2017年9月29日金曜日

「酵素玄米8日目」

(酵素玄米+オクラ納豆+アボカド)丼。
酵素玄米とは、炊いた玄米を60度の保温ジャーに入れて、3日ほど発酵させたものです。玄米の発酵菌は不思議で高熱でも生きています。

もし白米だったら3日目には腐敗します。

通常3〜4日で食べる発酵玄米ですが、今回は8日目まで残してどんな風になるのか試してみました。

大体一週間を過ぎた頃から、もう、お米を食べているという感じはなくなり、発酵食品を食べているという感じ。主食という雰囲気はなくなります。

この栄養価と美容効果については、多くの人が知るところで、その定評はここでは紹介しませんが、自分の食事は、大体こんな感じの食事一食と夜にお酒+おつまみ少々程度の1.5食です。

そして、走ったり強度の高いヨガや筋トレの前後に、先日紹介したBCAAという大豆由来のサプリを摂っています。

子供の頃に肉をほとんど食べない生活をやっていたせいか、成長期から壮年期にかけて肉を食べる生活になっても、肉を美味しいと感じたことはなく、食べても異物感しか感じなかった自分にとっては、こういう食べ物はほんとうに助かります。






2017年9月27日水曜日

「勝手に期待して失望する人々」

アウン・サン・スー・チーのミャンマーが
イスラム教徒(ロヒンギャ族)を殺戮、迫害している件に関して、ダライ・ラマ14世は、
「仏陀なら、きっとロヒンギャ族を助けただろう」
と、記者に向かって発言したそうだ。
これまで、2度スーチー女史には暴力をやめるようにメッセージを送ったらしい。

モスリムに過度な反感を持っているのは、主に、スリランカとミャンマーの仏教関係者と仏徒だ。
彼らの仏教は、インドやチベット、中国、日本に代表される大乗仏教とは違い、昔、小乗仏教と呼ばれたセクトだ。
現在、小乗仏教は差別用語として使われないことになっている。
大乗仏教の大に対して小というのが差別的だということだろう。ということで、現在は上座部仏教(テーラヴァーダ)と呼ばれている。
大乗仏教(マハーヤーナ)は、そのまま呼ばれているようだ。
上座部仏教は、大乗仏教よりはるかに原理主義的だ。
最も仏陀の時代に近い戒律に従い、教えを厳格に守っている。と自負するセクトだ。
自らを仏陀の正統継承者と見ているところがあって、関係者の発言も仏教徒にしては乱暴なところがある。
おまけに、大乗仏教が世界的な広まりを見せて、仏教=大乗仏教。というイメージがあるので、内心穏やかではないのだろう。

上座部仏教が支配的な国は、上述のスリランカ、ミャンマーの他に、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム。
スリランカは同国内のモスリム、ヒンドゥー教徒を長年に渡り弾圧し、戦争状態だった。
ミャンマーは現在の状況、
そして、
タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムは、同じ上座部仏教の国でありながら、三つ巴、あるときは四つ巴で、昔から戦争ばかりやっている。
現在でも、毎年国境紛争で死者が出ている。
お互いに対する国民感情もかなり悪い。
なにかあると、銃を持って、実力行使で戦うのは、これらの国の仏僧たちだ。

これは、私見なのだが、ミャンマーのモスリムに対する、偏狭で残酷なミャンマー仏教界と仏徒の対応は、
上座部仏教の原理主義的なところと無関係ではないと思う。

やっと本題だが、
みな、なんで平和な仏教徒があんなことを。
と言うが。仏教徒も原理主義になり権力に利用されると平気で人を殺すようになる。
ヒンドゥー教もそうだ。パキスタン分離の時はヒンドゥー教徒は大勢のイスラム教徒を殺戮した。

宗教の理想や原理主義的なところだけ見て期待すると失望することになる。
これは宗教だけに限らない。
ヨガの世界でもそうだ。
5000年の歴史なんて言って全幅の信頼を寄せると、カルト化してとんでもないことになる。

