2017年10月8日日曜日

「やはり瞑想はヨーガの原点」


自分が最初に瞑想に近いものに出会ったのが小学校四年生の頃です。
それは、柔道の乱取りが終わったあとに、行う黙想。
そこでは、道着を正して、正座して、目を閉じて呼吸を整えるというものでしたが、乱取りで高ぶった気持ちや乱れた呼吸が1分くらいの黙想で静まって、体力まで回復したようになったことを記憶しています。

カラテでは黙想とは別に、組手がひとしきり終わると、立ったまま、「息吹き」という呼吸法を行いました。
これは、腕を大きく引いて、胸郭を開く本格的なもので、
完全なウジャイ呼吸法でした。

恐らく、元をたどるとヨーガから来たものではないのか?
と思うくらい、優れたものでした。

その後も、ヨガの後や、格闘技やスポーツの後に、瞑想を行うようにしていましたが、どちらかというと、高ぶった気持ちを落ち着かせるもの。という性格だったように思います。

ここ10年くらいは、朝、軽い前屈後屈ネジリ系の目覚めのアーサナを行った後に、その日によって5分〜10分の瞑想を行っていましたが、ルーティーンになりきって、マンネリ化していました。

しかし、今年になってからは、思う所あって、朝、夜、必ず20分の瞑想を行うようにしました。
何かをやろうと決めた時は、そのための時間は作るものであって、
他のことにかまけて、できない。
というのは言い訳にすぎないと経験で分かっています。

瞑想をやる時間がない。気が進まない。
と思う日は、その日一日、心に余裕がなく、きまって精神状態がとげとげしくなっています。

とにかくやる。
という風にしていたら、やはり一ヶ月くらい経ったころから日常化して、食事をするように、瞑想の時間に自然に入れるようになりました。

瞑想に入ると、最初、頭に沸いてくる雑念は沸いてくるに任せています。
すると雑念で頭の中がいっぱいになり、頭の中が混沌の小宇宙になり、やがて、脳の眼が見ている宇宙空間が暗闇になっていき、そこに青色の発光体が見えるようになります。

これが、私の瞑想中の脳が見る幻覚です。

この幻覚こそが、瞑想の定義である「脳波がα波とθ波の境界にある状態」で、夢か現かという瞑想の状態です。

おそらく、ヨギによって、その状態は違うと思います。
最近、数十年ヨーガを続けている先生と話をしましたが、青い発光体が見える。という経験は同じで
私は驚きましたが、先生は、長年ヨーガをやっている仲間は「みんなそれを見るんですよ」。
とおっしゃっていました。

脳は、夢を見るように、瞑想中に幻覚を見ます。
それは、とても興味があることですが、夢を思い出せないように、その幻覚も夢うつつで脳が見ていることであり、
夢が溜め込んだストレスの発散であるのと同様、幻覚も、それに近いものだと感じています。

ですから、瞑想の後の心の落ち着きは、瞑想をやらないときの自分とは別物になっています。

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