2017年6月14日水曜日

「霊的なセンター」

「霊的なセンター」という言葉は、思想家の内田樹氏が評論の中で使っておられた言葉です。

具体的には神社、お寺、教会。

ヨーロッパも日本も中国も、1000年以上の長い歴史の中で、「街」は、まず地域を治める領主が城や城塞を建てて、そこに人が住み始めると、まず、教会、寺ができて、学校ができて、生活に必要な施設ができて、という風に、お城を中心に発展し、ほぼ、同心円状に広がっていきます。

多くの人の遺伝子的な記憶には、物理的には城郭に守られ、精神的にはお寺や教会が拠り所であるというような安心感が組み込まれているのだと私は思っています。

そのお寺や教会、神社のことを内田氏は「霊的なセンター」と言っておられます。城塞都市の精神的な拠り所です。

私は熊本という城下町で育ちましたが、熊本はまさにその典型でした。

熊本城を中心に、街が東西南北に広がり、要所要所には、お寺があり、特に隠れキリシタンの歴史のある熊本には教会もお寺と共存するような格好で建っていました。
私の実家の周りには、修道院と付属のカトリックの男子孤児院と女子孤児院がありました。

霊的なセンターに守られて生活しているようなものでした。

日本は明治時代まで約1000年仏教国で、仏教は国教でした。
仏教とセットで伝来したのがヨーガです。
ヨーガ=仏教だったわけです。

神社は神道で、神道は宗教としては見られておらず、民間信仰的な扱いであったので、仏教と共存できてきたのだと思います。

おそらく私が子供の頃には無宗教の人も多かったはずですが、長い歴史の中で、この神社や教会に守られているという無意識の感覚や畏敬の念は、アニミズムの時代からの人間の原始的感覚であったと思います。

このことが、多くの人が宗教とは関わりがないが、宗教心はあった。ということになるのだと考えています。

もし、この「霊的センター」が街になかったらどうなるか?
ということを内田氏は論じておられました。

これは私も実感としてもっていたのですが、霊的センターがないと、長くて数十年のスパンで街は廃れていきます。

多くの例があります。最近では、東京の多摩センター、中央林間などの街がそうです。
ここで生まれ育ったひとたちが、街から出ていって戻って来ない。街は活気がなくなるので、新たに住む人がいない。
その繰り返しで廃れていきます。

そして、内田氏の調査によると、カルトがもっとも浸透しやすいのが、これらの、霊的センターがない街だそうです。

これらの街は、主に、都心に向かう鉄道を経営する企業がマーケティングで、駅中心に街を開発した、いわば、利益誘導型の街です。
企業の利益や都合で作られた街です。

あと、企業城下町。これは分かりやすい。企業が移転したり倒産すると街は廃れます。あまりにも寿命が短いので霊的なセンターができる余裕もない。

逆に、すでに廃れたような感のある古い街でも、古くから、お城、寺院や神社のある街は、廃れません。
典型的な例では、私の近所では、鎌倉、逗子、小田原あたり。
逆に霊的センターがほとんどない、基地の街、横須賀は、都心に近いにも関わらず、急速に過疎化しています。

これは、観光的な要素だけではなく、そのに住む人が古くからあるお寺に守られているという、無意識の安心感が根底にあるのが理由だと思います。

人間は、ただ職場に近いとか、買い物に便利だとか、そのような利便性だけを考えられて作られた街には長くは住めないということだと思います。

この、「霊的なセンター」、小規模な例だと、個々の家にも当てはまります。
神棚、仏像、ロザリオ、は、小さな霊的センターです。
ヨーガをやっている方が、よくガネーシャのアイコンなどを置いているのを目にしますが、
ガネーシャも立派な「霊的なセンター」です。
我が家にも、祖父の遺品である観自在菩薩の石像が「霊的なセンター」の役目を果たしています。

この理屈では計り知れない安心感。是非、霊的センターを置いて生活していただきたいと思っています。
できれば、一日一度は手を合わせる。

それが、先日ブログでも書いた「祈り」も通じると思っています。


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