アウン・サン・スー・チーも、欧米のマスコミが、民主主義のヒロインみたいな持ち上げられ方をしたので、ノーベル平和賞まで受賞したが、最初から、彼女は父の仇討ちしか頭になかったことは有名だし、イギリス人と結婚したことで、ミャンマーの多くの人の反感をかった。
そして、なにより、イスラム教徒のジャーナリストや関係者に対する、差別的で非礼な発言が多かった。人間として失格者だったのだ。
それをみな分かっていたら、あのように持ち上げて勝手に期待はしなかったと思う。
マスコミの捏造は罪深い。

自分が全幅に信頼を寄せるものでも、疑って、常に辛辣な目で見たほうが良いと思う。
その方が失望がない。失望とは自分が勝手に期待した結果の落胆だ。

要は、主語が、その対象なのか自分なのかの違い。
主語、主体がしっかりと、自分にあると、まずは疑ってかかる。それで良いと思う。

ヨガにおいても、ヨガが目的だといずれ行き詰まると思う。先生も生徒も同様。
自分の生活が常に主語。
そのために、ヨガをやるのだから。

2017年9月25日月曜日

「疲労回復」

倒立歩行・回転 from idehiroyuki on Vimeo.
私のように、もう、今年で63歳にもなると、いくら筋力があっても、疲労回復能力が格段に落ちてきます。
この動画のような練習をやっていると、通常だと、中2日ほどは置かないと、筋肉がバリバリになって、動きも鈍くなり危険です。

こういう自分のような年齢でトレーニングをやっている人間にとっては、このBCAAというサプリは福音です。
これはサプリと言っても、食品です。
大豆100%に天然の香料と甘味料を加えただけ。

運動をすると、筋肉が、どんな強度が低くても破壊されます。
身体は本能的にそれを修復しますが、その修復の時に必要なのがアミノ酸です。
この修復のときに、身体は、以前より強い筋肉を生成しようとします。
それが生成されるということ=筋力が付く
ということになります。

実は、その修復に必要なアミノ酸、分解されると20種類の成分になりますが、その中の3種類の成分を集めたのが、このBCAAです。

この3種類(バリン、ロイシン、イソロイシン)は、肝臓を素通りして吸収されるため、とても短時間に効果を発揮します。
このBCAAは、アメリカのスポーツ医学によって研究開発されて、おそらく20年以上は経っています。薬品や食品の安全性が立証されるのに約20年かかると言われますので、このBCAAはお墨付きの安全なサプリです。

このBCAA、普通に生活している方が飲んでも、ほとんど効果は実感できないと思います。

どういう方に効果があるのかというと、体力の限界近くまで追い込んでいるアスリートやハードな環境で身体を酷使している方です。

自分は、もう10年以上、効果を試してきているのですが、
このBCAAがなかったら練習量は半分でも耐えられなかったと思います。

ヨガの世界では、いくつもの教室を掛け持ちで朝から夜までヨガを教えていらっしゃる先生方には、このBCAA最適だと思います。

特に朝起きたときに違います。

もし、買われるときには、アメリカの製品、特にこのXtendがおすすめです。
国産のBCAAの多くには有害な人工甘味料が含まれています。
そして高価です。

このBCAA、運動の前後や寝る前に細かく摂取するので、量を消費します。
アメリカの製品は、日本の製品のそれの約倍のコスパです。









2017年9月22日金曜日

「新体操の練習風景」



先程、Instagram見ていたら、ブルガリアの新体操のコーチ、アンナシュヴィリーナさんからフォローがあったので、フィードを観てみた。
結構レベルの高いクラブみたいで、練習のレベルが凄い。
こういう練習風景はなかなか目にすることができないので、とても貴重だが、あまりに凄すぎてちっとも参考にならない。笑。
上の写真は、おっ、前屈やっているな。
と思ったが、よく見ると後屈!
あまりに自然に曲がっているので前屈に見える。
この子たちは、途中でバレエやアクロバットに転向する子を除くと、20代前半で引退だと思うが、コーチや先生になる子もいるが、最近はヨガの先生になる子もいる。
そういう子たちは、もうありえない柔軟性と身体能力なので、身体能力に自信があって、難易度の高いポーズをこなせて威張っている先生なんて比較にならないほど、楽々と自然にポーズをこなす。
もちろんヨガはそれだけではないが、
この子たちは、こどもの頃から苦しい、ハードな練習に耐えているので、考え方もしっかりしている。
精神力、忍耐力に優れ、メンタルにおいてもヨガの先生向きなのだ。どういう先生になるのだろう。
とても興味があるところだ。

