2015年12月4日金曜日

「神に祈る?」

ダライ・ラマ猊下が、パリのテロ事件を受けて、
「神に祈っても平和は来ない、平和をもたらすのは人間だ」
という発言をされて話題になりました。

私はそのとき、全然意外な感じは受けず、
ああ、やはり、仏教は、とても科学的、現実的な宗教なのだと思いました。

神は外にはいない。
カトリック教徒として人生のほとんどを過ごしてきて、
キリスト教と仏教の信仰の中で生きてきた自分なりの結論です。

神は自分の中にしかいないと思います。
あるときは悪魔の方が支配的なこともある。
ルシファーもマーラも自分の心の中にいる。

お釈迦様がマーラの誘惑を受けられたのは、
自分の心との葛藤。

新約聖書、天使と、地獄の天使の争いの寓話もそうです。
自分の心の中の葛藤。

キリスト教の最終的な目的は?
と、修道院でボランティアをやっていた頃に
修道士や司祭に聞くと、返ってきた答えはひとつ、それは、
「心の平安」。
でした。

仏教もそうです。

そのために何をするのか、それが「祈り」だと思います。

ですから、仏教も、キリスト教も、本来、祈りは内に向かっています。
祈りで自分が平和になる。
そういう人が増えれば世の中は平和になる。

祈りが外に向かうと、返ってくるのは、不満と絶望だけだと思います。
宗教やヒーラーを転々としているひとたちは、意識が外にしか向かっていません。

ヨーガ行者から似非チベット仏教徒へと転身し、最後にはテロリストに成り果てた麻原彰晃を見るとそう思います。
信じられないことですが、麻原彰晃はオウム真理教を作るまでは、相当優秀なヨギだと評価されていました。
日本を代表するヨギの一人だったのです。

それは、祈りが欲望へと変容して、外に向かった結果だと思っています。

余談ですが、1990年代、オウム真理教事件の頃、私はヨーガをやっているとは言えませんでした。
イコール、オウム真理教だと思われたからです。
マントラも、こっそりと小さな声で唱えていました。

その頃からヨーガの先生をやってらした方と出会うと、
いつも、その苦労話に花が咲きます。


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