2017年9月10日日曜日

「ヨーガの恩恵」

ヨーガのグルが一人いて、弟子が5人いるとすると、
教えることは同じでも、全く違うヨギが5人できると思う。

最初、初心者の頃は、教わったことを忠実にやることになるが、その時点で、ヨーガを行う時間や、ヨーガをやっていて感じること、求めることが違うこともあって、その人のスタイルに組み込まれていく。

それが、半年、1年、5年と時間が経つと、大きな違いや差になってくるのだと思う。
そのことがヨーガの面白さであり特色だと思う。

ヨーガを教える先生は別だが、ヨーガが生活になるのは本末転倒だと思う。
ヨーガは生活をより良きものにするものであって、目的ではない。
ヨーガは手段であり、生活の基本的なものの一部として呼吸のような存在としてあるものだと思う。

そのような、自分独特のものとして生活に定着するには、様々な過程を経ることになる。

偉大なヨギの教えていることを知識として学ぶことは重要だが、それが、即、自分のものとして定着して実践できるかどうかは大いに疑問があると思う。

自分は昔から短気で、好戦的な性格だ。
競争心が旺盛で、負けることが何より嫌いな性格だ。

それは今も変わっていないが、ヨーガをやるようになって一つ変わったのは、怒っている自分、反抗している、勝とうとしている自分を、自分の頭の上から見下ろすように俯瞰できるようになったことだと思う。

人の性格は死ぬまで変わらない。
しかし、自分を常に客観視に近い状態で見ることは可能になると思う。

そうすると、徐々にコントロールできるようになり、
周りとの折り合いがつけやすくなる。

「こんな自分はちょっと問題だな。観ていて嫌になる」
と俯瞰しながら考える。

ただ、このことは自分の性格がヨーガで変わったということではない。
もちろん、変えようとして変わるものではないと思う。

そこの認識は大事だと思っている。

でないと、変わらないと焦って失望する自分と延々と付き合うことになるからだ。

ヨーガをやるようになってからは、ほとんど周りとの激しい対立はなくなった。
心の中で怒りを覚えることはしょっちゅうだ。
しかし、すぐに静かになる。穏やかになる。

穏やかな時の平和さが、短気なだけにとてもありがたく感じる。

穏やかな時間が約8割に対して怒っている時間が2割くらいだろうか。

自分にしては大革命だ。

そのことが、ヨーガをやるようになって得た一番の恩恵だと思っている。

おそらく、他の方々はそれぞれヨーガをやるようになって得るものは違うし、ヨーガを日常生活で実践するスタイルも違うと思う。


しかし、それは、当たり前のことであって、ヨーガの実践は、ヨギの数だけあるのだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