2015年10月2日金曜日


「自分が生きている世界」

オーストラリアの科学者グループが、人間が考えている現実の世界というものは、その人がそれを認識するまで存在しないということを科学的に証明しました。
自分には、その仮説まではわかるのですが、数式はチンプンカンプン。

皆が考えている「この世」という存在は、それぞれの人が、それを認知するまでは存在しません。
これは真理だと思います。皆があると信じている共通の世界というものは存在しません。
ですから私が死ねば、私はその世界を認知できなくなるので、この世の存在は永久に消滅してしまいます。それが「死」なのだと思います。

ですから、皆が考えている世界がその数だけ存在しているということです。
このことは、「皆が自分が考えているところの世界に生きている」ということです。

これに関しては、自分は今までの人生を見ても、間違いないと思っています。
このことは仏教やヨーガでいうところの「悟り」の論理的な説明にもなります。

自分は、60年の人生の重大事件として、余命宣告、離婚、破産、を経験しましたが、
そのときの自分の周りの世界と、現在の金銭的には困らず、生命の危険もない世界とは物理的には全く同じ世界ですが、全く違う見え方であり感じ方も違います。
あるときから、違う世界になってしまったわけです。
それは借金が無くなった時ではありません。ものの見方、考え方、捉え方が変わった瞬間からです。

昔と今の自分の違い、それは自分がその世界をどのように見ているのか?というだけの違いだというのがよく分かります。

これを演繹すると、自分が今、自分のことを幸せだ。と思えばすぐ幸せになれるということです。そして、過去未来という実態のない概念を無視すると、今幸せだと感じることができないと永久に幸せにはなれないということになります。

中村天風師がヨーガの修行中に悟りを開いたときがそうです。
「今生きているという、それだけで幸せだ」
と気がついたときが、悟りを開いた、つまり、自分が生きているだけで幸せだと気がついた瞬間彼は幸せになったのだと思います。
それが、師がそういう世界に生きることになったわけですから。

何十億という資産を持っていて、若くして不幸な人生を終えた人が私の周りにいます。
それは、その人が見る世界が不安と不満に満ちた世界だったので、そうなったのだと思います。周りの人からみればお金があって羨ましい世界に見えますが、
彼はそういう世界に生きていたのです。

しかし、この認識はいきなりはやってこないと思います。
哲学者のアランが、悲観主義は気分によるもので、楽観主義は意志によるものだ。と言いましたが、
自分が生きる世界が幸せに見えてくるには、意志の力による習慣化が必要なのだと思います。
誰でもほおっておけば悲観主義になります。

訓練で、手っ取り早く楽観主義を身につけるためには、やはり「笑い」でしょう。
ウソの笑いでも思いっきり笑えば、その効果は同じです。潜在意識は本当の笑いと区別せずに受け入れます。
多分、ラフターヨガ「笑うヨガ」というのはそこから来たのだと思います。

(c)photo (c)by Hiroyuki Ide

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