2018年1月12日金曜日

「ヨーガとスパイ」

日本で、明治維新以降、ヨーガの代表的指導者だったのは、
中村天風師と沖正弘師です。

お二人に共通するのは、陸軍特務機関の諜報員だったこと。

すなわちスパイとして、中国やチベット、ネパール、インドへの任務に就き、偶然、そこでヨーガや仏教、ヒンドゥー教の指導者、聖人と接し、生活を伴にする過程で、古来の本物のヨーガを修行された方です。

インドに渡れば、ヨーガ修行のための施設があり、
お金と時間とやる気があればヨガが学べる現在とは全く事情が違いました。

両師とも、生きるか死ぬかの体験を数多く経験されています。そして、何より、それまでヨーガに接したことがなかったということが重要です。

実は私の祖父も、商社マンとして1920年頃から中国大陸や西域に赴任していましたが、実態は、陸軍のスパイのようなものでした。

その証拠に、歴史的なスパイ(川島芳子)や諜報機関のスタッフといっしょに写った写真が私の手元に残っています。
なにより祖父が残した、中国各地の写真がそれを物語っています。

その祖父は、毎朝、パーリ語でお経を上げていました。
それは、子供の私にとっては、日常で、記憶の奥底に残っています。

祖父がいつ仏教に帰依したのかは、母に聞いても分かりませんでした。
ただ、中国か西域に居た頃であったのは確かです。

写真の石仏は、西域の敦煌で彫られたものです。
祖父が、1930年頃に購入したものですが、
彫られたのは清の時代、約200年前のことです。
高さは120cm,重さは100kgを超えます。

仏像は、大昔の魏の石仏に似せて彫られた贋作です。

祖父にはそれが分かっていたようですが、
美術的な価値を認めて購入、その後日本に持ち帰りました。
もちろん、そのバックに仏教信仰があったのは間違いないと思います。

祖父母が亡くなった後、母がこの石仏を保管していましたが、母が認知症になったため、私が、今自宅に引き取り、床の間に置いてあります。

この仏像は、観自在菩薩です。

観自在菩薩というのは、仏陀が山上でヨーガの修行の時に、弟子たちにプラジュニャパラミタ・フリダヤスートラ(般若心経)を説いている姿をイメージしたものです。
仏教美術上、いろんなタイプがあって、これは水月観音と呼ばれます。

二十歳からヨーガを日常としている自分にとっては、
この仏像が自分の元にきたということに対して、とても因縁めいたものを感じています。

毎朝、この菩薩の前でプラナヤマと瞑想を行っていますが、
必ず、その前後に、漢語とパーリ語の般若心経とチベット仏教のマントラを唱えています。

祖父やご先祖様に祈りを捧げる意味もあります。

前述の沖正弘師のヨーガ道場でも、ヨーガの始まりには、般若心経を唱えていたそうです。
日本のヨーガと仏教の繋がりは長いです。

日本にヨーガが伝来したのは聖徳太子の時代、約1500年前です。
仏教とヨーガがセットで、伝来しました。

そのせいか、最近まで多くのヨーガの団体は仏教の宗教法人でした。

一度、この仏像を華僑の方がご覧になり、
もし、祖父が日本に持ち帰らなかったら、文化大革命で紅衛兵に破壊されただろう。
とおっしゃっていました。
数奇な運命をたどった観自在菩薩です。

中村天風師、沖正弘師、祖父、そして仏教とヨーガ。

自分の中では、全てが密接につながっています。
そして、その上に今の自分があると思っています。

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