2017年6月1日木曜日

「その一言で」

「その一言で」
仕事を失ったり、人から嫌われたり、別れたりしたことが結構あります。
今までは、不用意だったとか、大人ではなかったとか、思慮分別が足りなかったとか
そういう風に考えて、ちょっと暗くもなっていましたが、
最近、それは必然だったという確信を持つようになりました。

不用意に出てくる言葉や態度というものはないと思います。
特に自分の場合、本能的に、考えるより先に言葉や態度に出るから。
ですから、それらの一見不用意に見える言葉や態度は、実は自分の本心から出たものだと思います。

逆に、自分では当たり前で、思っていたことを素直に言っただけ。
という言葉に妙に反応して好意や信頼を寄せてもらったこともあります。

いっしょに仕事をやっていて耐えられない人というのがいます。
生きるために仕事をやっていますが、
好きな仕事で天職だと思っていても、
その耐えられなさが限界を超えると、
いつも、何気なく、その「一言」が出てきます。

自分の場合フリーの仕事ですから、限界を超える嫌なことがあったら、
その場でばかやろう!と恫喝して、仕事を切られても平気なところがあります。

もちろん、恫喝したことは一度もありませんが、メガトン級のキツイ言葉を静かに吐きます。
その辺が自分でも嫌になるところですが、今でもそうで、これは仕方ないと諦めています。

それを、母親に対しても何度もやったことがあります。

母はそんな自分に対して、いつも、私の性格を呪うような言葉を浴びせましたが、
ある日、
「昔はみんなそうだったんだよね。
職人さんたちは、偏屈で、ぶっきらぼうで、すぐにキレるし、今からすると人間失格者ばかり。
けど、職人や学者さんは、大体そんなもの。何かに秀でているということは、何かが欠けている。
それを、誰にでも当たり障りのないコミュニケーションを暗に要求する現代が異常なの」。
とポツリと言いました。

その時に、ああ、やはり母は自分のことを分かっていて心配してくれていたのだな。
と、今までの蟠りが一挙に氷解したような気分になりました。

人間の性格は変わらない。
これは不変であり普遍。

性格がよくなったというのは、その性格を上手くコントロールできるようになったというだけのこと。
「その一言」はそこから出たものであり、
あなたが、もし、それを覚えていたら、分析すると面白いと思います。

私がフォトグラファーになったころ、営業職に合わない性格であったのに、それを様々なセミナーに参加したり心理学の本を読んだりして克服した、稀に見るデキた営業の方がいました。
その様子がとても無理をしている感じがしました。
ちょっと後悔していますが、ちくりと嫌な事を言ったことがあります。


それでも、その方は全く意に介さずに自分を使ってくれました。

しかし、その仕事が終わってしばらくして、
その方がスキルス性胃癌で、あっという間に亡くなったことを知りました。

無理はいけない。

自分の性格をよく把握して、
それを仕事のためとは言え、大きく変えようなどと不遜なことをしてはならないと思います。

それは命に関わることもあります。

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