2018年2月26日月曜日

「転生」


先日、FBフレンドが、面白い記事をシェアしていまいた。

二歳になる娘さんが、ある日、自分は、生まれる前、ご両親がずっと前に飼っていたフェレットだったと喋り始めたという内容でした。その娘さんが生まれた頃にはもうそのフェレットは死んでいて、娘さんはそのことを知らない。ですからご両親はとても驚いたそうです。

同じような話を本でも読んだことがあります。

作家のポール・オースターがアメリカの新聞に掲載された不思議な話を集めた本がありますが、その中のひとつです。

ニューヨークで、夫を亡くした老婦人が、ある日の夕刻、夫とよく行っていた劇場に徒歩で向かう途中で、家の前からずっとあとをつけて来る犬に気がついたそうです。

そして劇場に着いたときにふと振り返ると、ちょうど犬がいるところに亡くなった旦那さんを幻影を見たそうです。

その本は、このような話を約数十年に渡ってアメリカとヨーロッパから集めたものですが、ポール・オースターファンの村上春樹が後に、同じように、日本の不思議な話を集めたのが、「東京奇譚集」です。

以前、ある、旧盆に入った日の朝、雨戸を開けると、目の前に美しいアゲハチョウが止まっていて、逃げもせず、ゆっくりと羽を広げたり閉じたりしていたことがあります。

その時に、なぜか、「ああ、祖母が蝶の姿を借りて会いにきてくれた」と、胸が熱くなったことがあります。

魂は存在すると思います。そして、上述のフェレットや犬の話を聴く度に、魂の存在を確信します。



2018年2月23日金曜日

「様々な条件下でのアーサナ」

倒立歩行 from idehiroyuki on Vimeo.

最高気温が10度前後の日が続きますが、
春は確実に近づいていると感じます。

家でアイアンガーヨガのハタヨガ基本ポーズをざっとこなし、
5km海岸を走って、トータル200mの倒立歩行を練習しました。
倒立歩行でもやらないと、身体が冷え切るからです。

まだまだ北風東風が冷たく、こめかみが、そして、その奥にある三半規管も冷えます。
三半規管は身体の平衡を司る器官。そこが冷えると、目眩に繋がるだけあって、
バランス感覚も微妙に狂い、頭と身体のテンポがずれてきます。
それをごまかし、なんとかする。

こういう悪条件はケガにも繋がりますが、
運動もアーサナも、様々な外的条件で行った方が、
身体に染み付き、いろんな発見があります。

チベットやネパールのヨギたちが岩山を駆け巡ったり、
昼間なお暗い洞窟で瞑想を行ったりする。
そのような体験は、できませんが、自分を日常とは違う環境に追い込むのは
工夫次第だと思います。

この日の倒立歩行200mで何を得たのかは分かりませんが、
確実に感覚のどこかに残っていると思います。

そういう感覚の蓄積が、ある日、自分の何らかの覚醒に繋がる。
それが密かな楽しみです。

※動画は1.5倍速です。




2018年2月21日水曜日

「人間の寿命について」



上記のリンク先の記事を見てすごく納得しました。


日本人の平均寿命。

1947(昭和22)年 男性 50.06歳、女性 53.96歳。
1970(昭和45)年 男性 69.31歳、女性 74.66歳。

私は、1954年生まれだから、
私が生まれた頃は、大体男性の平均寿命は、この数字から推測するに、
50歳代後半。
父と従兄弟を見渡すと、父のみ80歳。
従兄弟たちは、ほぼ50歳までで亡くなったと、生前父が言っていました。

その頃には、現在のような親の介護で仕事をやめるとか、
介護疲れみたいな「悲劇」は、新聞でも見られなかったし、
もちろん、自分の周りでも聞いたことがありませんでした。

この記事に興味あることが書いてあります。

「人間には親をみるというDNAがないからよ。あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」

私もこれは当たっていると思います。

かつては日本全国には姥捨て山が存在したし、
イヌイットの世界では、平均寿命を大きく超えてコミュニティの負担になった高齢者は、
ある日、悟ったように、氷原に出かけていったそうです。

