2015年12月5日土曜日

「サンマルコの思い出」
ヨーロッパはテロ事件の余波で宗教施設の警備は特に厳しいようです。
その様子を見て、1994年の事を思い出しました。
その頃の日記です。

1994年。ちょうど、ボスニアで紛争があっているころに、戦地の対岸に位置するベネチアに仕事で行ったことがある。街には至る所に警官が配置されていた。 

遅い午後、骨董屋で撮影を終えると、英語の達者な親父と骨董の話になった。
その日、夕方はフリーなので私はサンマルコ寺院のミサにでかけてみたいと思っていたが、大聖堂は工事中で、どこでミサが行われているので知りたかった。

そこで、親父さんに、聞いてみたら、小聖堂で夕べのミサがあると言う。
その小聖堂はサンマルコの裏手近くにあって、詳しく聞かないと分からないようなところだった。おまけに地下にあった。

ミサはとっくにスタートしているようで、人影は見えず
ロウソクの炎だけのエントランス付近は真っ暗だった。
ミサに行くことだけしか考えていなかった私は、
入り口付近の暗がりにいる警官に全く気が付かなかった。

その警官は、私を遮った。
彼は自動小銃を抱えていた。
反射的に、自分の口からは、
「ミサに来ました」(I’m here for Mass.)
という言葉が出た。

すると、彼の緊張した顔が微笑みに変わり、優しく聖堂へと案内してくれた。
中は真っ暗で、ロウソク数本だけの灯りだった。

ミサ曲の音階は、通常のオクターブではなく、
イオニア形式かドーリア形式のモードだった。
おそらく、ギリシア正教か、ビザンチンの様式なのだろう。
ここがベネチアだとは信じられない音空間だった。

暗さに眼が慣れてくると、人々の表情が次第に分かるようになった。
お年寄りが多かった。やはりイタリアでもミサに行く若い人は少なくなっているようだ。
ミサの最後には、Smile Exchangeと言って、周りにいる見ず知らずの人たちと微笑みの交換をすることになっている。ここでも最後に微笑みの交換をした。

私のとなりにいた、シワだらけの小柄なおばあちゃんは不思議そうに私を見た。
おそらく、この場所で東洋人を見たのは初めてだったのだろう。
そのおばあちゃんは、次の瞬間、優しく微笑むと、私をハグした。

その晩、昼間撮影した、名リストランテ、マルティーニでディナーを楽しんだ。
店長が招待してくれたのだ。
料理はいまいちだったが、ワインが美味かった。

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