしょうか?
多分そうだと思います。

これだけの子どもたちと牛たちに与える愛情。凄いし素晴らしいと思います。
現在孤児院にいる子どもたち。ここを出て医者や弁護士になっている人たち。
インタビューに応えているみんな、瞳が美しい。
牛の瞳も優しい。

愛情は、その人の目を美しく透明にすると思います。

世知辛い世の中、素晴らしいお話でした。



2017年7月14日金曜日

「使う筋肉が違う」

しんぴ倒立 from 井手宏幸 on Vimeo.
一昨日、屋外の長水路で約7年ぶりに泳ぎました。
プールに入るなり、いきなり50mをバタフライで泳いだら、結構快調に泳げました。
その後もブレスト、クロールと、もちろんスピードは落ちてはいましたが、泳げるじゃん。
という感じで練習を終えました。
ところが、昨日から、身体の各部がだるい、痛い。
やはり、水泳と倒立やアームバランスなどのアクロバット系では使う筋肉が全く違います。
アクロバット系では相当負荷をかけていたので、水泳くらい平気だろうと思っていたら、使う筋肉が違う。

同じ肩や背筋を使っていても使う部位が違う。
本日はもっと酷くなり、これじゃあ、倒立は無理だろうと思ってやってみたら、ほいほい快調に上がりました。
負荷をかけても痛みは感じない。
使う筋肉が全く違う。痛みを感じている部位が違う。
人間の身体は面白い。毎回発見があります。

この動画、2番めのパイクプレスハンドスタンド、バランスをとるために、無意識に足が開いています。
やっていると、少しだけ開いているかも。

という感じですが、映像で見ると、ぎょっとするほど足が開いています。

これがしっかりと閉じていると、多分、バランスを崩すのだと思います。
さあ、どうするか。

いろいろとトライして修正してみようと思っています。

それも楽しい。笑。

2017年7月13日木曜日

「蟻も近寄らない甘さ」



写真は、昔からトレーニング中やトレーニング後に呑んでいる自前のスポーツドリンク。
BCAAというアミノ酸の中の3種類を抽出したものに天然のクエン酸を加えて作ったものです。
BCAAには、トレーニングで破壊された筋肉を修復する作用があり、その効果は絶大。
特に自分のような年齢がいった人間には効果てきめんです。
原料は、大豆か乳清のどちらかで、精製したまじりっ気のないもので、
プロスポーツ選手や競技レベルのアスリートで摂取していない人はいないと言われるものです。
私は、競技やハードな練習の時にピンポイントで摂取し始めて約10年。
その後、定期健診で、腎臓や膵臓の異常値が出たことはありません。
話題はこのBCAAではなく、この無味無臭のBCAAを飲みやすくするために加えてある人工甘味料。
この人工甘味料の危険性については全世界で意見は真っ二つに別れますが、
私は極めて危険な物質だと思っています。
なにより、原料は石油ですから。
実は、うちの台所の前には大きな蟻の巣があって、
ちょっと油断すると蟻が寄ってきます。
料理用に、黒糖から糖蜜を作っているのですが、
その糖蜜をまぜるために使ったスプーンをトレーの上に置いたときに、
スプーンについていた糖蜜が見た目分からないほどトレーの上に残っていました。
そこにすごい数の蟻がよってきていたのです。
その時にふと思い立って、人工甘味料が含まれているそのBCAAを少し水に溶かして
わずかな量、トレーの上に垂らしてみました。
それから何時間たっても一日経っても蟻は一匹も来ない。
偵察蟻が周りをうろうろしているのですが、全く無視している様子。
人工甘味料は大体砂糖の約100倍〜200倍の甘さがあります。
そんな甘さがあるのに無視する。
これは、蟻が、人工甘味料を「食べ物」とは認識していない。
ということです。
人工甘味料は、自然の甘さではなく、脳に働いて味覚を麻痺させるものです。
というのも、人口の添加物は神経ガスなどの生物化学兵器などを開発中に偶然できたものもあるからです。
生物は、未知の人工的なものは、一部排出はするが、多くが手付かずに排出しないという機能があります。
それがそのまま腎臓や肝臓に残って疾病の原因となることが分かっています。
ということはBCAAに添加されている人工甘味料も排出されずに残っている可能性がある。
まあ、捨てるわけにもいかず、この一個だけは消費するつもりです。
後で調べたら、本場アメリカには人工甘味料無添加のものが数多くありました。
次からはそれらを購入するつもりです。
まあ、アスリートは自分の健康を犠牲にしても勝ちに行くという、健康という観点からすると全く落第な人が多いわけで、
これも仕方ないとは思いますが、甘い=飲みやすい。という誤った先入観をメーカーの人が持っているのが残念です。

2017年7月12日水曜日

「倒立に持っていく方法」

「倒立への3パターン」 from 井手宏幸 on Vimeo.

