2018年1月24日水曜日

「悩みごとの対症療法」


対症療法。
主に、
「根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して物事を処理すること」
という意味で用いられています。

例えば、風邪をひいたが、どうしたら良いか。
という問に、
「医者に行って風邪薬を処方してもらうか、注射を打ってもらう」。
というのは典型的な対症療法で、

熱が出るのは、身体が体温を上げて免疫細胞の動きを活発化しているので、仕事は休んで、安静にして、熱が下がるまでじっとしていなさい。
そして、免疫力がなくなるような生活習慣を改めなさい。
というのが最も理にかなった療法。

対症療法には、本質的な療法による疾病を逆に悪化させることも多いです。
風邪薬の服用が回復を遅らせるのがその典型。
おまけに風邪薬には鎮痛剤が入っているので、健常な細胞の毒になる。
風邪薬の服用とともに抵抗力もなくなるので、風邪を引きやすい身体にもなる。

これは、悩み事相談にも当てはまることで、
「私、何やっていいのか分かりません」
「私、自分探しをしています。けど、それが分からない」
という問に、
あれこれ、その人ができそうな事をピックアップして勧めたり、理想の自分像を安直に想像の範囲で語ってあげるのは対処療法。

「そもそも、あなたは、どういう人生を送りたいのですか」
という、本来だったら子供の頃から常に意識しておくべきことを時間をかけて確認させるのが、
本質的な療法だと思います。

最近の悩み事相談を見ていると、そのような対症療法的な回答がとても多い。

まあ、相談される方にしたら、すぐにでも、相手の気持ちが楽になるような回答をしないと、
人生相談者として、人気がなくなるし、限られた紙面と時間で本質的なことから確認させるというのは無理だと思います。

しかし、安易なダイエット法の氾濫と同じで、メンタルでも、そういう質問を繰り返している難民が多いと感じています。

どういう人生をおくりたいのか?ということを考える。意識する習慣は、日本以外の国では、教育の一環で行われていることが多いです。

どういう人生を送りたい?今何をやりたい?何が好き?どんな職業に就きたい?
こういう当たり前の問を日頃から子供に与えていると、
子供はいろいろと考える習慣がつきます。

これが日本で戦後、行われなかったのは、
企業や組織の集団に馴染む子供を大量に生産するような、異常な集団主義のシステムがあったからです。

自分が送りたい人生をあれこれ考えて、気がついて、
組織や集団に都合が悪いような考え方をする子供ができるのが都合が悪かったからだと思います。

私も時々、悩み相談を受けることがありますが、
元を辿って、突き詰めると、
「どんな人生をおくりたいの」?
という根本的な問に行き着くことが多いです。

これだけは、自分で考えるしかない。
こちらがあれこれ言うことではありません。

どういう人生を送りたいのか?
こどもの頃に考えたとおりの人生が送れる人はほとんどいません。
みな、途中で挫折したりして、修正していきます。

しかし、そういう思考習慣がある子たちは
そこから解決法を見つけていくものです。

そういうときの悩み相談には、
こちらとしてもすごく対処しやすい。

目的地があるわけですから。

どういう人生を送りたい。
と考えたこともない人は、目的地も設定せずに航海に出た船のようなものだと思います。

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