2016年10月4日火曜日

「人間は自分が感じる世界に生きている」

オーストラリアの物理学者グループが、
「人が、自分の回りの世界を観測(認識)するまでは、その世界は存在しない」
ということを物理的に証明したそうです。
例えば、皆が海や空、人間だと思っている実体は、実は雲のような状態にあり、それを感じて、観測認識して初めて海や空として存在するそうです。

以下

http://shinhomeo.com/blog/quantumexperimentconfirmsrealitydoesntexistuntilmeasured/2508.html

言い方を変えると、
「人は、自分が感じるところの世界に生きている」
「同じものを見ても、人によって感じ方が違うので、別のものに見えている」
ということだと思います。

このことは、仏陀の教えを科学的に証明したことにもなるので、
仏教は科学的だとも言えます。

昔から私は、例えば、同じ花でも、見る人によって全く違った花に見えている。
その人がそれを花だと認識しないと、それは花として存在しない。
と考えていました。
それは、いろんな画家の作品を見ても分かりますし、
花を見たこともない寒冷地に育った人が、初めて花を見たら、わたしたちが想像もできないものに見えていると思います。

例えば、「幸せ」というような、形の見えない概念的なものは、もっと顕著だと思います。自分が、今、自分のことを「幸せ」だと感じないと、幸せというものは存在しないし、幸せの数はその人の数だけあるからです。

そして、いかにお金があっても、回りに自分のことを思ってくれる人がいても
それを幸せなことだと思う人は幸せで、
自分のことを幸せだと思わないと、その人は不幸です。

ですから、いつも自分は幸せだと思っている人は、
自分のことを幸せだと認識する、心的態度、習慣があるから幸せなのだと思います。
実は幸せというものは、雲のような存在で、人がそれを幸だと感じる認識があれば、
それは「幸せ」として存在する。

ということでしょうか。

幸せ探し。とか、幸せになりたい。というのはナンセンスに近いと思います。
今、自分が自分のことを幸せに感じられないと、いつまでたっても幸せを感じるようにはなれないし、幸せにはなれないからです。

本当に幸せを感じる人はどんな逆境でも、自分は幸せだと感じています。

私が影響を受けたヨーガの大家、沖正弘師は、
ヨーガを続けていくうちに、
道を歩いていて、お天道様が自分を照らしてくれるだけで、ありがたいな〜。
道脇に郵便ポストが立っているのを見ても、ありがたいことだな〜。
という境地になったと語っておられました。
とにかく何を見てもありがたいな。嬉しいな。
という状態になったそうです。

これは天性のものではなく、後天的に経験や訓練で得た、心的態度によってそうなったのだと思います。

哲学者のアランが、
悲観主義というものは感情によるもので、楽観主義は心的態度である。
と言いましたが、

人間はほおっておけば、だれでも悲観主義に傾いていくそうです。
だから、悲観主義者の方が楽観主義より思慮深い、高等だというのはウソで、

悲観主義者には誰でもなれるということです。

逆に楽観主義であるための心的態度は訓練で習慣化されたものだと思います。
だから習慣化するまでの努力が必要。

それは、その人が人生経験で得たものや、信仰が可能にするものだと思いますが、
ヨーガもまさに、それだと思います。

私が今までに出会ったヨーガの先生たち、例外なく明るく、楽観的でした。
それは生来のものではないと思います。ヨーガの訓練で得たものだと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