2018年1月29日月曜日

「冬眠中?の練習」


しんぴ倒立20回 from idehiroyuki on Vimeo.
寒い日が続きますね。

先日は昼間でも外は、気温3度。
結構強力な石油ストーブがあるので、部屋はすぐに30度近くになります。

気温が上がれば、冬以外の季節のように身体が動くかというとさにあらず。

やはり、どこか、運動能力もプチ冬眠状態な感じがします。

筋トレを欠かさずにやっているせいか、筋力が足りないという気はしませんが、やはり、身体が重いです。

1月2月は、昔から我慢の季節だと分かっているので、
単純な基本的な運動やアーサナの繰り返し練習をやっています。

この、しんぴ倒立(Straddle Press Handstand)は、

前屈の柔軟。
手首、肩の柔軟。
肩と、背筋、上腕三頭筋の筋力。
重心の移動への意識の集中とバランス感覚。
視線の位置。
吐く息のタイミング。
様々なバランスの調整能力。

など、シンプルな動きの中に、様々な要素が必要とされる、
一種のヴィンヤサということもできます。

冬の間の倒立系の練習はこれを20回だけ。

あとは、アイアンガーヨガの16の基本ポーズと
プラナヤマ、瞑想をいつもどおりというメニュです。

2018年1月24日水曜日

「悩みごとの対症療法」


対症療法。
主に、
「根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して物事を処理すること」
という意味で用いられています。

例えば、風邪をひいたが、どうしたら良いか。
という問に、
「医者に行って風邪薬を処方してもらうか、注射を打ってもらう」。
というのは典型的な対症療法で、

熱が出るのは、身体が体温を上げて免疫細胞の動きを活発化しているので、仕事は休んで、安静にして、熱が下がるまでじっとしていなさい。
そして、免疫力がなくなるような生活習慣を改めなさい。
というのが最も理にかなった療法。

対症療法には、本質的な療法による疾病を逆に悪化させることも多いです。
風邪薬の服用が回復を遅らせるのがその典型。
おまけに風邪薬には鎮痛剤が入っているので、健常な細胞の毒になる。
風邪薬の服用とともに抵抗力もなくなるので、風邪を引きやすい身体にもなる。

これは、悩み事相談にも当てはまることで、
「私、何やっていいのか分かりません」
「私、自分探しをしています。けど、それが分からない」
という問に、
あれこれ、その人ができそうな事をピックアップして勧めたり、理想の自分像を安直に想像の範囲で語ってあげるのは対処療法。

「そもそも、あなたは、どういう人生を送りたいのですか」
という、本来だったら子供の頃から常に意識しておくべきことを時間をかけて確認させるのが、
本質的な療法だと思います。

最近の悩み事相談を見ていると、そのような対症療法的な回答がとても多い。

まあ、相談される方にしたら、すぐにでも、相手の気持ちが楽になるような回答をしないと、
人生相談者として、人気がなくなるし、限られた紙面と時間で本質的なことから確認させるというのは無理だと思います。

しかし、安易なダイエット法の氾濫と同じで、メンタルでも、そういう質問を繰り返している難民が多いと感じています。

どういう人生をおくりたいのか?ということを考える。意識する習慣は、日本以外の国では、教育の一環で行われていることが多いです。

どういう人生を送りたい?今何をやりたい?何が好き?どんな職業に就きたい?
こういう当たり前の問を日頃から子供に与えていると、
子供はいろいろと考える習慣がつきます。