こういうコーチのフォローがあったりするので、Instagramは面白い。

2017年9月20日水曜日

「世界的ブームのハンドスタンド」



台風一過の茅ケ崎海岸で、ヴィラバドラーサナやトリコーナーサナなどの立位のバランス系を30分ほど練習したあとに、アドムカブルクシャサーナ(倒立)の練習。

立位のバランス系をしっかりと行ったあとの倒立は、しっかりと骨格に体重が乗って、筋力を必要としない楽な倒立ができます。
そうすると、シールシャーサナやピンチャマユーラーサナをやっているより楽になります。特に岩やコンクリートの上ではシールシャーサナやピンチャは頭や腕が痛いので、どんな床や地面でもできる倒立は便利です。

台風でちょっと間が空いたので、無理しない程度に約1分×10本ほどこなしました。

Instagramでおともだちのヨガティーチャー、K先生は、通常のクラスとは別に「ハンドスタンド」(倒立)のクラスを設けて、大盛況です。
京都のYOKO先生も、積極的に生徒さんにハンドスタンドを教えていらっしゃいます。

多くの方が逆転系のアーサナの気持ちよさや効能に気が付かれたのだと思います。

ハンドスタンド。世界的にブームで着実な広がりをみせています。






2017年9月16日土曜日

「食の修行」


私は、年に一回義務で健康診断を受けています。
医療保障や障害年金を受けているので、年に一度は健康状態を公害救済の団体に報告する義務があるからです。

健康診断はどこで受けても良いので、私は親しい知人の医者のクリニックで受けています。

毎年検診や、その結果を受け取る時に、いろんな世間話をしていますが、
医者の「ここだけの話」には、怖い話しがたくさんあります。

その中でも怖かったのが、食品添加物の話。
ちょうど、私の知人が膵臓がんで亡くなったのでその話になりました。

知人の医者は言いました。
「膵臓がんの原因としてまず上げられるのは遺伝的要素、そして、次が食品添加物」

食品添加物は多種類あり、スーパーやデパ地下の惣菜やコンビニの弁当、カレーやシチュウのルー、ほぼ何にでも入っています。
現在平均的日本人が一年に身体に入れる食品添加物の量は数キロになると算出されています。
それらには、それぞれ様々な健康被害が懸念されていますが、メーカーはごく少量だから問題ないと言います。
しかし、その「ごく少量」は自社製品に限った話で、日本人は每日、様々なメーカーの加工食品を食べているので、
トータルでは相当な量になります。

また、怖いのが、多種類の食品化合物の中のどれかがお互いに化学反応を起こして発がん物質を発生することがあることです。

その医者は、はっきりと、
「癌の増加に食品添加物が最も関わっているのは、我々の間では常識になっている。ただあまりにも多種類で因果関係を立証することが不可能だ」。
と言葉を濁しました。

私は、日常生活では、すでに、シャンプーや化学合成のハンドソープは全く使っていません。
合成界面活性剤使用の製品は全てシャットアウトしています。

食べ物では、老舗で良心的な会社の、全く添加物フリーの醤油、味噌、味醂、と岩塩。と無農薬自然栽培の野菜と米だけで生活しています。

それらも、アーサナやプラナヤーマと同じでヨーガのひとつだと思っています。
私がヨーガを学び始めて、まず最初に学んだのは、食生活のことでした。

それは、白は避けろ。

白砂糖、精製塩、白米、精製小麦粉は避けろ。
ということをしつこく言われました。

これらのことは、戒律とか形だけのことではなく、最も身体と精神に影響を与えるものです。

そんな生活は不便だろう?と言われることもありますが、何より食べるものが限られてくると料理は楽になります。

ただ、師の教えで、
「他人の家に招かれて出てきた料理は、全てありがたくいただきなさい」
そのことも守っています。

たまに楽しんでいる呑み会では、勧められた料理は魚までは、いただいています。
肉は、アレルギーなんで。と誤魔化して、上手く断わっていますが、まったく人間関係でまずいことにはなりません。

食は每日のことなので、極めて大事な事です。
蓄積になりますから。

アーサナの上達に気を使うことも大事ですが、食は、ヨーガの中ではそれ以上に重要なことだと思います。
アーサナだけでは、デトックスできない食品添加物を摂取する時代になっていると思います。
健康を害したら、アーサナもできなくなりますから。

※日本人のがん患者数は1980年代に比べ約3倍になっています。老齢人口増による増加を差し引いても異常な数字です。というのも、ガン先進国だったアメリカのがん患者は減少を続けているからです。

2017年9月12日火曜日

「身体を一直線に」

倒立歩行 from idehiroyuki on Vimeo.

