2016年11月28日月曜日

「どん底にいる人の思いやり」

ちょっと長いです。しかし、ちょっと暖かくなる話です。
自分の心がささくれ立って来た時に思い出す話です。
お時間のある方読んでいただけたら幸いです。

ニューヨークで仕事をしていた頃、約30年前の話です。

今もそうですが、当時も、私は飲んべえ。
おまけにアメリカのビールの値段は清涼飲料水並み。
その結果、部屋の中にはビールの空き缶が山のように積み重なっていました。

ある日、近くのスーパーで、空き缶を買い取ってくれるという噂を聞き、
缶を詰め込んだ巨大な袋を担いで出かけました。
まるでサンタクロースの風体です。

当時のNYはホームレス全盛の時代で、
すさまじい数のホームレスがあちこちに食べ物を求めてたむろしていました。
当然、スーパーの空き缶回収の窓口は、拾った空き缶を現金化するためにホームレスでいっぱいで、私もその列に並ぶことになりました。

当時はぶっそうで、
金があるように見えると襲われやすいということで、
私もほとんどホームレスと変わらないような身なりでした。

私の順番が来て、カンを持ち込むと、500mlカンは買い取らないと言います。

私のカンはすべて500ml。

どうしたものかと途方にくれていると、
真後ろに並んでいた、よぼよぼの小柄な老人(黒人)のホームレスが、

「俺なら知ってるゼ」と得意顔。

聞けば、ここから歩いて30分ほどのスーパーで買い取ってくれると言います。
巨大な袋を担いで、30分も歩くことを考えたら、もうどうでもよくなり、
その老人に、「これ、全部あげるよ」と袋を渡しました。

彼は信じられないといった表情になり、
「オー、ジーザス!!本当にくれるのか?
ありがとう。あなたはなんて素晴らしい人だ!」
とこちらが戸惑ってしまうような感謝の笑顔。

私は受け取ってくれることにほっとして、「いいんだよ。礼には及ばないよ」と一言。

その場を立ち去ろうとすると、彼は袖を引っ張って私を引き留めました。

「どうしたの?」と怪訝な顔をすると。

「おまえ、きょうの生活はどうするんだ、今日、食事にありつけるのか」
と心配顔で尋ねてきます。

最初は何言ってんだ。と真意をとりかねましたが、
どうやら、私のことをホームレスだと思い、
その日の生活を親身に心配してくれていたのでした。

私はしばらく、幸せいっぱいの表情のその老人をだまって眺めていました。
そして、身体の中が暖かくなっていくのを感じました。

もう今年の冬を越せるのか分からないようなよぼよぼの老人が、
他人の、それも得体の知れない東洋人の心配までしてくれることに感動しました。

資本主義世界の繁栄の中で、見放され、虐げられ、どん底の中にいる老人が、他人の生活を心配してくれるという余裕に驚きました。

すさんだNYの生活の中で心の中に何か暖かいものが生まれたような気がしました。
その老人は恐らく厳しい冬を越せなかったと思います。
寒波が来ると多くのホームレスが凍死していた時代です。

しかし、彼のその思いやりは、30年経った今でも私の心の中に暖かく残っています。
きっと彼の中には、ジーザスが住んでいたのだと思います。

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