そして、生きたままか、凍死して、シロクマのエサになる。
シロクマは厳寒の冬は座礁したクジラや、この老人たちの遺体を食べて生き延びる。
大自然の循環の一部に身を捧げるという行為にも通じるのか。
とこの話を聞いたときには感心しました。

そうやって、短い寿命で人生を終えるか、
不幸にして高齢に達した老人たちは、
上記のような方法で、高齢者は、若い世代の負担にならないようにしていたわけです。

それが、ここ数十年で大きく変化。たった数十年で、それまで何千年も変わらなかった変化が訪れたわけです。

それだけの変化に、老後の事を何とかしろ、と国に言っても、それには限界があると思うし、
一番の原因は、長寿になったこと。これにつきると思います。

平均寿命が世界一になったと言って喜んでいる、日本人の感覚があまりにずれていて
日本人の私にさえ理解不可能。

私は母が認知症で大変なことになったから実感していますが、
例えば夫婦で、それぞれの両親を介護することになった場合、
仮に夫婦とも長男長女だったら、どんなことになるのだろう。
まず、肉体的にも精神的にも、経済的にも短期間で破綻破滅だと思います。
一人っ子が多い時代なので、この悲劇は現実的。

食生活や医学、衛生学の変化が我々にもたらしたものは、とても歪だと思います。
それは進化かも知れないが、人間という生物の一生ということから考えると
不自然極まりないおせっかいな事だったと、今になったら感じます。

自分が、この歳で、歳不相応なトレーニングやっているのは理由があります。
ひとつは死の直前まで元気に生きられたら。と思うこと。
即身仏的な生き方です。
そうすると、周りの人にかかる迷惑は少なくて済むし。

もうひとつは心臓肥大、かなりの低脈拍、不整脈の身体だから、運良くばポックリと思っているからです。
ですから、身体への負荷ということはほとんど考えていません。
まだまだ死にたくないですが、死んでも、それはそれで良いのかとお気楽に考えています。

もし、ガンになったら、一切の治療はしない。
ガン保険はとっくにやめました。

免疫学の故安保徹先生が、ある程度の年齢になってガンになったら喜びなさい。
老衰死て苦労しながら生き延びるより、その方が人間らしい。とおっしゃっていた意味が最近良くわかります。

太く短く生きると言うのも理解できますが、
過度の不摂生は良くないです。
知り合いの看護師さんが、
そういう人は例外なく、周りの人間に多大な迷惑と
社会保険に大きな負担を残して亡くなっています。
とおっしゃっていました。
太く短くの人には惨めな終わりが待っていると思います。

まあ、死に方はなかなか自分では選べませんが、
自分の身体は神様からのレンタルだと考えている自分には、今の生き方が合っているような気がします。

2018年2月19日月曜日

「心の中のものを吐き出す・ゾクチェン」

「心の中のものを吐き出す・ゾクチェン」

チベット密教のヨーガ修行にゾクチェンというものがあります。瞑想法のひとつですが、その源流はアボリジニやなどの太古の原住民の古い記録にも残っているそうです。

ですから、ヨーガよりはるかに古い起源を持つ最も古く、根源的な瞑想法と言われています。

この瞑想法を行う前にやらないといけない行があります。
それは、裸になって森のなかに一人で入り、そこであるだけの力を振り絞って、思いつく限り汚い言葉を大声で叫びまくること。

仏陀は、何かを自分の中にいれるときには、自分の中にある何か他のものを捨てないといけない。

と述べていますが、全くそのとおり。

ゾクチェンのこの行は、自分の中にある毒、邪心などを吐き出すという意味合いがあります。裸で大声を出して、身体の中の毒を出すわけです。

この、大声の行のことは、最近、中沢新一氏の本で読んだのですが、実は、自分は、そうとは知らずに、ずっと、この行を年に何回かやっていました。

以前のアカウントの時に一度書いたことがあります。

私は夏になると、5kmほど走ってきて、茅ケ崎の広大な砂浜で、周りに人がいないと。もし、いても声が届かない距離だと、着ているものをさっと脱いで、海パン(ランニングの時は下着はいつも競泳のパンツです)ひとつになって、雄叫びを何度も上げながら、全力疾走して海に飛び込んで、全速力で100mほど沖に出て、そこで、再び、雄叫びを何度も上げていました。