頭立、倒立などの逆転系は身体に良いことはもちろん、ボケ防止に効果があると言われていますが、中でも、倒立歩行の効果は素晴らしいとアメリカのスポーツ医学のレポートにありました。

で、しばらくサボっていた倒立歩行を再開しました。

倒立歩行も通常の倒立と同じで、身体はなるべく一直線に垂直に、が基本です。
よくサソリのポーズのような倒立歩行を見かけますが、筋力がまだついていない子供はともかく、エビ反った倒立歩行は、ターンや回転に発展させることが難しくなります。

何事も基本です。

シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーや器械体操の選手の倒立歩行の基礎練習を見ましたが、見事に垂直でまっすぐです。

で、それを意識して練習を自撮りしたのですが、

垂直を意識すると、そこでバランスが取れてしまって、静止してしまいます。
この動画で10歩目がそうですが、足を揃えて伸ばすと止ってしまいます。
これは意識して止っているのではなく、止ってしまうのです。笑。

おそらく、名人は、身体を垂直にまっすぐに伸ばして、微妙な傾斜を与えて前に進むきっかけを作っていると思いますが、それが感覚として分らない。
まあ、最初のトライなので仕方ないですが、
最後の方では少しはまともになっているような。

倒立系の練習や、それから得られる効果は、この倒立歩行が一番なので、
これからは、倒立歩行だけの逆転系の練習をやっていきたいと思っています。
楽しみながらボケ防止。
なかなか役に立つ倒立歩行練習です。


2017年9月10日日曜日

「ヨーガの恩恵」

ヨーガのグルが一人いて、弟子が5人いるとすると、
教えることは同じでも、全く違うヨギが5人できると思う。

最初、初心者の頃は、教わったことを忠実にやることになるが、その時点で、ヨーガを行う時間や、ヨーガをやっていて感じること、求めることが違うこともあって、その人のスタイルに組み込まれていく。

それが、半年、1年、5年と時間が経つと、大きな違いや差になってくるのだと思う。
そのことがヨーガの面白さであり特色だと思う。

ヨーガを教える先生は別だが、ヨーガが生活になるのは本末転倒だと思う。
ヨーガは生活をより良きものにするものであって、目的ではない。
ヨーガは手段であり、生活の基本的なものの一部として呼吸のような存在としてあるものだと思う。

そのような、自分独特のものとして生活に定着するには、様々な過程を経ることになる。

偉大なヨギの教えていることを知識として学ぶことは重要だが、それが、即、自分のものとして定着して実践できるかどうかは大いに疑問があると思う。

自分は昔から短気で、好戦的な性格だ。
競争心が旺盛で、負けることが何より嫌いな性格だ。

それは今も変わっていないが、ヨーガをやるようになって一つ変わったのは、怒っている自分、反抗している、勝とうとしている自分を、自分の頭の上から見下ろすように俯瞰できるようになったことだと思う。