これが日本で戦後、行われなかったのは、
企業や組織の集団に馴染む子供を大量に生産するような、異常な集団主義のシステムがあったからです。

自分が送りたい人生をあれこれ考えて、気がついて、
組織や集団に都合が悪いような考え方をする子供ができるのが都合が悪かったからだと思います。

私も時々、悩み相談を受けることがありますが、
元を辿って、突き詰めると、
「どんな人生をおくりたいの」?
という根本的な問に行き着くことが多いです。

これだけは、自分で考えるしかない。
こちらがあれこれ言うことではありません。

どういう人生を送りたいのか?
こどもの頃に考えたとおりの人生が送れる人はほとんどいません。
みな、途中で挫折したりして、修正していきます。

しかし、そういう思考習慣がある子たちは
そこから解決法を見つけていくものです。

そういうときの悩み相談には、
こちらとしてもすごく対処しやすい。

目的地があるわけですから。

どういう人生を送りたい。
と考えたこともない人は、目的地も設定せずに航海に出た船のようなものだと思います。

2018年1月22日月曜日

「闘病記のブログ」

ヨガのブログをやっていて、このブログランキングに登録しているせいか、いろんなブログに興味があります。

その中でも、最も、読んでいてつらいのが「闘病記」。

ブログランキングサイトには、様々な病名の項目があって、それをクリックすると、闘病している方のブログが読めるようになっています。

私は、読むのは辛いので避けていましたが、
知人が、闘病記をアップするようになって、読むようになりました。

知人は水泳コーチでした。

中長距離専門のコーチで、当時、マスターズで中距離専門だった自分は、彼の練習会に良く参加するようになりました。

彼は、とても緻密な人間で、様々なデータを元に、泳法のフォームや練習方法を解析するのが得意でした。

彼は、それを自分のブログで紹介して、そのブログは人気サイトになっていました。

ある日、彼は、太ももにできた腫瘍のようなものが気になって皮膚科を訪ねましたが、それを診て、顔色が変わった担当医は、すぐに細胞を採取して検査したそうです。

検査結果告知の日、彼は、ちょっと嫌な予感がしたと書いていました。

その告知をしたのは女医さんで、
女医さんは、ためらいもなく、
「あなたのその腫瘍は悪性黒色腫(メラノーマ)です。5年生存率は10%以下です」。
と告げたそうです。

そのときの、気持ちを彼はできるだけ正直に表現しようと思ったのか、ブログにこと細かに綴っていましたが、
それは言葉にはなっていませんでした。

気丈で前向きな彼は、持ち前のガッツで、
とにかく、1%の可能性でも賭けてみようと、積極的に治療を受けることになりました。

その告知からしばらくして、手術を受けるまでの間に、彼が主催した練習会に参加した私は、
練習後、プールの中で、話をしました。

私は、聞く事に徹しましたが、彼は堰を切ったように、いろんな思いを語り、話はなかなか終わりませんでした。

語ることによって、不安が少し和らいでいくような、そんな気持ちを彼の表情に見て、私は自分の身体が冷えていくのも忘れていました。

その後、彼は闘病記を綴ったブログをアップして、
私は、頻繁に見るようになりました。

彼は、治療の様子や体調の推移を克明にレポートして、医者のコメントなども、事細かに記録していました。

ブログがしばらく途切れると心配になりましたが、
3〜4日後には元気な声を聴くことができ、ほっとしていました。
そうやって、3年、全く転移なしに時は過ぎ、
私は、もしかして、これは〜、と奇蹟を信じるようになりました。

しかし、ある日、転移が認められ、約半年後には、全身に転移が広がりました。

それからの彼のブログは、愚痴を言わない彼だけに、
悲惨さが余計に伝わってきました。
脳に転移が認められたときには、もう見ていられなくなりました。

2月1日のある寒い朝、彼のブログを開くと、奥さんが、
昨日、眠るように旅立ちました。とブログに書かれていました。
なぜか、悲しい気持ちより、彼は、やっと、これで苦しみから開放された。
という気持ちの方が強く、
そして、自分も何かから解放されたような気持ちになりました。

