2017年7月18日火曜日

「教えるということと資格」

最近では、ヨガの先生のプロフィールを見ると、RTY200,500という方が増えてきたが、
自分の記憶だと、2005年くらいは、まだ全米アライアンスの先生はいなかったように思う。

1990年〜2000年頃に、ヨガを教えてくれと頼まれて、しばらく、不定期に仕事の合間に教えていたことがある。まだ、ヨガの先生が少く、オウム真理教事件の影響もあって、ヨガティーチャーであることを宣伝する人はほとんどいなかった時代だ。

その頃すでにハタヨガ歴は20年くらいだったが、
教えてくれ。
と言われても、自分には、自分が今まで経験で体得したことを教えるしかなかった。

そういう事は、紆余曲折を経て自分の身についている事で長年やっていることだから、
教える。という技術がなくても、自然に教えることができる。

だから、教えることは全く苦にならなかった。

今、教えてくれ。
と言われたらどうだろう。

ちらほらと、本やネットでヨガを教えるノウハウ等を目にしていて、
一般的に「無難」だという教え方しかできないのではないのか、と感じる。
皆が知識だけはネットや本で身につけているから、やっかい極まりないと思うのだ。

元々ヨガには基準というかスタンダードはない。
それでは、普及するのに困るというので、ヨガのスタンダードを多くの先生たちが合議制でまとめたのがRTYのノウハウだと思う。

それは、絶対的なことではなく、一応教える上で無難なことを集めただけだと感じている。

マイソール東京の指導員、タリック先生が、HPに興味あることを書かれていた。
「ここに学びに来た方は、私のやり方、言うことに素直に従ってください」。

そう、ヨガは、その先生だけの「私のやり方」がある。
タリック先生は、それを自身の長年の鍛錬や修行で身につけた方法であって、
タリック先生の存在価値はそこにあるからだ。
それを学びに行くわけだから、いくら自分がそのやり方は、あそことは違うとは感じていても、それは無条件に従うべきだと思う。

そして、長年の経験で身につけた技術は、技術以上の何かがある。
その周りに計り知れないノウハウが詰まっている。
それが、ヨガにとっては一番大事なものだ。

これはヨガだけでなく、あらゆる分野に当てはまると思う。

ただ、ヨガのスタンダードを教えるだけだと、そこそこ技術があり、コミュニケーション能力に長けて、人間的魅力がある。という事で足りると自分は思う。

しかし、教える、習うということの本質はそこにはない。
それで済んでしまうほどヨガは浅くないと自分は思う。

例えば、コア、体幹ということに関して教えるとき、それらを様々なアーサナを習得するために、あらゆる角度から意識してきた人、様々な運動を経験することによって考えてきた人の教え方は、それぞれ微妙に違うが、大体核心をついていて説得力がある。

B.K.Sアイアンガー師が、インタビューの中でトランク(胴)の脇に沿ってコアが2つある。
と指摘されていたが、それは、格闘技でも陸上でも水泳でも、表現は違うが、多くのトレーナーが提唱してきた二軸理論に共通する。

それらは、みな、それぞれの体験を通して体得しているので、説得力があり、学ぶ方としてもスっと入ってくる。

そして、それらのアーサナの動きをリードして安定させるのが呼吸と意識の集中と弛緩。

これらの事を経験によって身につけている優れたヨガの先生が多く存在する。ベテランで、資格は持っていない方がほとんどだ。

何処行っても同じことを同じように教えている。
と一般の人から思われるようになったときに、ヨガから多くの人が離れていくと思う。

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