人の性格は死ぬまで変わらない。
しかし、自分を常に客観視に近い状態で見ることは可能になると思う。

そうすると、徐々にコントロールできるようになり、
周りとの折り合いがつけやすくなる。

「こんな自分はちょっと問題だな。観ていて嫌になる」
と俯瞰しながら考える。

ただ、このことは自分の性格がヨーガで変わったということではない。
もちろん、変えようとして変わるものではないと思う。

そこの認識は大事だと思っている。

でないと、変わらないと焦って失望する自分と延々と付き合うことになるからだ。

ヨーガをやるようになってからは、ほとんど周りとの激しい対立はなくなった。
心の中で怒りを覚えることはしょっちゅうだ。
しかし、すぐに静かになる。穏やかになる。

穏やかな時の平和さが、短気なだけにとてもありがたく感じる。

穏やかな時間が約8割に対して怒っている時間が2割くらいだろうか。

自分にしては大革命だ。

そのことが、ヨーガをやるようになって得た一番の恩恵だと思っている。

おそらく、他の方々はそれぞれヨーガをやるようになって得るものは違うし、ヨーガを日常生活で実践するスタイルも違うと思う。


しかし、それは、当たり前のことであって、ヨーガの実践は、ヨギの数だけあるのだと思う。

2017年9月9日土曜日

「鶴太郎さんのヨーガの修行をYoutubeで見た。」

鶴太郎さんのヨーガの修行をYoutubeで見た。
でかける前の6時間をヨーガの修行にあてているそうだ。
朝9時にでかけるとすると、午前3時に修行をスタートするそうだ。
食事は朝1食、体重は現在40kg代とのこと。
インド人の師匠についているそうだが、
修行の様子を見ると、伝統的な正統派のヨーガだ。
鶴太郎さん、ヨーガの修行が楽しいと見えて、とても明るく、元気で、顔色も良い。
きっとヨーガが合っているのだと思う。
自分のヨーガは、何歳まで荒業をこなせるか?
という目標があるので、鶴太郎さんほど体重は落とせない。
現在、58kgだが、筋力の必要なポーズをこなす、最低限の体重だ。
しかし、
自分のヨーガもそれを除くと、鶴太郎さんがやっているヨーガとほとんど変わりがない。
鶴太郎さんがやっているヨーガの延長線上にあると言える。
食生活もそっくりだし、
驚いたことに、瞑想の修行が似ている。
というのも、最近、自分は、朝、20分の瞑想を日課にしているが、それを一時間に伸ばそうかと考えていた。
なにより、気分が良くなるのが一番の理由だが、
驚いたことに鶴太郎さんも、
現在20分の瞑想が日課で、それを1時間くらいにしたいが、なかなかできない。
と言っていた。
この20分というのは自分の朝のバロメータで、
これが落ち着いてできない、ちょっと気が乗らない。
というときは、一日が冴えないものになることが多く。
しっかりと瞑想できると、一日はナイスなものになる。
瞑想は、座禅では、黙って静かに座っているだけだが、
私は、チベットの坊さんと同じで、
チベット語とサンスクリット語で、仏教のスートラとマントラをずっと唱えている。
4回ほど唱えると、20分になる。
記憶しているスートラやマントラを淀み無く音声化するために、集中力の塊になり、
極度な瞑想状態になっている。
これが快感なのだ。
カトリックの世界では歌うことは3倍祈ることになる。
と言われている。
沈思黙考の瞑想も良いが、スートラやマントラを唱える瞑想はさらに瞑想状態が深まる。
この快感を鶴太郎さんに教えたい。

2017年9月5日火曜日

「夏の終わりのハンドスタンド」

夏の終わりのハンドスタンド。
結構ムシムシしていた日没直前の茅ケ崎海岸ですが、
秋の気配を感じました。

筋肉痛と、筋肉疲労が混じったような感じでしたが、調子が悪い時が自分の実力。

本日は、集中力と呼吸を最大限に活かしてなんとかまとめてみました。無限遠に向かって意識を集中して、頭の中は真空になったかのよう。

逆転は、最も簡単な非日常で、最高の瞑想状態です。

自分の場合、坐法での瞑想では、ここまでは行き着けないと思います。

2017年9月3日日曜日

「ツルの片足瞑想ポーズ」



オリジナルのサンスクリット語では、
Eka Pada Baka Dyanasana(エーカパーダバカディアナーサナ)
と言います。ヨーガの、古くからあるポーズですが、ポーズ名も知らずにやっていました。
その辺が結構自分のテキトーなところで、そんなポーズも多いです。

それで、ポーズ名を調べようとしたら、やっている人がほとんどいない。
Instagramの同名タグでさえ、ほんの少数。
やっとの事でポーズ名に行き着きました。

よく見ると、ツルが片足で寛いで瞑想しているようにも見えないこともありませんが、
イメージ的にツルだというのは良く分かります。

このDyanaという言葉は仏教にも登場します。
漢字ではどう書くのか知りませんが、
初期仏教の主流だった瞑想法で、悟りに至るための大事な瞑想法です。
しかし、パーリ語の仏教とは違い、
同じDyanaでもヒンドゥー教におけるヒンドゥー語のDyanaでは「ヨガの瞑想法」という意味になり、
仏教とは大きくニュアンスが違います。