44歳の死。

彼の闘病記を応援していた、同じように、難病の闘病記をブログにアップしていた方たちも、
その後、全員、ブログがストップしました。

闘病記は、終了するまでが短い。
ブログランキングを見ると、途切れているブログ、肉親がブログの主の死を告げているものが多いです。

ブログというと、SNSに比べ古い媒体ですが、ブログはじっくりと読める。
読む方は、そのつもりで観ている。

ブログは、その記録性や、思いを語る気持ちが、よく伝わってくる媒体だと思います。

しかし、闘病記を読むのは辛いです。

2018年1月20日土曜日

「逆転系三態」

逆転系のアーサナ三態を久々に撮影してみました。

左から
シールシャーサナ、
ピンチャマユーラーサナ、
アドムカブルクシャサーナ。

身体に与える好影響は全て同じだと思います。

一番、ポーズをキープし易いのが、
左のシールシャーサナですが、
長時間行うと、頚椎によくありません。

特に首、肩の筋肉が弱い方は要注意。
例え、10秒程度でも効果はありますので、
無理のない時間で。

少し、首に違和感覚えたら、
しばらく練習は休んだ方が賢明です。

ネットで、ヨガによるケガを調べていたら、
アメリカで、ヨガのケガをレポートしているサイトがあり、
アイアンガーヨガ歴約20年のベテラン指導員に、頚椎に重大な損傷が認められたとありました。

例外的な不具合のようですが、不具合は、いくらポーズのやり方が正しくても、20年〜40年経って出てくることもあります。

私は、その記事を読む前に、少し頚椎に異常を感じていたので、しばらく、このポーズを止めていました。

私は、このポーズを始めてから30年以上経っていたので、ピントくるところがあったからです。
年齢的なものも関係あるかも知れません。

最近では大丈夫ですが、
長くても3分しかやらないようにしています。


真ん中のピンチャは、最もきつい逆転系だと思います。
L字に曲げた腕の骨格に体重が乗るので、上腕三頭筋あたりに、相当無理な力がかかっていると思います。
あと、目の位置が低く、床が近いので圧迫感があります。

