2016年12月5日月曜日

「経験と認識と」

原理原則にこだわり過ぎることを、原理主義と云います。

原理主義者と言うと、過激派とも同義語に扱われるほど、
ひとつ間違えると危険な考え方、信じ方です。

誰でも、書物を読んで感動したり、人に感化されたり、特定の宗教の信者になると、
まず、軽い原理主義者になると思います。

そこに書いてあることや、勉強したことを杓子定規に捉えて、
そこから、少しでも逸脱すると間違いである。おかしいと非難したりする事があるからです。

見方を変えると、宗教や思想の場合、
聖典を読み、指導者の言うことを理解できたり、と、ある程度教育レベルが高い人に多いと言えます。

イタリア人のほとんどがなんでカトリックなのか?
というと、幼児洗礼を受けているからです。
極端に言えばイタリアに生まれたからカトリックなのです。
なんであなたは日本人なのか?
それは日本に生まれたから。
というのと同じです。

そういうネイティブのひとたちは、子供のころから、神の教えが文化としてある場所で育つので、
宗教の本音と建前、妥協の仕方などを、無意識に学んで生きます。
だから、スペインやイタリア、アルゼンチンのような、信仰はあるが、ゆるい国が出来上がっていきます。

しかし、多くのプロテスタントの国は、
主に、成人してから、聖書の事が理解できるようになって
初めてクリスチャンとして認められます。
ですから、あくまで、聖書主義です。

カトリックは聖書主義ではありません。
もともと聖書を家で読んで、勝手に解釈することを禁じていたくらいです。

そうすると、プロテスタントでは、聖書主義の原理主義者に近い信者が増えてきます。
“聖書を言葉だけで理解しようとする”ひとたちです。
もちろん、そうでない人もいますが、成人期以降に入信した人はそういう傾向があります。

アメリカのバイブルベルト地域に住む人にそういう人が多く、
信じられないくらい原理主義者が多いです。

そうすると、自分や他人のやったことが、聖書に反しているのかそうでないのか、
神の意志に反するのではないのか?
そういうことばかり考えて自分を不幸にして、外に対しては先鋭化していきます。

日本のカトリック信者にもそういう人が多いです。

私が今まで見聞きしたなかで、最も幼少期から宗教の教育を受けているのは、チベットの仏教徒の子どもたちと、ユダヤ教の子どもたちです。モスリムもそうだと思いますが、私はモスリムに関する知識がほとんどありません。

チベットの子たちは、とにかくマントラを歌わされ、
ユダヤ教の子どもたちは、意味もわからないのに、タルムートを暗唱させられます。

ニューヨークにいたころ、ユダヤ教のラビ(司祭のような存在)から聞いた話ですが、
その子どもたちは、しばらくすると、空覚えしたそのタルムートに書かれている箴言のことなんか、忘れてしまうそうですが、
人生の危機に遭遇したときに、それが、見事に蘇って、危機を乗り切ることが多いそうです。

意味も分からずに覚えたことが、実生活の中で本物の認識として蘇り役にたつわけです。
このときに初めて、”教えがほんものの認識として定着した”のだと思います。

ヨーガ哲学もそうです。そして、日本では、格言、箴言として昔から様々な人生の知恵が伝えられてきた歴史がありますが、
私が中学生になる頃、高度成長期ですが、その頃には、無くなってきたと感じました。

何かを学んだら、信じたら、しばらく、それは、ほおっておいた方が良いと私は思います。
それが、後々あなたを救うことになる言葉だったら、
それは必ず脳のどこかに保存されていますから。

そして、何かがあったときや、岐路に立った時に、反射的に蘇ってきて、
それを元に乗り切れたときに、初めて”ほんものの認識”になると思います。
言い方を変えると、反射的に蘇る言葉や知識、それらが本物なのだと思います。

ちなみに、私を一番救ってくれたのは、ユダヤ教のPass Overという言葉です。通り過ぎる。という意味で、宗教行事の名前にもなっています。

悪魔が家の外を通り過ぎているのを、家の中で息を潜めて耐えているユダヤの民の話しです。

一般的には、「災難や艱難が訪れた時、無駄に騒がず、ひたすら静かに耐えなさい。悪魔がとおりすぎるまで息を潜めて静かにしていなさい。」

という箴言で、私が50歳を過ぎた頃に波状的に押し寄せてきた危機に冷静に対応できて乗り切れたのは、このPassOverのおかげです。

しかし、破産同然になったときに、家の玄関の外に債権者がきた時には、
債権者には失礼ですが、今、そとに悪魔がいる。通り過ぎるまで静かにしていよう。
と冷静に居留守を使うことができました。笑。

悪魔はいつまでもいない。いつか通り過ぎる。
そう信じていると、不思議と未来にたいする希望が持てました。

そのすこし後に、もうひとつ、最大級の危機が訪れましたが、
それを越したときに、初めてこの言葉の意味を芯から理解できたと思いました。

感動して、頭にすっと入ってくるような言葉は、大体、すぐ出ていきます。
Easy come easy out.(簡単に入ってくるものは簡単に出ていく)
ということわざもあります。

私は、本当に残る言葉は、謎めいていて、しかし、どこか気になる。
という言葉が多いと思います。

急に心が軽く楽になるような気持ちのよい言葉は、
大体次の日には、消滅しています。笑。

恐らく、潜在意識レベルでそれを感知して選別しているのかもしれません。

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