2017年10月6日金曜日

「赦すけど忘れない。は赦さないということ。」

日系イギリス人、カズオ・イシグロ氏が、ノーベル文学賞を受賞しました。

氏は小説のみならず、エッセイや論評も執筆していて、大勢の無防備な一般市民が虐殺されたボスニア紛争(1994年〜)についても、印象深い論評を残しています。

「ボスニアで起きたのはまさにそのようなことでした。埋められた記憶が、意図をもって掘り起こされてしまったのです。おそらくどんな社会にとっても、何を記憶し、何を忘れ去ってしまうべきかを決定することはとても大きな問題です。そして扱うのがとても難しい問題です。」

この中の、「何を記憶し、何を忘れ去ってしまうべきか」。
これは、永遠のテーマだと思っています。

よく、許すけど忘れない。

と言う言葉を聞きますが、忘れない。ということは、許さない。と同義語だと私は思っています。

これは潜在意識について精神科医の著作を読んでいたときに知ったのですが、人間の潜在意識は、忘れない限り、許すということはできないそうです。だから、許すには、忘れるということが必要な訳です。

そこのところをイシグロ氏も「何を記憶し、何を忘れ去ってしまうべきか」と表現しています。

実際、人間の脳は、見た、聞いた、全てのことを記憶しているそうです。思い出せないのはただ単に、脳の記憶庫から取り出せないということ。だから、本当に忘れるということはできないことになりますが、
忘れている時間を長くする。忘れたと思い込ませることはできます。そのための諺も昔から残っています。
ユダヤ教とキリスト教には以下のような諺が残っています。

“Let God Fight Your Battles”.(仇討ちは神様に任せろ)

"If you do not forgive others their sins, your Father will not forgive you your sins."
(あなたが他人の罪を許すことができないなら、神様もあなたの罪を許されない)
日本にも、
「人を呪わば穴ふたつ」
(人を呪っていたら、自分用の墓の穴も用意しろ)
諺がずっと伝えられているだけに、それだけ難しいテーマではあるのですが、
許さないでいると、自分の中に傷を抱えているようなもので、それが、いずれ破滅に繋がる。
ということだけは確実だと思います。

上記のボスニア紛争で、家族全員を目の前で虐殺されたイスラム教徒のおばあちゃんが、インタビューで、
「家族を殺した敵を、私は憎みません。許します。許さないで憎んでいたら、私は生きていけない」。
と静かに語っていましたが、それは真理だと私は考えています。
あまりに怖かったり、つらい経験は身体の防衛本能で記憶を閉ざしてしまうそうですが、そのおばあちゃんもきっと、そうやって記憶を閉ざしてしまうことで、忘れ去り、それが許すことに繋がっていくと思っています。

ノーベル文学賞は、人間の根源的普遍的な価値観や考え方を提示し続けた人に与えられます。

カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞はとても意味のあることだと思います。










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