長時間続ける逆転ではないと思います。
私も本日は約2年ぶり。
こんなにキツかったのかと再認識しました。
最も嫌な逆転です。笑

右のアドムカブルクシャサーナは、通常の倒立。
最もバランスが取りにくく、
バランスがきれいにとれると最も楽な逆転系です。

ただ、バナナハンドスタンドと言って、
身体が反るような倒立になると、
写真のように、
まっすぐの骨格の上に体重がキレイに乗らないので、
きついです。

逆転系は、他のアーサナと平行して、独自に練習すると良いと思います。

逆転系はアームバランスと違って、技術や理論が介在する余地が少なく、身体の慣れが全てとも言えます。

慣れるまでは必ずエキスパートのアシスト付きでやった方が良いと思います。

マスターまでに時間がかかると思いますが、逆転系は一生自分の身体を健康に敏捷に、様々な感覚を鋭くしてくれると思います。





2018年1月19日金曜日

「PTSD」

PTSDは、ストレス障害とか、トラウマに近い意味。
最近よく聞かれる言葉です。

私にもあります。
それは普段、意識しませんが、何かあると姿を現します。

PTSDは、やはり、その経験が若ければ若いほど強いと思っています。

私の場合は、暴力を受けたとか、そういうことではありませんが、ある意味、精神的に受けた暴力に近いかも知れません。

一つは、生まれてすぐに、食品公害にあって左耳の聴力を失い、瀕死の状態になったこと。

もう一つは、その後、小学校低学年の頃に、その被害のために、末期がん患者の病棟に入れられたことです。

こちらの方が酷い。

もちろん私は癌ではなかったのですが、容態が急変したときに、小児科病棟が空いていなくて、
たまたま空いていた末期がん患者の病室に入れられました。

そこは四人部屋で、状態がいよいよ悪くなると、個室に移され、大体、2〜3日以内に亡くなります。

私は病室で、もちろん最年少でしたので、
皆、可愛がってくれました。

その患者さんたちが、状態が悪くなると個室に移される。

そして、ある日、看護婦さんが、誰々さんが亡くなったのでお見送りしましょう。
と言われ、白布に覆われた遺体を見送る。

そういう経験が約一ヶ月続きました。

あとで聞いたのですが、その病室からの生還者は私ひとりだけだったそうです。

その頃の記憶で、はっきりと私の中に残っているのは、学校の記憶ではなく、その病室の記憶です。

ほとんどの患者さんの名前と顔は覚えています。

その記憶の鮮明さが、ずっと、私のPTSDそのものでした。

しかし、もう60歳も半ばになって、いつも死を日常的に意識するようになって、そのPTSDが、弱くなってきているように思います。

人間、いつ死ぬか分かりませんが、
自分も、見送った人たちの仲間になる時期が近づいたのを
本能的に分かってきたのかも知れません。

常に「死」を意識して一日一生で生きる。
それも、ヨーガを続けてきて特に意識するようになったことです。

2018年1月16日火曜日

「こだわりと集中と」

「こだわりと集中と」

この写真は30年前に女性誌のために撮った、雪村いずみさんのポートレート。
特に有名人を撮る時には、撮影前には、相手をリラックスさせるため、
自分もリラックスして、緊張感の中にも和んだ雰囲気を作る必要があります。

しかし、撮影が始まると、異様な雰囲気となり、
自分の集中力との闘いになります。

撮影の時は、ほとんど身体は動かしません。
しかし、10分ほどの撮影が終わった時には、全身汗でびっしょりです。
目に額の汗が入ってくることもあります。

このときは私はヨーガを始めてまだ10年くらいでしたが、
それだけの集中力がヨーガから来たのか、どうかは分かりませんでした。

ちょうどその頃に、あるヨーガの先生から、
ヨーガには深入りしない方が良いとアドバイスを受けていました。

どういう事かというと、
私のような仕事は、執着とこだわりが形になるからです。

人と違った、尖った、感性でないと行きていけません。
そういうものを身につけるには、物事を達観して見るヨーガは真逆の作用を及ぼすというのが先生の考え方でした。

私は、はっとして、それに従いました。
その方が自分にとって自然だったからです。

以前にも書きましたが、その頃、あるNHKの番組で
ある陶芸家の先生が、禅を始めるようになって陶芸ができなくなった。
とおっしゃっていました。

陶芸も執着です。禅は、それをなくすためにあるようなものですから。

私は、それ以来、50歳を迎えるまで、
瞑想を、執着への集中力養成のような位置づけで続けてきました。

今になって思うと、それは正解だったと思います。
邪道だと言われても仕方ないですが、それで良かったと思っています。

そういう段階を経ないと、執着から離れることはできないと分かったからです。

しかし、

50を過ぎてからの執着は、まだまだ山の頂上を目指して登っているようなものです。
私は50を過ぎたら、自分の経験から言っても、
下山して行く時期だと思っています。

山を降りることが頭にない人は遭難します。

それより、下山しながら下界の様子を良く観て、
自分の立ち位置を冷静に考える方が賢明だと思うようになりました。

まだまだ50歳を迎えるころまでは、
様々な聖典や経典にあるような、悟りとか達観、
そのようなものが、自分にとってしっくり来ない場合は、
知識以上のものとして実感されない場合は、
無理して、それに従おうと考えない方が良いと思います。