倒立にもっていく方法は、大体、10パターン前後あります。
私もその中の5パターンを練習していますが、
代表的な3つを撮ってみました。

ちょっと過労気味で身体がふらふらしています。

最初の方法が、もっとも簡単で、基本です。
世界で最も美しい倒立をするという定評がある内村航平選手は、
この方法で倒立を教えています。

最初のうちは、両手を挙げてから振り下ろす方がやりやすいですが、
モーションが大きくなって、ぴたっと重心を骨格上に乗せるのがむつかしいと思います。
ですから、この方法はお勧めです。

多分、コンパクトに行えば、ヨガマットの面積上で出来るはずです。

二番目はストラドル・プレス、三番目はパイク・プレスという方法で、
この中で、三番目のパイクが最も難易度が高いです。

この2つは、肩の上にしっかりと重心が乗っていないと身体が上がらないので、
上がってしまえば、安定しますが、上がるまでのバランスのとり方がやっかいです。

このあたりのバランスのとり方、倒立歩行ができるバランス感覚があると、微妙な修正がききます。

両方共、身体が持ち上がる一瞬だけ、猛烈な筋力を必要とするので、
ロラアーサナなどの腕、肩、腹筋を鍛えるアーサナを日頃練習しておくと良いと思います。

倒立はその日によって微妙に調子が変動します。バランス感覚が大きく狂うということはありませんが、身体が疲れてだるいと、バランスに影響します。
あと、睡眠不足も影響します。

割と一般的な倒立ですが、手首、肩、前屈、後屈の十分な柔軟、左右前後開脚がほぼ180度できることが前提だと思っています。

バランスをとる上でも柔軟は大事ですが、どこか一部の柔軟性が欠けていても、大きなケガに繋がります。

Youtubeにアップしてある、多くの倒立のチュートリアルにも、「大怪我や命の危険にも繋がるので、十分な柔軟性と注意力をもって練習してください。」
と書いてあります。

トライする方は、慎重に、徐々に、焦らず練習してください。




2017年7月9日日曜日

「続・ジャンプ」

続・ジャンプ from 井手宏幸 on Vimeo.

アシュタンガヨガは、インドの格闘技カラリパヤットを取り入れたことで有名です。

カラリパヤットには、ジャンプする蹴り技が何種類かありますが、
このビデオの最初の、足を交差させて蹴る飛び蹴りも、カラリパヤットがオリジナルかもしれません。

この飛び蹴りはムエタイ(タイ式ボクシング)の蹴り技ですが、空中の姿勢を安定させるために足を交差させます。
インドからタイに仏教が伝わったように、カラリパヤットも伝わったのかもしれません。

先日紹介したB.K.Sアイアンガー師ですが、友人の目の前でもの凄いジャンプをしてテーブルを飛び越えたそうです。

師は、クリシュナマチャリア師の門下のときに、そういう訓練をしていたそうで、それは、軍隊に教えるためのものだったと、インタビューでも語っています。

オールド・ヨガの時代は、ヨギたちは、ヒマラヤを歩いたり、木に登ってぶら下がったり、岩を抱え上げて身体を鍛えていたそうです。

本来、ヨガのアーサナをするために、それだけ身体を鍛えていたということもできます。

モダン・ヨガの世界でも、やはり、身体能力をアーサナとは別に積極的に鍛える傾向があって、私はそれを良いことだと思っています。
例えば、倒立や筋トレ(自重トレ)を積極的に行っているアメリカのヨガスクールは多いです。

もちろん、みな、それぞれに、自分の体力を考えて筋力を鍛えることが前提ですが、現在、多くの日本人が、ヨガの、一般的な全てのポーズを安全に行う筋力にはほど遠いと思っています。