自分は、ヨーガに入る時のマントラはチベット語ですが、
チベット語のマントラも半分はサンスクリット語。

般若心経のサンスクリット語もパーリ語が混在しているようです。
真言宗の有名な僧侶は、般若心経はパーリ語だとおっしゃっていました。
仏陀の日常語はパーリ語だったので、当然かもしれません。

その辺が仏教、ヒンドゥー教、およびその修行のひとつであるヨーガでは混在していて、
良く分かりません。
途中まで調べてテキトーに理解して、そのうち分かることも多いので、放棄すること多々。笑。

2017年9月2日土曜日

「ヨガティーチャー」

自分はヨガティーチャーではないが、知り合いの先生にメンバーにされてしまった
アメリカのFBサイトYoga Teachers。

そこに気になるテーマを投げかけているヨギが居た。
そのヨギがシェアしたサイトがこれ。

以下、リンク↓


タイトルは、"Not Another Yoga Teacher"
つまり、「もうこれ以上、ヨガの先生はいらない」。

やはりやり玉に上がっているのはYTT。

投稿者は、NYのブルックリンのヨガスタジオを例にあげているが、
最近のブルックリンの土地の高騰は凄まじい。

私がマンハッタンに居た頃は、誰も見向きもしなかった地域だ。
結構広いスタジオが安い賃料で借りれた。

しかし、再開発で土地が高騰し、昔からこつこつとヨガスタジオを経営していたヨギたちは、とてもじゃないが経営はできなくなり、廃業を余儀なくされたと言う。

それだけヨガスタジオの経営は大変な時代になったのに、
次から次へとYTTはヨガの先生を作り続けている。
という訴えだ。

彼は、なんで、ヨギではなく、ヨガティーチャーを生み出そうとするのか?
と疑問を呈しているが、私も全く彼の言うとおりだと思う。

ヨガはそもそも「教える」ために学ぶものではない。
ヨガを生活の一部としてよりよい人生を送るために学ぶもので、
それを長年生活の一部として学び、実践して、人に伝えるレベルに達して、人に教えようという意志がある人が初めて、教えるという道を選択するのだと思う。

私が今まで学んだヨガの先生で、最初から先生になろうと思ってヨガを始めた人はいない。何の分野でもそういうものだと思う。

私がやっていたカラテもそうだ。
最低でも数年やって、素質があって、努力家で、大会である程度の実績がある人が道場を開く、しかし、多くの道場主は経営は大変だ。
カラテでもバレエでも、最初から「先生」になろうと思って始める人がいるだろうか?

その辺を冷静に考えると、彼が言っていることは至極全うなことだと思うし、多くの人がそう思っているのだと思う。

特に、ヨガは経験哲学的側面が大きいから、YTTのような産業的に先生を生み出すようなシステムにはもっともなじまない分野だ。

YTTは、最低限のパスポートだという考え方もあるが、このYoga Teachersのメンバーの何人かは、YTTのサーティフィケイトを得たというだけで、勘違いな未熟な発言をしては、ベテランから叩かれている。

YTTは、ただ、自分のヨガのアーサナのレベルを客観的に見るひとつの基準だと思えばYTTはそれなりの存在価値はあると思う。
しかし、YTT取得のための広告を見ていると、暗澹たる気分になる。

YTT出身の先生で、真面目に、生徒たちを教え、支持され、生き残る人もいると思うが、このアメリカのように、粗製乱造的なイメージでヨガの世界を見られるようになると、ヨガ自体が軽く見られるようになると思う。

ヨガを学ぶには、ヨガを教えるヨガティーチャーが必要だ。
ヨガは、学ぶ人の人生がかかっていることもあるし、左右することもある。

アイアンガーヨガでも、アシュタンガヨガでも、指導を許されるようになるには、大体最低数年はかかる。古来の伝統的なヨガでも、先生からお許しが出るのは、最低10年だろう。

世の中の人は、バレエでもピアノでも、一角のものになるには、どれだけの時間と労力が必要か知っている。
それと同じようにヨガのことも見ていると思う。

まずは、最低でも10年、じっくりと学んでみて、それから教えるというスキルを学んでも遅くはないと思うのだが。