2017年10月23日月曜日

「答えがないのが当たり前」

答えが分からないと不安になる人は、「考えることができない人」だと思います。
何事にも「答え」は一つではない。いくつか答えがある。
という、本来人間にとって自然な考え方は、
「神」という存在があって初めて出てくるものだと思います。

ある宗教を信じているのか、無神論者かは、関係なく、
「神」という存在は、良く分からないが天体や地球の運行を支配しているもの。
と置き換えても良いと思います。
それだったら、無神論者でも納得できると思います。

現在の社会は、イギリスの産業革命を初まりとした、
人類史上、ほんの瞬きのような特殊な時期です。
その特異な時期の、社会やそれをとりまく経済、文化、などの決まり事だけを前提として物事を考えると、それは、答えは出てこないのが当然です。
もし、単刀直入に答えを与える人がいたら、そのような人は信じない方が良いでしょう。

しかし、人間はなんとか答えを求めたがる。
そこから、自分なりの答えを感じて、考えて、言葉にする。

こういう作業って大事だと思います。
ヨーガは、そういうことを一番教えてくれると思います。

ヨーガには、即答を与えてくれるような聖典はありません。

ヨーガ・スートラだと言う人がいるかもしれませんが、
ヨーガ・スートラはリグ・ヴェーダを編纂して書き換えただけにすぎません。

パタンジャリも20世紀まで無名でした。
それを有名にしたのは欧米人です。

リグ・ヴェーダの世界は宇宙です。
知れば知る程分からなくなる。
インド哲学を分かろうとして、気が触れた人が周りにいます。

その「分らないこと」が当たり前の世界に生きている。

そのことを教えてくれたのがヨーガだと思っています。


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