2017年9月27日水曜日

「勝手に期待して失望する人々」

アウン・サン・スー・チーのミャンマーが
イスラム教徒(ロヒンギャ族)を殺戮、迫害している件に関して、ダライ・ラマ14世は、
「仏陀なら、きっとロヒンギャ族を助けただろう」
と、記者に向かって発言したそうだ。
これまで、2度スーチー女史には暴力をやめるようにメッセージを送ったらしい。

モスリムに過度な反感を持っているのは、主に、スリランカとミャンマーの仏教関係者と仏徒だ。
彼らの仏教は、インドやチベット、中国、日本に代表される大乗仏教とは違い、昔、小乗仏教と呼ばれたセクトだ。
現在、小乗仏教は差別用語として使われないことになっている。
大乗仏教の大に対して小というのが差別的だということだろう。ということで、現在は上座部仏教(テーラヴァーダ)と呼ばれている。
大乗仏教(マハーヤーナ)は、そのまま呼ばれているようだ。
上座部仏教は、大乗仏教よりはるかに原理主義的だ。
最も仏陀の時代に近い戒律に従い、教えを厳格に守っている。と自負するセクトだ。
自らを仏陀の正統継承者と見ているところがあって、関係者の発言も仏教徒にしては乱暴なところがある。
おまけに、大乗仏教が世界的な広まりを見せて、仏教=大乗仏教。というイメージがあるので、内心穏やかではないのだろう。

上座部仏教が支配的な国は、上述のスリランカ、ミャンマーの他に、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム。
スリランカは同国内のモスリム、ヒンドゥー教徒を長年に渡り弾圧し、戦争状態だった。
ミャンマーは現在の状況、
そして、
タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムは、同じ上座部仏教の国でありながら、三つ巴、あるときは四つ巴で、昔から戦争ばかりやっている。
現在でも、毎年国境紛争で死者が出ている。
お互いに対する国民感情もかなり悪い。
なにかあると、銃を持って、実力行使で戦うのは、これらの国の仏僧たちだ。

これは、私見なのだが、ミャンマーのモスリムに対する、偏狭で残酷なミャンマー仏教界と仏徒の対応は、
上座部仏教の原理主義的なところと無関係ではないと思う。

やっと本題だが、
みな、なんで平和な仏教徒があんなことを。
と言うが。仏教徒も原理主義になり権力に利用されると平気で人を殺すようになる。
ヒンドゥー教もそうだ。パキスタン分離の時はヒンドゥー教徒は大勢のイスラム教徒を殺戮した。

宗教の理想や原理主義的なところだけ見て期待すると失望することになる。
これは宗教だけに限らない。
ヨガの世界でもそうだ。
5000年の歴史なんて言って全幅の信頼を寄せると、カルト化してとんでもないことになる。

アウン・サン・スー・チーも、欧米のマスコミが、民主主義のヒロインみたいな持ち上げられ方をしたので、ノーベル平和賞まで受賞したが、最初から、彼女は父の仇討ちしか頭になかったことは有名だし、イギリス人と結婚したことで、ミャンマーの多くの人の反感をかった。
そして、なにより、イスラム教徒のジャーナリストや関係者に対する、差別的で非礼な発言が多かった。人間として失格者だったのだ。
それをみな分かっていたら、あのように持ち上げて勝手に期待はしなかったと思う。
マスコミの捏造は罪深い。

自分が全幅に信頼を寄せるものでも、疑って、常に辛辣な目で見たほうが良いと思う。
その方が失望がない。失望とは自分が勝手に期待した結果の落胆だ。

要は、主語が、その対象なのか自分なのかの違い。
主語、主体がしっかりと、自分にあると、まずは疑ってかかる。それで良いと思う。

ヨガにおいても、ヨガが目的だといずれ行き詰まると思う。先生も生徒も同様。
自分の生活が常に主語。
そのために、ヨガをやるのだから。

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