一応、知識として心の中に置いておくと、
ある時期が来ると、それらの言葉が、自然に語りかけてくると思います。

2018年1月14日日曜日

「仏陀とヨーガ」



上質なドキュメンタリー番組を制作することで有名な、

アメリカのPBS(非営利・公共放送ネットワーク)が制作した、仏陀の生涯。


全編英語で字幕は付いていませんが、

このビデオの29分あたりから、仏陀のヨーガ修行の行が出てきます。


現存するインドのサドゥも登場して、悟りに関するメッセージも紹介されます。

サドゥのアーサナの様子をご覧いただけたらと思います。


コメンテーターは、欧米の詩人や宗教学者、歴史学者、それにダライ・ラマ14世猊下や、仏教関係者。

仏陀がヨーガとどう関わっただけではなく、

その後の仏陀がヨーガを修行の一環としたことが納得できる内容です。


仏陀は、激しいヨーガの修行で生死の境を彷徨い、

やがて、中庸の意味を悟ります。

そのことは、ヨーガは目的ではなく、

手段である。生活の一部であるということを示唆していると私は考えています。

ヨーガが、手段であるのか、目的であるのか。

それを決めるのは個人で、各流派の決まりごとではないと考えています。

仏教やヨーガ関係者だけでなく、各方面の知識人が語る仏陀の生涯とヨーガ、

私は、仏陀の生涯を通して、

ヨーガが、人生そのものであることを示唆していると、このビデオを見て感じました。


2018年1月12日金曜日

「ヨーガとスパイ」

日本で、明治維新以降、ヨーガの代表的指導者だったのは、
中村天風師と沖正弘師です。

お二人に共通するのは、陸軍特務機関の諜報員だったこと。

すなわちスパイとして、中国やチベット、ネパール、インドへの任務に就き、偶然、そこでヨーガや仏教、ヒンドゥー教の指導者、聖人と接し、生活を伴にする過程で、古来の本物のヨーガを修行された方です。

インドに渡れば、ヨーガ修行のための施設があり、
お金と時間とやる気があればヨガが学べる現在とは全く事情が違いました。

両師とも、生きるか死ぬかの体験を数多く経験されています。そして、何より、それまでヨーガに接したことがなかったということが重要です。

実は私の祖父も、商社マンとして1920年頃から中国大陸や西域に赴任していましたが、実態は、陸軍のスパイのようなものでした。

その証拠に、歴史的なスパイ(川島芳子)や諜報機関のスタッフといっしょに写った写真が私の手元に残っています。
なにより祖父が残した、中国各地の写真がそれを物語っています。

その祖父は、毎朝、パーリ語でお経を上げていました。
それは、子供の私にとっては、日常で、記憶の奥底に残っています。

祖父がいつ仏教に帰依したのかは、母に聞いても分かりませんでした。
ただ、中国か西域に居た頃であったのは確かです。

写真の石仏は、西域の敦煌で彫られたものです。
祖父が、1930年頃に購入したものですが、
彫られたのは清の時代、約200年前のことです。
高さは120cm,重さは100kgを超えます。

仏像は、大昔の魏の石仏に似せて彫られた贋作です。

祖父にはそれが分かっていたようですが、
美術的な価値を認めて購入、その後日本に持ち帰りました。
もちろん、そのバックに仏教信仰があったのは間違いないと思います。

祖父母が亡くなった後、母がこの石仏を保管していましたが、母が認知症になったため、私が、今自宅に引き取り、床の間に置いてあります。

この仏像は、観自在菩薩です。

観自在菩薩というのは、仏陀が山上でヨーガの修行の時に、弟子たちにプラジュニャパラミタ・フリダヤスートラ(般若心経)を説いている姿をイメージしたものです。
仏教美術上、いろんなタイプがあって、これは水月観音と呼ばれます。

二十歳からヨーガを日常としている自分にとっては、
この仏像が自分の元にきたということに対して、とても因縁めいたものを感じています。

毎朝、この菩薩の前でプラナヤマと瞑想を行っていますが、
必ず、その前後に、漢語とパーリ語の般若心経とチベット仏教のマントラを唱えています。

祖父やご先祖様に祈りを捧げる意味もあります。

前述の沖正弘師のヨーガ道場でも、ヨーガの始まりには、般若心経を唱えていたそうです。
日本のヨーガと仏教の繋がりは長いです。

日本にヨーガが伝来したのは聖徳太子の時代、約1500年前です。
仏教とヨーガがセットで、伝来しました。

そのせいか、最近まで多くのヨーガの団体は仏教の宗教法人でした。

一度、この仏像を華僑の方がご覧になり、
もし、祖父が日本に持ち帰らなかったら、文化大革命で紅衛兵に破壊されただろう。
とおっしゃっていました。
数奇な運命をたどった観自在菩薩です。

