2018年2月21日水曜日

「人間の寿命について」



上記のリンク先の記事を見てすごく納得しました。


日本人の平均寿命。

1947(昭和22)年 男性 50.06歳、女性 53.96歳。
1970(昭和45)年 男性 69.31歳、女性 74.66歳。

私は、1954年生まれだから、
私が生まれた頃は、大体男性の平均寿命は、この数字から推測するに、
50歳代後半。
父と従兄弟を見渡すと、父のみ80歳。
従兄弟たちは、ほぼ50歳までで亡くなったと、生前父が言っていました。

その頃には、現在のような親の介護で仕事をやめるとか、
介護疲れみたいな「悲劇」は、新聞でも見られなかったし、
もちろん、自分の周りでも聞いたことがありませんでした。

この記事に興味あることが書いてあります。

「人間には親をみるというDNAがないからよ。あらゆる生命体には子の面倒はみても、親の老後をみるという遺伝子がプログラミングされてない。日本人はちょっと前まで、末子が15歳になるかならないかくらいで、みんな死んでいたのよ。親の用事をやってあげようかって思っても、その親は自らが用事を果たせなくなった段階で全員が死んでいったってこと。子どもがやる必要もなかったのよね」

私もこれは当たっていると思います。

かつては日本全国には姥捨て山が存在したし、
イヌイットの世界では、平均寿命を大きく超えてコミュニティの負担になった高齢者は、
ある日、悟ったように、氷原に出かけていったそうです。

そして、生きたままか、凍死して、シロクマのエサになる。
シロクマは厳寒の冬は座礁したクジラや、この老人たちの遺体を食べて生き延びる。
大自然の循環の一部に身を捧げるという行為にも通じるのか。
とこの話を聞いたときには感心しました。

そうやって、短い寿命で人生を終えるか、
不幸にして高齢に達した老人たちは、
上記のような方法で、高齢者は、若い世代の負担にならないようにしていたわけです。

それが、ここ数十年で大きく変化。たった数十年で、それまで何千年も変わらなかった変化が訪れたわけです。

それだけの変化に、老後の事を何とかしろ、と国に言っても、それには限界があると思うし、
一番の原因は、長寿になったこと。これにつきると思います。

平均寿命が世界一になったと言って喜んでいる、日本人の感覚があまりにずれていて
日本人の私にさえ理解不可能。

私は母が認知症で大変なことになったから実感していますが、
例えば夫婦で、それぞれの両親を介護することになった場合、
仮に夫婦とも長男長女だったら、どんなことになるのだろう。
まず、肉体的にも精神的にも、経済的にも短期間で破綻破滅だと思います。
一人っ子が多い時代なので、この悲劇は現実的。

食生活や医学、衛生学の変化が我々にもたらしたものは、とても歪だと思います。
それは進化かも知れないが、人間という生物の一生ということから考えると
不自然極まりないおせっかいな事だったと、今になったら感じます。

自分が、この歳で、歳不相応なトレーニングやっているのは理由があります。
ひとつは死の直前まで元気に生きられたら。と思うこと。
即身仏的な生き方です。
そうすると、周りの人にかかる迷惑は少なくて済むし。

もうひとつは心臓肥大、かなりの低脈拍、不整脈の身体だから、運良くばポックリと思っているからです。
ですから、身体への負荷ということはほとんど考えていません。
まだまだ死にたくないですが、死んでも、それはそれで良いのかとお気楽に考えています。

もし、ガンになったら、一切の治療はしない。
ガン保険はとっくにやめました。

免疫学の故安保徹先生が、ある程度の年齢になってガンになったら喜びなさい。
老衰死て苦労しながら生き延びるより、その方が人間らしい。とおっしゃっていた意味が最近良くわかります。

太く短く生きると言うのも理解できますが、
過度の不摂生は良くないです。
知り合いの看護師さんが、
そういう人は例外なく、周りの人間に多大な迷惑と
社会保険に大きな負担を残して亡くなっています。
とおっしゃっていました。
太く短くの人には惨めな終わりが待っていると思います。

まあ、死に方はなかなか自分では選べませんが、
自分の身体は神様からのレンタルだと考えている自分には、今の生き方が合っているような気がします。

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