これは実に気持ちよく、その後しばらく、瞑想やヨーガは特別な幸福感に包まれていました。そして、この、好戦的で短気な自分にしては、信じられないくらい心穏やかに、ひと夏くらいは過ごせたのです。

自分がお世話になっていたKカラテの練習でも、道場ではみな、ほぼ雄叫びに近いような「気合」を出し続けていました。これは、Kカラテの伝説になっている最高師範の元で、このような雄叫びにも近い気合を出し続けないと体力も気力も続かなかったからです。

竹刀を持って、後ろに立たれると、みな、その気合は、悲鳴に近いものになっていました。気合が少しでも足りないと、容赦なく竹刀が飛んできたからです。

そして練習が終わると、何ものにも代えがたい幸福感にみたされていたのを思い出します。

物理的に大声を出して、周りにだれもいなければ、思いつく限りの汚い言葉でわめく。
これは、とても効果的なデトックスだと思います。
思いつく限りの「思いつく」は、過去に、自分が心の中で思ったりしたことであって、そういう悪感情は意識下で沈潜しているからです。

それを吐き出す。
吐き出した直後、はっとします。
こんな汚い言葉を吐いた。
しかし、今、出ていったゾ
と。

余談ですが、麻原彰晃もゾクチェンの修行をチベット、ネパールでやっていて、その修業は現地で高く評価されていました。

しかし、その修業は全く生かされずにテロリストに成り果ててしまいました。

基本的に、自分がやっていることを過大に評価して、その見返りや他人の評価を期待する人は、修行したことを、その評価や自己顕示の道具にする傾向があります。

麻原彰晃を褒めていた中沢新一氏も、そのことをチベット仏教の師に指摘され、その後、ぴたりと、ワイドショーやテレビのゲストから姿を消しました。

中沢新一氏もオウム真理教当時に言っていたことと、その後は全く変わったと思っています。

この「大声、雄叫び」の行。
ゾクチェンのつまみ食いと言えばそれまでですが、
これだけでも、素晴らし効果があります。

しかし、くれぐれも人がいないところでやってください。笑。

2018年2月16日金曜日

「岩の上のヨガ」

家の近くの海岸にある岩礁地帯。

以前、高さが60cmほどのちょうどよい岩があって、
その上でアームバランスの練習をやっていました。

ところが、昨年11月の大型台風で、その岩は大波に破壊され、海岸の地形は大きく変わりました。

その結果、この大岩が姿を現しましたが、なんせ1mを超える高さで、てっぺんが尖っています。

この上でアームバランスをやるのは、危険だろうという先入観がありましたが、
先日、気温は15度。無風で、体調も良く、
「今ならできる」。
という確信のようなものがあって、
トライしましたが、あっけなく、できてしまいました。

最初、戸惑ったのは、手を置く位置。
通常ヨガでも体操でも、床は平行、平です。
しかし、ここでは、左右の手を置く高さは違い、
形状もいびつで、指先の向く方向は、左右ばらばら。

それでもなんとかバランスの位置を探して
身体をリフトしました。
約15秒ほどのポーズの中で、なるべく身体が平行になるように、バランスをとりました。

本来ならもっとまっすぐに身体は伸ばせるのですが、ちょっとしたバランスの狂いがあると、顔から真っ逆さまに落ちるので、これが、安全マージンのある限界。

あとで、画像を拡大してみたら、左右の足裏がお互い向き合うような形になっていて、
左足裏が見えています。
過去、全く、こんな足の形でバランスを取ったことはなかったのですが、普段とは違う条件の元、身体が本能的にこんな足の形を作って、バランスをとっていたようです。