中村天風師、沖正弘師、祖父、そして仏教とヨーガ。

自分の中では、全てが密接につながっています。
そして、その上に今の自分があると思っています。

2018年1月9日火曜日

「自家製ナン」

ホームベーカリーというパンをこねて焼く家電製品があります。
出来上がりのパンは、まあまあ、美味しいのですが、
やはり、直接火を使わないので、それなりの味と香りです。

このホームベーカリーには生地を作る機能もあって、
最近ナンの生地を作っています。

私はグルテン不耐症なのですが、
いくつかの混じりけのない在来種は、大丈夫なので、
それらを買い貯めて、朝からは大体ナンを焼いています。

ナンを焼くのはガスオーブン。
と言っても、魚を焼くグリルです。
もうヴィーガン生活も長いので、グリルでは一度も魚を焼いたことはありません。

だから魚臭さはなし。

火は片面なので、頃合いを見てひっくり返すことになります。
ナンは、焼いているといきなり膨らむので、
常に焼き具合を観察していないと、膨らんだ生地がガスの炎に触れて、あっという間に、焦げるので、神経質になります。

しかし、上手く焼けたときのナンは最高です。

これは今朝の朝食。
ひよこ豆のカレーに、スリランカ風のコールスロー。

このコールスローは、スリランカ人のシェフから習ったもので、トマトジュース、ヴィネガー、豆乳、ターメリックやクミン等で作ります。

朝から家の中にパンやナンを焼く香りが漂っているのは良いものです。

2018年1月7日日曜日

「アーサナの王」

今日のハンドスタンド from idehiroyuki on Vimeo.

シールシャーサナはアーサナの王だと言われています。

シールシャーサナ(頭立)を行っているときは、
自分が経験する限りにおいても、瞑想状態と同じです。

チベット・ネパール系の伝統ヨガのN先生のところでは、
結構長い時間シールシャーサナをキープさせられるとか。

私も、約40年続けています。

最長30分ほどやったことがあり、
慣れたころには、居眠りすることも。
しかし、
首が痛くなって、最近では最長で5分で切り上げています。

多分、効果的には、通常の倒立(アドムカブルクシャサーナ)でも同じはず。
サーカスの人たちが5分ほどキープしているという話を聞いたことがありますが、
私は、最長3分弱。
それでも、相当肩にきました。

年齢や体力的なことを考えると1分が無難なところ。
それを確実に5本、こなすと、
短い瞑想状態を経験できるだけではなく、
集中力や、筋力のトレーニングになります。

そのため、最近は逆転系は、倒立に移行しています。

倒立は人間の身体の構造上、
バランスをとると、身体がやや反ってきます。
反らないでとにかく真っ直ぐをキープしようとすると、
手前に倒れてしまいます。

これを上手く矯正、垂直の姿勢をキープするには、
倒立歩行の後退が最も効果的だと経験上感じています。
身体が倒立歩行に慣れて、後退できるようになるためには、
とにかく、身体が垂直でないと出来ませんから。

ビデオに撮ってあるので近いうちにアップします。

一度、ここでもレポートしたことですが、
一生、シールシャーサナだけをやって死ぬまでお元気だった女性がいるそうです。
かなりの長寿で、ある日、パタリと亡くなったそうです。
知り合いのヨガの先生が、
「きっとシールシャーサナのおかげよ」
とおっしゃっていました。

なにか一つアーサナを続けるのだったら。
これ。
シールシャーサナ。

あれこれ迷って、散漫になったり、怪我してヨガをやめるより
逆転系。

欧米には倒立だけを教えているコーチや、
ヨガティーチャーでも倒立を分けて教えている方も多いです。

効果的にはシールシャーサナ、エルボースタンド、三点倒立、倒立は同じだと思います。

理想的には全てできると、身体能力的にも相当進歩があると思います。









2018年1月5日金曜日

「持って生まれた身体で選別される」



写真は、Instagramでわたしがフォローしているベヤマベーラさん。
シルク・ドゥ・ソレイユのスター。
シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーには、いくつか専門があるようで、
彼女はコントーション(曲芸)。
主に身体の柔軟性を売りにしていますが、
倒立系のハンドバランサーとしても凄い。

