2017年11月27日月曜日

「チベット仏教の尼僧」

これまで、様々なチベット仏教の記録フィルムを見てきましたが、最近になって、尼僧の姿をちらほら見るようになりました。

このBBCの記事によると、尼僧の起源は、仏陀がこの世にあった時代にまで遡るそうです。
その後、尼僧の地位は低くなり、寺院や修道院で生活することは赦されず、それは2012年まで続いたということです。
ようやくチベットのある村が尼僧のための修道院を設立して現在少数の尼僧が祈りの生活をしているそうです。
この写真の尼僧は、尼僧になった理由のひとつとして、「教育」を受けられることを挙げています。
学校もないような、貧しい村で生活をしていたら、文字さえ読めるようになるのか分からない。
ということだと思います。

チベットやネパールでマントラ(真言)という短い経文が普及したのは、文盲が多く、長いお経(スートラ)を読むことができず、その結果、覚えることもままならないからだと聞いたことがあります。
ですから、覚えやすい短い一行のマントラに祈りのエッセンスを込めている。
そのような状態がおそらく現在も続いているので、彼女にしたら、尼僧になることは、自分の世界が大きく開けるチャンスなのだと思ったのでしょう。
自分はカトリックの修道院でボランティアをやっていた時に、世界各地から赴任してきた修道士から様々な話を聞きました。
修道士は中世から第二次世界大戦の頃まで、信仰と祈りを求めてやってきた人ばかりではなく、飢饉や、貧困で、食えない、餓死しそうだから、入ってくる人が大勢いたそうです。
とりあえず修道士になったら、食べることだけは、心配はない。
そして、望めば、最高の教育を受けられる。西洋の多くの大学は起源はほとんど修道院です。
世界最初の医学部はイタリアのサレルノ修道院です。

そういう、貧民救済、教育、啓蒙の役目を西も東も修道院が担ってきました。
このBBCの記事を読んで、友人のベネディクト会の修道僧たちの事を思い出しました。

そして、チベット仏教においてもヨーガは重要な修行のひとつです。暖かいインドでは外で活動できるのでアーサナが発達したのに対し、チベットは極寒で、室内から出ることができない期間が長いため、瞑想が発展しました。

おそらく、写真の尼僧たちも、一日数時間のヨーガの修行が日課だと思います。

ここにも、古くからの伝統ヨーガの継承者が育っています。

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