危険が伴いますが、できる範囲で、いろんな条件下でバランスを取ってみると、バランス感覚が進化すると思います。





2018年2月14日水曜日

「体幹は二本ある」

外は5度くらいの寒い一日だったので、ストーブを焚いて、
ハタヨガの基本ポーズをやったあとに、アームバランスをやってみました。

下の写真はマユーラーサナですが、身体は肘の上に乗っけています。
上の写真はマユーラーサナに見えますが、身体は肘の上に乗せていません。
横位置の手で椅子を掴んでいるので、両肘は体側に位置して、平行です。

身体の傾きの角度は45度が最も楽です。
水平に近づくにつれて、バランス能力と筋力が必要になってきます。

最初30度くらいで安定させて、身体を前傾させながら平行に近づけます。
このポーズでよく、バンダの締め方などの質問を受けるのですが、

この場合、バンダを絞めて、まっすぐに、身体を棒のように固定化するのではなく、
二本の並行する体幹(Trunk)を左右頭と足先の前後に方向に引っ張って、
その結果、バンダが締まるようにしています。

このあたりは、感じ方、考え方の違いですが、
私は、最近では、バンダで締めるというより、バンダができるように、身体をコントロールするようにしています。

床に立って、身体をぐっと伸ばして万歳の格好をすると、左手と左足、右手と右足に、それぞれ並行する二本の線ができます。
その二本の線上にそれぞれ、Trunk(体幹)があります。
体幹は身体の中心に一本あるのではなく、このように、二本あります。
体軸は一本ですが、体幹は二本。

この二本の体幹を交互にコントロールすることによって、安定した力を発揮する。
これを二軸理論と言います。
実は、B.K.Sアイアンガー師もインタビューで、体幹は二本あると指摘されています。
競泳や剣道、カラテの世界でもこの二軸理論が主流です。
私は、高校時代に泳法を矯正されるときに、この二軸理論を叩きこまれました。
カラテの突きも二軸理論の体現です。

古武道家の甲野善紀師の難波歩きも、まさにこの理論上にあります。

この2つの体幹を交互にコントロールする。
という感覚が、ヨガのポーズでも生きます。
というより、ヨガのアーサナは一本の体軸と2つの体幹を意識と呼吸でコントロールする。ということができると思っています。

面白いのは、シールシャーサナ(頭立)を二軸理論で教えると、それまで、身体のセンターで体幹を感じていた人とは思えないようにアーサナが安定します。
これは、それまで意識してこなかった二本の体幹を意識できた効果だと思います。

体幹が二本あることに気が付き、意識する。
そうすると変わります。
ある意味、人間は、イメージの世界に生きていると思います。

2018年2月12日月曜日

「バレリーナの何気ないヨガのポーズが凄い」


上は、現ショナルバレエオブカナダのプリンシパルで元ボリショイ・バレエのプリマ、スヴェトラーナ・ルンキナさん。

インスタでもFBでもお互いにフォローしあっている方です。

この後屈、手で足をホールドしていなところが凄い。
普通、足を握っていないとここまで曲がらないはず。
柔軟性はもちろん、筋力が凄い。
彼女のインスタは、こんな凄いストレッチやヨガのポーズでいっぱい。

下は、ロイヤル・バレエのソリスト、オリビアさん。
彼女もバックステージでストレッチやヨガのポーズをやっている写真をインスタにアップしています。

彼女のこのポーズも、力の抜き方、
バランスの取り方が異次元。

お二人に共通しているのは、視線。
ヨガのようにどこか一点を凝視している視線ではなく、
おそらく、自分のポーズのイメージを想像している、焦点が定まっていない視線。

1980年代から、バレエファンで、いろんな講演を観に行っていますが、
バレエから学ぶところは多いです。

「蓮の花が咲く用にポーズしなさい。」
by
B.K.Sアイアンガー


2018年2月10日土曜日

「四股立ち肩入れ」

イチローが外野の守備につくときに、よくやっている。
ストレッチを発展させたものです。
四股立ち肩入れ。
正式の名前ではありませんが、私の知り合いの整体の先生がそう呼んでいました。

