2016年12月15日木曜日

「マインドフルネスは諸刃の刃?」

私がヨーガを始めて約10年後に、
あるヨーガの先生から、「ヨーガには深入りしないほうが良い」。
とアドバイスを受けました。

今から約30年ほど前の話しです。

その方はお父様もヨーガの先生で、生まれてからずっとヨーガに囲まれた生活をされていた方です。

それはなぜかというと、特に私のようなクリエイティブ系の仕事に携わっている人間には、いわゆるマインドフルネスは、創造性を無くする大きな原因になるからです。
クリエイティブの本質は、執着、独断、偏見が混ざったどろどろしたものです。

マインドフルネスを簡単に説明すると、

以下引用
「仏教の教えに根ざしたもので、悟りを開くために大変重要なものだと考えられています。」
引用ここまで

悟りというのは、最後には全てを放棄して解脱するものです。
それは、現実的には、資本主義の現在の社会生活を離脱していくものだからです。

考え方、思想というものは、どんなに、活用しようとしても、その成り立ちからは逃れられません。現実生活に上手く活用しようとしても、必ず、その成り立ちそのものの影響を受けるからです。

そのような影響を受けて、山間や僻地に移り住んだりして、
世捨て人同然になったヨギを数多く知っています。
ただ、彼らの名誉のために言うと、彼ら、彼女らは、それで幸せになったと思います。

ちょうどその頃、NHKの番組で、有名な陶芸家が「禅」について語っていました。
「座禅を組んで瞑想するようになってから、陶芸ができなくなった」。
結局、それは執着心やこだわりが無くなったからだと、結論づけられていました。

ですから、私はそのアドバイスを受けたときから、
瞑想というよりは、黙想に近い訓練をするようになりました。

黙想は調息とセットで行います。
激しい運動の後に、高ぶった気持ちや、身体を鎮めるものです。
これが、私と瞑想との現実的な妥協でした。
というより、瞑想とは別物ですね。

以下引用
MITマインドフルネスセンター所長を務めるジョン・カバットジン博士は、マインドフルネスについて、「今という瞬間に、余計な判断を加えず、(中略)自分の人生がかかっているかのように真剣に、意識して注意を向けること」と定義しています。
引用ここまで

私は、この定義は素晴らしいことだと思いますが、
問題は時間軸です。

○今という瞬間、
○余計な判断を加えない、
○自分の人生がかかっているかのように、

これらの本当の意味が認識できるようになるためには、
ある程度の時間とそれに伴う「経験」が必要です。

それらを経験して、しっかりと認識した状態であると、
このマインドフルネスは有効だと思いますが、
お手軽にマニュアル化すると、
「分かったつもり」の人を量産する結果になると思います。

またまた、情報難民が増えることになると思います。

ある思想なり、考え方、または、訓練方法、または、治療方法などが
効果的なのか?危険な側面がないのか?
それらを客観的に判断するには、20年の年月が必要だと言われています。

例えば、正しく行えば、ヴィンヤサヨガは危険ではない、ケガは少ないと言われますが、
まだ、ヴィンヤサを始めて長い人で30年クラスがちらほら、
20年クラスも少ない状況では、ケガや故障が少ないとは言えないと思います。
統計する対象があまりに少ないからです。

致命的な損傷は、時に10年、20年の蓄積で出てくることがあるからです。

私がシールシャーサナを長い時間やらないのは、それを10年以上続けているベテランで、頚椎に損傷が出来てきた人が報告されているからです。もしかしたら、平気な人もいるかも知れませんが、私にはピンとくることがあって、長くて3分しかやりません。

もともと悟り、解脱を目指すために仏陀が考えだした瞑想法を、安易に資本主義社会生活に応用するのは、私としては、クエスチョンマークです。

もし、ビジネスに活かしたいのであれば、「成功法則」の古典を読んで実行するほうが、はるかに効果的だと思います。

私見ですが、マインドフルネスは一時の流行で終わると思っています。

0 件のコメント:

コメントを投稿