多分、私のブログを読んでいただいている方の世代より前のことだと思いますが、
日本が、高度成長期〜バブル期にあって、年功序列、終身雇用だった時期は、
誰もが、ただ、会社に努めていたら一生安泰だ。という幻想に取り憑かれていた時期です。
その頃に、宗教とか精神世界の話しをすると、友人でさえ、
宗教は洗脳だ。刷り込みだ。という人がほとんどで、そのような見方が理性的なことだと勘違いしている人ばかりでした。
ところが、バブルが弾けて、日本の経済が失速したままで、いつクビになるか分からない状況、大企業でさえ倒産や、合併吸収されるのが当たり前の時代になると、
それまで、上記のように、宗教や精神世界のことを見ていた人は特に自信をなくして、精神的に危機的状況になる人が増えてきました。
私の回りにも大勢います。
彼らは、一見、普通に働き生活していますが、何を信じて良いのか分からない。
生きている意味は何だろう?というような、自信喪失的状態になっています。
その中にはうつ状態になる人もあり、鬱が悪化すると自殺に至ります。
自殺者が増えたのは、そういう状況も影響しています。
しかし、
それは当たり前のことで、それまで自分の人生をこうしたい。ああしたい。
というビジョンなしで、自動的にベルトコンベアーに乗ったような状態で生きてきたのだから仕方ありません。
これまでの日本では、子供の頃にどういう人生を生きたいのか。
という基本的な対話や教育がなかったからです。
気づきがある人は、もう子供の頃からそのことを考えて生きています。
しかし、なぜ、バブル期頃までは、ほとんど皆元気だったのに元気がなくなり自信喪失したのか?
それは、皆がやっているように勉強して大学に行って、就職すれが、
仕事がずっとあって、順調に成長して、一生雇用される。
という幻想があったからです。
ここまでは、私が言わなくても、よく指摘されることです。
しかし、そのことを、具体的に言うと、自信があったのは、バブル期頃までは「お金の心配がなかったから」です。
つまり、自信をなくしたのは「お金の心配がある」からなのです。
ということは、自分が信じていたものは「お金」であり、お金を崇拝していたと言われても仕方ありません。
思想家の内田樹氏が、そのことに対し、
「お金を崇拝していたからだ」
と指摘されていますが、私もそう思います。
そのお金の心配が出てきたから、自信喪失する。不安になる。
崇拝の対象が疑わしくなった。
つまり、「お金の宗教」が信じられなくなったということと同じです。
宗教は洗脳だ、刷り込みだ。
と言っていた人たちも、実は信心深い、お金の崇拝者だったのです。
スピリチュアルブームをあれこれ言う人がいますが、
私にはとても良いことだと思っています。
中には問題ありのものもありますが、
やはりブームになるということは、皆がこれではいけないという
人間として当たり前のことに気がついたのだと思います。
そして、それを機会に、人生について自分について真剣に考える人が増えています。
私の世代や私以前の世代より、現在の若い方の方が、ずっとまともに人生のことを考えるようになったと思っています。
ここに恐ろしい数字があります。
日本の自殺者は、公式発表で過去最多で、年間3万人を超えましたが、
実は、日本には警視庁発表の数字で、不審死が、最近の数字では、年間平均、約十数万人あります。
不審死とは、他殺とも自殺とも断定できなかったものです。
もしくは、検死官の数が足りないために検死にいたらなかったものも含まれます。
この十数万の中の少なくとも半数は自殺者だということです。
しかし、検死されなかったり、自殺かどうかわからないので、自殺者としてはカウントされません。
ちなみに、日本の検視官の数では、年間、三万件しか、検死できないそうです。
日本の自殺者の実数は、年間十万人を超える数字になることは間違いないと思います。
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