海外のアスリートがこれと全く同じストレッチをやっているのを見たことがあります。
このポーズは、股関節の柔軟と大腿四頭筋を鍛えることがひとつ。
肩と手首の柔軟を強化するのがもうひとつの目的です。

手首の柔軟、肩の柔軟は別々にやるより、
この写真のように、ある方向に撓ませて、同時に曲げた方が効果的だと思います。
この場合、左手と腕の位置を微妙に変えながら、違う部位を伸ばすようにしています。

ポイントは、腰(股関節)の位置が、なるべく膝の高さと同じかそれより低くなるようにすると、効果倍増です。

バランス感覚を鍛えるためにも効果的なポーズだと思います。


2018年2月8日木曜日

「ヨーガの優先順位」

人間は、物理的に生きていくために様々なことを行う必要があります。
その優先順位を生死に関わる順に見ると、

呼吸
食べること
身体を動かすこと

これらを行う人というものの存在があっての生きるという行為ですから

これらの行為には「人の存在」というものが大前提になります。
それがないと無なわけですから。

この人の存在は、「考える、思う」ということです。
肉体だけあっても、これがないと、肉体はただの肉体でそこにあるだけ。

人間はまず考えてから行動するからです。
人=「考える、思う」存在
「我思う故に我あり」と言います。

ですから、厳密に言うと

考える、思うこと
呼吸
食べること
身体を動かすこと

の順番になります。
これをヨーガに当てはめると

1)瞑想
2)プラナヤーマ
3)アーユルヴェーダに代表される食の知行
4)アーサナ

になります。

ヨーガの優先順位はこういうことになります。
これは真理だと思います。

これは、私が学んでいるオールドヨーガの世界では、当たり前に言われていたことですが、
最近ではアーサナが強調され過ぎている場合が多いです。

アーサナのアライメントでとても厳しかったBKSアイアンガー師も、
著書で、「ヨーガは瞑想である」。
とはっきり述べられています。

プラナヤーマについても一冊著書を出されているくらい重要視されています。私もその本を持っていて座右の書になっています。
そして、食についても、
厳格なベジタリアンで粗食に徹しておられた事は有名です。

一時的に、すこしくらい順番が入れ替わっても構わないと思いますが、

この順番を守らないと、バランスが崩れると思います。

2018年2月6日火曜日

「中村天風師」

自分のFBページから転載です。

私が最も尊敬するヨーガの師、中村天風師と、宇野千代さんの対談「天風先生座談」の文庫本版(宇野さんが天風師の話を記述するという形式で宇野さん自身のコメントは序文のみ)。

1990年頃、ちょうど講談社の女性誌の仕事をしていたころに、その女性誌で宇野千代さんの特集があった。亡くなる5年ほど前だったと思う。その特集ページの写真を時々撮っていた自分は、宇野さんを撮りたかったが、それはかなわなかった。

その特集は、宇野千代一代記といった内容で、素晴らしい出来だった。多分、宇野さんが雑誌に登場した最期の姿だったと思う。


この本の対談の相手、中村天風師は、宇野千代さんの命の恩人と言ってもよいようなヨーガの師。宇野さんは天風師の弟子である

実は、中村天風師の道場、天風会館は、講談社のすぐ近所(音羽、護国寺駅脇)にあって、天風師の本の多くは講談社から出ている。私が当時女性誌でお世話になった副編集長のNさんの先輩は中村天風師の著作出版の担当だったそうだ。
そして、この本の編集者Oさんは、私が当時お世話になっていた女性編集者Oさんの旦那さんである。