本来筋力がないのではなく、生活習慣で衰えているのだと思います。

生まれつき、日本人は特に、欧米やインド人に比べ、筋肉量が少く、その結果筋力に劣るので、同じスタートラインに並ぶためにも、筋力トレーニングは必要だと思っています。






2017年7月6日木曜日

「生き方から学ぶことが一番大きい」

B.K.Sアイアンガー師の親友(アメリカ人)からいただいた、アイアンガー師の著書。

アーサナの解説から、プラナヤマ、ヨガ哲学、ヨーガのある生活、
様々な分野にまで言及された、師の人生とも言うべき著書の数々。

アーサナの解説は必要に応じて見ているが、
一番、影響を受けたのは、やはりヨーガに対する考え方。

本の中の、師の一日の生活、日常の生活を観てみると、それがよく分かる。
そこにコメントされている、何気ない一言一言が心に響く。

悟るとか癒されるとかそういうことではなく、
每日の生活の中に、生きる基本として、師自身がヒンドゥー教徒として、精神的にもバックボーンになっているヨーガを淡々と語っている。

それが「普通」で「平凡」で、しかし、每日厳格に繰り返されているところが素晴らしい。

師は子供の頃に虚弱で、兄に勧められて、クリシュナマチャリア師の門を叩き、類まれなアーサナの才能が開花して、身体能力に優れた一番弟子となり、クリシュナマチャリア師とともに、世界初のヴィンヤサの記録フィルムに収まっている。

その後、クリシュナマチャリア師との確執があって、ヴィンヤサによるハードなヨーガスタイルを捨てて、再出発した。

誰にもできるヨーガ、しかし、アライメントに厳格で、整体的なヨーガ、それが、師のハタ・ヨーガの特徴だが、それらのヨーガが、古来のオールド・ヨーガを上手く受け継いで、生活の基本としてのヨーガに昇華している。

そこが、やはり、一番素晴らしい。

「ヨーガは瞑想であり、瞑想がヨーガである」
「蓮の花が咲くようにアーサナをしなさい」
「私は自分のヨーガのことをアイアンガーヨーガと呼んだ覚えはない。私のヨーガはハタ・ヨーガだ」。

特に印象に残っている言葉だ。

世界中にお弟子さんが多数いて、その気になったら凄い財産を築くこともできたと思うが、稼いだお金は、自らが設立した動物保護の団体に寄付して、菜食の質素な生活であったそうだ。その厳格さは、多くの人が語るところだ。

本の中に、食についての言及があるが、師の一日の食事を見るだけで、師の考え方やライフスタイルが分かる。

そして、80歳を過ぎてもハードな練習を欠かさなかったそうだ。
60歳を過ぎて、加齢で衰えてきた自分の身体が自分に挑戦する。
そう表現されているが、60歳を過ぎた自分にはそれが、痛いほど良く分かる。

読んで終わりの本ではなく、可能であれば、70歳になっても、80歳になっても、折に触れて読みたいと思っている。


2017年7月4日火曜日

「ジャンプ」

ジャンプ from 井手宏幸 on Vimeo.

午後から雨が降りそうなので、午前中、ランニングとヨガ。
本日はヨガやったあとに、ジャンプのトレーニングをやってみました。

このジャンプトレーニング、久々ですが、若い頃にはよくやっていました。
ジャンプするというよりは、身体の使い方とリズムのトレーニングになります。

ジャンプは脚力ではありません。
臀部の筋肉と腹筋を中心とする上半身の力で飛びます。

そして、コアを軸にした膝の引きつけと、身体を一本のバネとしたイメージです。

こういうトレーニングも身体の動き、重心の移動等、様々な気づきがあります。

ヴィンヤサヨガでも瞬発的なジャンプ力が必要です。

ジャンプをしているときは、一瞬、無重力状態になります。
こういった感覚を養うのにも、様々なジャンプのトレーニングは効果的だと思います。

走り幅跳びや三段跳びの経験がある方でしたら、軽く、ちょっと高く飛んで見て、ジャンプの感覚を楽しんで見るのも良いと思います。

走る、ジャンプする。は人間が太古から持っていた原始の感覚です。