2016年8月16日火曜日

「道場破り」

先日、Youtubeを何気なくみていたら、
アメリカの空手道場に道場破りが来たときの映像があった。
最近の出来事にしてはめずらしい。

道場破りは、これで道場破りが出来るの?
というほどおそまつな腕前で、あっという間にぼこぼこにされてしまった。

自分が居た1980年代には、どこの道場も、道場生も多く、
黒帯がゴロゴロしていたので、
ほとんど道場破りはいなかったようだ。

しかし、1960年代〜1970年代、ニューヨークに進出したカラテ道場には、
道場破りが頻繁にやって来たそうだ。
その時の様子を、当時、ちょくちょく酒の席などで聞いた。

K先輩という方がいる。
自分は、直接面識はないが、当時Kカラテの支部をひとりで任されていたそうだ。
そこにも、道場破りが頻繁に来たらしい。

K先輩は、短刀をいつでも手の届くところに隠していたそうだ。
その短刀で何をするのかというと、
もし、自分が道場破りに負けたときは、
その場で相手と刺し違えるつもりだったそうだ。
自分は、切腹する覚悟だったそうだ。

この話は身内では有名だった。
こういう覚悟の人間は絶対に負けない。
もちろんK先輩は、切腹することなく、現在もお元気だ。

自分たちは、最高師範から、

「手をやられたら、足を使え。
足をやられたら、噛みつけ、
それでもだめだったら頭突きしろ、
そして、それがだめで、殺されてしまったら化けて出ろ」。

と闘争心を叩きこまれた。
ニューヨーク市警の警官やチャイニーズマフィアの道場生も
同じように、叩きこまれた。

ヨガも格闘技も、システム化、マニュアル化されて、そこそこ優秀な人材で溢れているが、何かが違うと感じる。

魑魅魍魎、玉石混交の中から何かが出てくる。

あまりに社会が管理化されると、ダイナミズムがなくなり、人間にも迫力がなくなってくる。無秩序と混乱をくぐり抜けてきた人間は、本物のノウハウを持っている。人を惹きつける。

なんか世界的に退屈で、面白くない時代になったと思う。

















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