アーサナの解説から、プラナヤマ、ヨガ哲学、ヨーガのある生活、
様々な分野にまで言及された、師の人生とも言うべき著書の数々。
アーサナの解説は必要に応じて見ているが、
一番、影響を受けたのは、やはりヨーガに対する考え方。
本の中の、師の一日の生活、日常の生活を観てみると、それがよく分かる。
そこにコメントされている、何気ない一言一言が心に響く。
悟るとか癒されるとかそういうことではなく、
每日の生活の中に、生きる基本として、師自身がヒンドゥー教徒として、精神的にもバックボーンになっているヨーガを淡々と語っている。
それが「普通」で「平凡」で、しかし、每日厳格に繰り返されているところが素晴らしい。
師は子供の頃に虚弱で、兄に勧められて、クリシュナマチャリア師の門を叩き、類まれなアーサナの才能が開花して、身体能力に優れた一番弟子となり、クリシュナマチャリア師とともに、世界初のヴィンヤサの記録フィルムに収まっている。
その後、クリシュナマチャリア師との確執があって、ヴィンヤサによるハードなヨーガスタイルを捨てて、再出発した。
誰にもできるヨーガ、しかし、アライメントに厳格で、整体的なヨーガ、それが、師のハタ・ヨーガの特徴だが、それらのヨーガが、古来のオールド・ヨーガを上手く受け継いで、生活の基本としてのヨーガに昇華している。
そこが、やはり、一番素晴らしい。
「ヨーガは瞑想であり、瞑想がヨーガである」
「蓮の花が咲くようにアーサナをしなさい」
「私は自分のヨーガのことをアイアンガーヨーガと呼んだ覚えはない。私のヨーガはハタ・ヨーガだ」。
特に印象に残っている言葉だ。
世界中にお弟子さんが多数いて、その気になったら凄い財産を築くこともできたと思うが、稼いだお金は、自らが設立した動物保護の団体に寄付して、菜食の質素な生活であったそうだ。その厳格さは、多くの人が語るところだ。
本の中に、食についての言及があるが、師の一日の食事を見るだけで、師の考え方やライフスタイルが分かる。
そして、80歳を過ぎてもハードな練習を欠かさなかったそうだ。
60歳を過ぎて、加齢で衰えてきた自分の身体が自分に挑戦する。
そう表現されているが、60歳を過ぎた自分にはそれが、痛いほど良く分かる。
読んで終わりの本ではなく、可能であれば、70歳になっても、80歳になっても、折に触れて読みたいと思っている。
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