いろいろと、自分の回りにご縁がある本である。

宇野千代さんは、1897年生まれで1996年没。
中村天風師は、1876年生まれで1962年没。

宇野さんは、明治、大正、昭和、平成、
天風師は、慶応、明治、大正、昭和、

という4つの時代を生き、
宇野さんは、恋多き女流作家、きものデザイナーとして人生を駆け抜け、天風師は、陸軍諜報機関のスパイ、銀行家、ヨーガの実践哲学者として人生を全うされた。天風師はアメリカでも学び、欧州にも滞在経験を持たれている。

東郷平八郎、尾崎行雄、後藤新平、松下幸之助は、天風師の代表的な弟子である。

激動の4時代を生き抜いた、お二人の話が面白くないわけがない。読む度に、新たな気付きがあり、勇気づけられる。
昨日からまた読み始めたが、もう3度目くらい。
面白い!
説教じみてなく、お二人のキャラのせいか、おしゃれで、笑えて、そして、心の奥底に何かが確かに残る本である。

2018年2月4日日曜日

「言葉にしてみるということ」



よくアメリカのスーパーや、日本の外人向けのスーパーに張ってある短冊。

引っ越しでいらなくなったものを売りたい人や、英会話や音楽を教えたい人などが、売りたいものや、連絡先を短冊にしてあって、欲しい人は切り取ってメモとして持ち帰れるようになっています。

この写真は、それを人生哲学的に捩ったもの。
「どれでも必要なものを持ってって」
と書いてあり、下には、
愛、希望、信仰、忍耐〜健康、強さ、美しさ、自由
という短冊が下がっています。

これは、実に言葉の意味にこだわり、大事にする英語圏の人達が考える事だと思います。

実は、人生をどう生きるのか?
ということは、自分で、これらの中の幾つかを選択して、切り取って、持ち帰って、プライオリティ(優先順)を付けることで方向性が大きく決まります。

自分に当てはめてみると、ああ、これを最優先に持ってくるべきだったとか、はっとすることが多いです。

私は、
Healing > Hope > Peace > Passion
で生きてきたと思いますが、こうやって並べてみると面白い。


ちなみに、Peaceは、自分にとっては、Inner PeaceまたはPeace of Mind。
これは、自分が接してきたキリスト教や仏教+ヨーガの最終的な目的のひとつです。

自分の中が平和でないと、自分の回りは戦争状態と同じ。
中には、切り取って持ち帰らなかったものもありますが。笑

なんでも言葉にしてみるという作業はとても大事だと思います。人間は言葉によって思考し、思考は現実を作る。からです。

言葉にして考えていないと、多くの場合ただ流されるだけの人生になると思います。

2018年2月2日金曜日

「遊ぶは三昧」

倒立歩行・Handstand Walk from idehiroyuki on Vimeo.

毎回同じような映像になりますが、
たまたま無風の晴天だったので、海岸で逆転してきました。

天気が良いとは言え、気温は5度くらいだったので、
やはり、身体の動きが鈍いです。

3月頃になると、同じような気温でも、身体の動きは俄然良くなるので、
やはり、一年を通してのバイオリズムのようなものがあると思います。

この日は、気ままに重心移動を楽しむ。
みたいな練習というより遊びになりました。

最初の倒立の映像で、前進歩行では身体が反っていますが、バランスを崩して後退すると、身体がすっと垂直に伸びます。足が開いているのはバツですが、
このすっと伸びた状態が、倒立が一番安定してまっすぐに伸びている状態です。

倒立がマンネリ化すると、
こういう、前後にわざとバランスを崩して、バランスを取り戻す遊びをやっていますが、
この後退する時にすっと伸びたときの感覚を忘れないようにしておくと、倒立は安定してきます。

これは、私独自のバランス感覚トレーニング法ですが、
ヨガでも、あれこれトライして、自分なりのバランスキープ法を身につけると、いろんなアーサナの習得も早いと思います。

楽しみながら遊んでいると、あっという間に一時間くらい経ってしまいます。

これを三昧と言うのかも知れません。

私の場合、
楽しみながら、遊びでやる時の三昧の状態は、意識的に集中する練習より、はるかに効果があると思っています。