2016年8月11日木曜日

「長崎」

熊本で生まれた自分は、短期間、長崎の祖母の家にあずけられていたことがある。
昭和33年頃だったと思うが、
まだ、あちこちに、原爆の閃光で焦げた塀やビルの外壁が残っていた。

自分が居た場所は原爆投下地点に対して、山を背負っているような位置にあったため、
被害は少なかったようだ(写真)。
しばらくして、記念館に連れられて行ったが、そのときのショッキングな映像はまだリアルに頭の中に残っている。

物心がつくと、アメリカとソヴィエト(ロシア)が冷戦状態になって、
核戦争の危機が何度かあった。
現在の日中の危機的状況どころの話しではない。
いったん核戦争が始まると地球規模で壊滅状態になる危機的状況だった。

ソヴィエトの戦闘機に対する自衛隊のスクランブルはほぼ每日。
津軽海峡はソヴィエト原潜の通り道だった。
いつか、核戦争が起きるかもしれないという危機感の中で育ってきて、
まだ、元気で生きている。
自分は、ただただ、それだけでありがたいと思っている。

特に、この写真の場所の近くで死んでいった子どもたちが不憫だ。
原爆投下の8月9日11時2分。
別れたかみさんの誕生日はとっくに忘れてしまったが、
この日時だけは、一生忘れないと思う。


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