2017年10月13日金曜日

「自分の持病の話」



ちょっと精神医学的な話です。

1980年代にアメリカで、知り合いになった精神科医から、
簡単なテストと問診の後に「アスペルガー症候群に間違いないだろう」と、診断された自分にとっては、
このリンクの記事、

「アスペルガー症候群・自閉症の特徴は?」

は、部分的には納得でき、釈然としない部分もある解説だが、アスペルガーと自閉症を、自閉スペクトラム症と統合するのはなんとなく賛成である。

自分にも軽度の自閉症的傾向があるからだ。

そうすると、今、自分はここに居るんだ。
という立ち位置が分かったようで、少しは、安心する。

こういう分類に関する考え方や病状のネーミングは、
「あの人は精神がおかしい」とか
「協調性がない欠陥人間だとか」
「空気が読めない」
「コミュニケーション能力に欠ける」
とか意味不明の差別に対して、はっきりと、これは病気の症状である。
と理解してもらうことには意味があると思う。

ただ、これらの病気は、様々な症状が入り組んでいる場合が多く、なかなか病状の説明はむつかしい。

だから、スペクトラムというネーミングがされているわけだと思う。
スペクトラムとは、多様な観念・物などが織り成す広範な連続体;範囲,領域。
はっきりとした判断、診断ができない世界だ。

こういうことは日本人、特に、常に答を求める今の日本人が最も苦手としているところなので、未だに自分は人を避けてしまう。4名以上の集まりには出ないし、もう長い間友人を作っていないのもそうだ。

勝手に人格や気質を想像して期待され、大きく裏切られたと言われることの連続だったからだ。

自閉症的な傾向もある自分だが、
たまに、月に一~二度、気の合った知人と会って呑んだりするのは平気だ。

自分の仕事は人物撮影、撮影は長くて30分で終わるので、
その間は職人として、どんな笑顔も出せるし、大抵の話題には対応できる。

自分にとって、人と出会える貴重な時間なので、コミュニケーションも密になり、結構充実した時間が過ごせる。

そういうことを言うと、あなたはアスペルガー・自閉症じゃないよ。
という人もいるが、そこが、まさにスペクトラムという概念が意味するところ。
自分でも想像できないくらい、様々な症状の「広範な連続体」なのだ。

しかし、インスタやFBなどのSNSには救われている。
やはり、人間は表現する存在であり、自分を主張する存在だからだ。
自分のフィードだから、基本的に自分の意見。
マナーとしては、議論はしない。ということになっているから、一方通行であれ、ありがたい。
いつも、私のFBや、ブログを読んでくださる方々には感謝感謝です。


5 件のコメント:

  1. こんにちは。前にも投稿させていただいたことがございます、MDRといいます。私もちょっとした障害を私も持っていて、偏向的な性格なのでリアル社会とうまく折り合いをつけるのがつらいときもあるのですが、ヨガに出会って、ヨガスートラを読んで、そしてこのブログに励まされて日々ヨガやランニングの練習に励んでいるサラリーマンです。以前瞑想をされていると書かれていましたが、瞑想も種類がたくさんあり、どの方法を試されているでしょうか?私は、Googleの社員の10人に1人が使用しているというHeadspaceというアプリを使用していますが、誘導があり、それに従うという感じで、なんとなく瞑想とういう感じじゃないなと思っています。綿本彰氏とか、バンデ・H・グナラタナ氏の書籍も試してみましたが、時間がないので、HeadSpaceで済ませてしまっているという感じです。もしよろしければご教示願います。

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    1. MDR様
      コメントどうもありがとうございます。私の瞑想は、チベット仏教の瞑想法を取り入れたものです。現在一般化された瞑想法とは違い、主に、マントラやスートラを瞑想中にずっと唱える方法です。アメリカナイズされた現在のヨガが日本で流行るずっと前には、ヨガは宗教法人であったことが多く、先生によっては、ヨガの初めに漢文やサンスクリット語の般若心経を唱えたりしていました。私はその延長です。マントラはチベットの6つのマントラとVajrasattva Mantraが主で、ダライ・ラマ猊下もよく唱えておられます。
      もちろん、沈黙の瞑想も行いますが、例えばアシュタンガヨガは動く瞑想と言われ、アーサナに集中しているときは脳は瞑想状態になっています。極端な例でいうと、私が以前やっていたマラソンもそうです。20km以上になると、頭がハイになって瞑想状態になります。ですから瞑想とは脳波の状態であり、やり方は無限にあると思います。

      アーサナでは、頭立、シールシャーサナは、3分5分と続けると、一番即効的な瞑想状態に入れます。シールシャーサナを瞑想として活用されている方も昔から多いです。
      私も、周りが騒々しい場所では、シールシャーサナによる瞑想を5分〜10分ほどやることもあります。

      私は主に上記のような瞑想を行っています。これらは、どこかにハウツーがあるものではなく、決まった名前もありません。密教的に伝えられ、私も、いろんな方から伝え聞いて実践しているものです。ヨーガとは本来、そういうものでテキストとか瞑想の名前が存在するものではないと思います。このような密教的な本来の歴史のあるヨーガを伝える先生が最近少なくなってきました。

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  2. 井手様
    ご教示ありがとうございました。私は通勤時間が片道2時間と、平日はあまり時間的に余裕のない生活を送っているのですが、帰宅したらすぐにトレーニングウェアに着替えて、シールシアーサナを3分ほど行います。あれは瞑想なのですね。もう少し長めにやってみることも考えてみます。今通っているヨガのクラスの先生はアシュタンガヨガは動く瞑想だと教えてくださっています。ランニングでもランナーズハイを経験し、アシュタンガヨガでもハイになったことがあります。本来の歴史あるヨーガに触れるのは、今の日本では文献が足りませんし、サラリーマンでは時間が限られますので、そこまで到達できるかどうかわかりませんが、私なりに井手様のご回答をもとに模索してみたいと思います。因みに我が家は創価学会ではない土着の日蓮宗なのですが、題目を唱えることが瞑想だと住職がおっしゃっていました。これからまだリサーチして勉強することがたくさんありそうでわくわくします。ご回答ありがとうございました。

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    1. おっしゃるように、瞑想はいろんな形で深められるものだと思います。何より大事なのは、そこで、感じた何か。だと思います。それを積み重ねていくと、自分なりの瞑想が形作られ、よい影響を与えてくれると思います。マイペースで楽しみながら、三昧の境地を目指してください。

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  3. ありがとうございます。楽しみながら積み重ねていきたいと思います。

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