2018年1月22日月曜日

「闘病記のブログ」

ヨガのブログをやっていて、このブログランキングに登録しているせいか、いろんなブログに興味があります。

その中でも、最も、読んでいてつらいのが「闘病記」。

ブログランキングサイトには、様々な病名の項目があって、それをクリックすると、闘病している方のブログが読めるようになっています。

私は、読むのは辛いので避けていましたが、
知人が、闘病記をアップするようになって、読むようになりました。

知人は水泳コーチでした。

中長距離専門のコーチで、当時、マスターズで中距離専門だった自分は、彼の練習会に良く参加するようになりました。

彼は、とても緻密な人間で、様々なデータを元に、泳法のフォームや練習方法を解析するのが得意でした。

彼は、それを自分のブログで紹介して、そのブログは人気サイトになっていました。

ある日、彼は、太ももにできた腫瘍のようなものが気になって皮膚科を訪ねましたが、それを診て、顔色が変わった担当医は、すぐに細胞を採取して検査したそうです。

検査結果告知の日、彼は、ちょっと嫌な予感がしたと書いていました。

その告知をしたのは女医さんで、
女医さんは、ためらいもなく、
「あなたのその腫瘍は悪性黒色腫(メラノーマ)です。5年生存率は10%以下です」。
と告げたそうです。

そのときの、気持ちを彼はできるだけ正直に表現しようと思ったのか、ブログにこと細かに綴っていましたが、
それは言葉にはなっていませんでした。

気丈で前向きな彼は、持ち前のガッツで、
とにかく、1%の可能性でも賭けてみようと、積極的に治療を受けることになりました。

その告知からしばらくして、手術を受けるまでの間に、彼が主催した練習会に参加した私は、
練習後、プールの中で、話をしました。

私は、聞く事に徹しましたが、彼は堰を切ったように、いろんな思いを語り、話はなかなか終わりませんでした。

語ることによって、不安が少し和らいでいくような、そんな気持ちを彼の表情に見て、私は自分の身体が冷えていくのも忘れていました。

その後、彼は闘病記を綴ったブログをアップして、
私は、頻繁に見るようになりました。

彼は、治療の様子や体調の推移を克明にレポートして、医者のコメントなども、事細かに記録していました。

ブログがしばらく途切れると心配になりましたが、
3〜4日後には元気な声を聴くことができ、ほっとしていました。
そうやって、3年、全く転移なしに時は過ぎ、
私は、もしかして、これは〜、と奇蹟を信じるようになりました。

しかし、ある日、転移が認められ、約半年後には、全身に転移が広がりました。

それからの彼のブログは、愚痴を言わない彼だけに、
悲惨さが余計に伝わってきました。
脳に転移が認められたときには、もう見ていられなくなりました。

2月1日のある寒い朝、彼のブログを開くと、奥さんが、
昨日、眠るように旅立ちました。とブログに書かれていました。
なぜか、悲しい気持ちより、彼は、やっと、これで苦しみから開放された。
という気持ちの方が強く、
そして、自分も何かから解放されたような気持ちになりました。

44歳の死。

彼の闘病記を応援していた、同じように、難病の闘病記をブログにアップしていた方たちも、
その後、全員、ブログがストップしました。

闘病記は、終了するまでが短い。
ブログランキングを見ると、途切れているブログ、肉親がブログの主の死を告げているものが多いです。

ブログというと、SNSに比べ古い媒体ですが、ブログはじっくりと読める。
読む方は、そのつもりで観ている。

ブログは、その記録性や、思いを語る気持ちが、よく伝わってくる媒体だと思います。

しかし、闘病記を読むのは辛いです。

0 件のコメント:

コメントを投稿