彼女はロシア出身ですが、
ロシアはバレエやサーカスアートなどの曲芸が昔から盛ん。
伝統文化と言っても過言でないと思います。

彼女たちは、大体3歳くらいには練習を開始していますが、
バレエと、このコントーションは、チームで動くので、
オーディションで、
将来予想される背の高さや、関節の可動域、柔軟性を精査されて、それから外れると情け容赦なく落とされます。

特に、両親の体型を見るそうで、母親が肥満体型だと、
将来太ると予想できるので、落とされるとか。

例え、運動能力に優れ、課題を難なくこなせても、
体型や大きさ的に許容範囲でないと落とされます。

Youtubeにも、その様子が出ています。

落とされたこどもたちは泣いていて、
多分、これが人生最初の挫折だと思います。

人間の身体のモーメントから言うと、
曲芸、体操は、男性では165cmくらいまでの身長が理想だそうです。
女性は、体操も、曲芸も、大体150cm〜155cm。
新体操は、シビアに身長、体型を揃えるので、170cm、体重48kg前後であることが多いようです。

ヨガのアーサナは体操ではありませんが、
やはり、小柄な方が物理的に有利で、楽にアーサナがこなせると思います。

ベヤマベーラさん、パフォーマンス中はスリムに見えますが、よく見ると、素晴らしい筋肉です。

男女の違いはありますが、
私はヨガも、このような柔軟でスリムで強力な筋力を付けるのがひとつの理想だと思っています。






2018年1月2日火曜日

「いろいろと見てきた」

新年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。


「I've seen things(いろいろと見てきた)」
と、名画ブレードランナーで末期の時を迎えたレプリカント、ロイ(ルトガー・ハウアー)が語っているシーンが30年以上経った今でも頭に残っています。

これは、祖父が1930年頃の中国、天津で撮影したストリートフォト。
隠し撮りだと言っていました。


高価なカメラは現金と同じ。
命を失う危険があった時代です。
実際に祖父の同僚は何人か暗殺されたそうです。

当時天津はフランス領。フランス租界と言って、
フランス人が多く住み、
当時すでにルイ・ヴィトンやゲランの店舗があり、
パリがそのまま引っ越してきたようだったと祖母は語っていました。

たまに、天津から東京に出張すると、銀座のあまりの田舎臭さに驚いていたと言います。

それだけ、当時の天津や上海はパリと並ぶ国際都市で、
20世紀で最も文化が熟覧していた都市のひとつだと言われています。

同じ東洋の東京が、
とうとうそのような文化熟覧の時期を迎えなかったのに対して対照的です。

この映像、まるでブレードランナーの世界。
ロバートオカザキの屋台が登場しそうな雰囲気です。

このような光景を「いろいろと見てきた」祖父が、末期の時に、
「いろいろとあった人生だが、あっという間だった」
と言い残して亡くなりました。

自分のその後の人生は、この祖父の人生と、その一言で決定したと思っています。
そして、その後観たブレードランナーのロイの言葉に、祖父の姿を見ることができました。
自分は、人生とは、どれだけ、いろんな光景を目にすることができるのか、経験することができるのか、だと思います。

ネットやテレビで見る光景は薄いLEDパネルに写っている情報に過ぎません。
本も、紙の上で死んでいる情報。
それらをほんものの認識として自分のものにするのは自分の行動。その経験が必要です。

現場で見て、感じた経験は、自分の心の中に抱えて黄泉の国へと旅立てますが、
お金や財産は置いていかないといけない。

人生は一度きり。
思い切って、世界に飛び出して、動き回るということは
かけがえのない経験を与えてくれると思います。

ヨガの世界でも、放浪の末にヨガの先生になった方は面白い。魅力的です。
話にリアリティがあります。

若い方にはどんどん世界に飛び出して、いろいろと経験して欲しいと思います。