2016年3月5日土曜日

「あるチャイニーズマフィアの話」

アメリカのチャイニーズマフィアの猛威を描いた1980年頃の作品、イヤー・オブ・ザ・ドラゴン。
自分はニューヨークに移住する直前にこの映画を観ました。

先日アップしたウィリー・ウィリアムズ先輩も活躍していたカラテ道場に通っていた自分は、ある中国人の道場生と仲良くなりました。

仲良くなったと言うよりは、同じ東洋人として、眼が会えばにっこりとして、稽古が終われば握手して挨拶するような仲でした。

その中国人H君は、いつも同じ中国人の仲間数人を連れて、自分と同じ時間帯の練習に参加していました。

後で知ったのですが、彼らはチャイニーズマフィアの構成員でした。
驚いた自分は、ある日、「抗争のときは、銃がものを言うんだろう?」
と聞いたら、
H君は、
「生きるか死ぬかのドッグファイトになったら素手の胆力がものを言う」
という返事でした。

彼らは、外見は、まったく普通のあどけないその辺の中国人の若者。
チャイニーズマフィアの構成員と聞いた時は信じられませんでした。

しかし、

彼らの怖さは当時、シシリーファフィア(イタリアンマフィア)とは桁違い。
シシリーマフィアが、人知れず暗殺するのに対し、彼らは白昼堂々、大通りで後ろから近づいて後頭部に銃をつきつけて発射するような手口でした。

そんな手口と、彼らのあどけなさがどうしても結びつかなかったのですが、後で理由が分かりました。
彼らは中国本土からアメリカに来るときに密航費用として、かなりの借金を背負っていました。
それは、チャイニーズレストランで働いて返せる額ではなく、生活も苦しくなり、そのうちに、借金返済のために構成員になるという仕組みでした。
希望がないと、人間は何でもやるものです。

これは、カトリックの神父から聞いた話しですが、シシリアマフィアは、ほおっておけば死んでしまうような孤児を拾ってきて育てるそうです。
そして、ある年齢になったらヒットマンとしての訓練をさせて殺し屋に仕立てるということです。
その孤児たちは、組織を抜けたら殺されるし、人殺しとしての良心の呵責に耐えかねて、神父のところに懺悔に来ていたということです。

そのH君のグループ、次第に練習に来なくなり、人数も減ってきたので、ある日H君に
「みんな、練習がきついのかな?」と言いました。
このときの言葉に自分は一生後悔しています。
ばかなことを聞いたと今でも後悔しています。

H君は、表情を変えずに静かに答えました。
「来なくなったメンバーは殺されたか、行方不明なんです」。

映画や本で観たり読んだりしたら、どこか格好良い、ヒットマン。その背景には悲しすぎる現実があります。

彼は、私に、もし街で自分を見かけても絶対に声をかけるな。と言いました。
声をかけたら、仲間だと思われ、対立する組織に殺される危険があるということでした。
実際そんな事件もあったそうです。

チャイニーズマフィア全盛の時代でした。


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