2015年12月14日月曜日

「インド古来のヨーガ」
と現在、発展しているハタ・ヨーガをはじめとするヨーガ(アシュタンガ・ヨーガやクンダリーニヨーガなど)は、ほとんど繋がりがないと、私がヨーガを始めてから、何度か先達から聞いたことがあります。

一番良く聞くのは、インドが大英帝国植民地時代に、ヨーロッパのスウェーデン体操などがYMCAや伝道師によってインドに持ち込まれ、それがインドの格闘技と結びついて、近代ヨーガができあがったというものです。

ですから、クリシュナマチャリアやパタビ・ジョイス、アイアンガーのヨーガは、インド古来のものではなく、繋がりも薄いということになります。
アジア欧州折衷の、新しい文化だとも言えます。

私もそう思います。アイアンガー師は、インド陸軍でマーシャルアーツ(軍隊の格闘技)を教えていましたし、アイアンガー師のロング・インタビューを聞いても、古典ヨーガの話は出てきません。

私は、大学で歴史や宗教学を勉強していて、歴史には興味がありますが、どうしてもヒンズー教と近代ヨーガの繋がりが希薄で、不自然なものだと感じてきました。

ですから、本来の意味における本当のヨーガの姿は、「ヨーガ・スートラ」に代表される教えにあると思っています。
そして、その「ヨーガ・スートラ」の古典的ヨーガとアシュタンガヨーガ等を含むハタ・ヨーガとは関係が希薄だと思っています。

近代ヨーガは、良い意味で宗教色が薄く、私は、敢えて、精神的なものをヨーガには求めてきませんでしたし、今も求めていません。

それは宗教の役目だからです。特に自分は洗礼を受けていますし、仏教にも帰依しているので、精神的な拠り所はキリストであり仏陀です。そして、その信仰生活において、ヨーガは役に立っている。という感じでしょうか。

インドのサデュたちが、ヒンズー教の修行で行っている生活の中のヨーガが、本来のヨーガなのだと思っています。宗教の修行の過程において、実践されるのが古典ヨーガだと思っています。サデュたちは、ヒンズー教徒であり、ヨーガ教徒ではありません。そこが大事だと思います。

ヨギだった麻原彰晃がチベット仏教へと移り、最後は自分でオウム真理教を創設したというのは、近代ヨーガが、精神的な拠り所には成り得なかった。手段であった。ということのひとつの証明だと思います。


wikiにこうあります。
現在のアーサナと、『ヨーガ・スートラ』に代表される伝統的な古典ヨーガや中世以降発展した(本来の)ハタ・ヨーガとのつながりは極めて弱いと指摘している[6]。

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